佐伯は後ろで手を組み、少し背を屈めて樹を見上げてくる。表情には不安が含まれていた。
「ねえ樹ちゃん。どうだった」
ポーズと口調。もうずっと前から変わっていない。
数学
「どうもこうもないのね」
樹は肩を竦めて見せる。
「俺もだよ」
安堵したように、佐伯は明るく笑う。
背を伸ばしてから両腕を上げて、樹の隣に並んだ。
二人の視線の先には学年単位の定期テスト結果が貼り出されていた。
「ここで安心するようでは駄目だと思うのね」
これを何度言った事か。
一瞬思い出しそうになりながら樹は言う。
「そうだとは思う。でもほらね」
佐伯は笑顔を絶やさない。
紙には上位成績者が載っており、眺める生徒たちは良い成績の他に、悪かった成績も慰め合っている。
佐伯と樹は主に後者であった。二人の苦手科目は数学。当然、紙の数学欄には名前はない。
小学校の時は算数だが、これも悪かった。同じ小学校の出身で同じ苦手科目を持つ同士として、親近感を覚えていた。特に佐伯は確認しあうように頻繁にこうして話題にしたがるのだ。
樹自身も安堵してしまう部分はあるので、満更でもないのだが、もう中学三年生。浮かれていられない現実との葛藤があった。
「とりあえず、間違った所を直してから先生に出さなきゃならないんだ」
「俺の所もなのね」
二人は横目で合図をするように場を離れ、ある人物に会いに行く。
「お前らまたかよ」
ある人物とは黒羽であった。彼は数学が得意なのだ。
三年A組の前の席にいた黒羽の前に二人が行くと、用件を瞬時に察せられた。
何かを言いたそうにする彼を、佐伯が止める。
「待って。バネが何を言いたいのかは、もうじゅーぶんわかってる」
「ですから、このとおり」
「このとおり」
二人は頭を同時に下げる。
ちなみにこのポーズと口調。もうずっと前から変わっていない。
「仕方ねえなあ、貸しな。購買パン一つずつで引き受けてやる」
「仰せの通りに」
「なのね」
頭の角度がさらに下がる。
顔を上げれば黒羽の苦笑いがあった。まるで佐伯と樹の専属家庭教師の気分である。
思えば、小学生の頃。オジイの家でくつろいでいる時、この二人が算数の悩みを口にして“俺に任せろ”と言い出したのが始まりであった。
それが中学の今の今まで続くとは思わなかった。黒羽からすれば、数学は負けたくない意識が出来、成績も順調を保ち続けた相乗効果もあるのだが。
「急に思い出したよ。オジイの家でお前たちの算数を引き受けた事」
佐伯は机に手を置き、楽な姿勢を取って相槌を打つ。
「あの時ね。俺がたまたま樹ちゃんに算数苦手って言ったら同意してくれたんだよね」
「クラス、一緒でしたっけ」
「どうだったっけ。忘れちゃったよ。好きなものが一緒だと嬉しいけれど、嫌いなものも同時に嬉しくなるもんなんだね」
「良い趣味じゃあねえけどなー」
黒羽は椅子を後ろに下げ、背もたれに身体を預ける。
「嫌いなものの方が言い易いとも聞くのね」
「そういうもんかねえ」
しみじみと頷く黒羽は、急に"あ"と声を上げた。
「どうした?」
「今日は予備軍たちにも教える約束していた」
「大変ですね、バネ先生」
「ま、チビたちは大きいお友達より素直だしな」
「俺たちはいつも素直なのに」
ねえ?と、佐伯は樹に同意を求め、二人はニコニコと笑う。
「はいはい。素直な良い子だぜ。すぐに俺の所に来るんだからなぁ」
黒羽の笑いは乾いていた。
次の定期テストの時も、絶対に来る気がする。
基本的にオジイの家で皆打ち解けた、というのを妄想。
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