学校帰りの学生が良く立ち寄るファーストフード店の窓際の席で、南は小さく息を吐いた。
 外はどんよりと曇り、じめじめとした空気が肌に触れる。季節は梅雨を告げていた。



世界でたった一人のキミ



 南の周りを楽しそうな声が包む。彼は1人ではなかった。
 隣には同級生の千石、そして前には同じく同級生の亜久津、その隣には彼の幼馴染みである河村……
「ねえタっカさ〜〜〜ん」
 ネコ撫で声で河村に擦り寄り、強引に4人席に2人席をくっ付けた所に座る不二の4人の連れがいた。
 “楽しそうな声”の9割は彼の口から出ている。
「この新しいデザート、美味しいよ」
「へえ、良かったね不二」
 河村はニッコリと微笑んだ。
「美味しいんだよ〜〜」
 容器を手で包んだまま、不二はニコニコと河村に視線を送り続ける。


 どうやら“俺も食べていい?”と言わせたいらしい。
 間接キスを狙っているらしい。


 コトン。
 不二の思惑に気付いたのか、亜久津が飲んでいた飲み物のコップをテーブルに置いた。
「コーヒーにシロップ入れ過ぎた。河村、口直しに………」
「口直しだったら南くんの紅茶の方が良いんじゃないかな」
「そうだよ」
 きょとんとした河村の影から、不二が邪悪な笑みを浮かべて賛同する。
「チッ」
 舌打ちをして、亜久津は灰皿を引っ張り出してタバコを吸い始めた。
「口直しは良いの?」
「良いんだよっ」
 ぐりぐりと灰皿にタバコを擦り付ける。




「あははははは。相変わらず君達は愉快だなぁ」
 突然、千石が声を上げて笑い出した。
「俺とこいつらを一緒にするんじゃねーよ」
 亜久津が睨む。
「すぐに反応する所が愉快なんだってば。ねえ?」
 そう言って、南を見た。
「ん、まぁそうだなぁ」
 愛想笑いを浮かべる。南は連れのテンションについていけなかった。
「南ぃ〜〜っ、これあげるゾー。フォーユー♪」
 あ〜ん、と千石は摘んでいたデザートを掬ったスプーンを南の口の中に突っ込んだ。
「タカさんっ、タカさんっ、タぁ〜〜カぁ〜〜さぁん」
 不二は目を瞑って“千石が南にしたみたいに食べさせて”という合図を送る。
「てめぇ不二、何くだらねえ事してやがんだ」
「うっさい!亜久津だってして欲しいって思っているクセにー」
「なっ!」




「はは、また始めたみたいだよ」
 千石は頬杖をついて南に話しかけた。
「ああ」
 南はまだ突然の間接キスに顔の熱が治まっていなかった。視線を逸らすように顔を背け、千石に悟られないようにする。


 ぐいっ。
 千石がやや強めの力で南の肩を掴んで振り向かせた。千石の顔が近付き、頬が触れてしまいそうで、南の目は見開かれる。全身が火を噴きそうに熱くなる。
「南、見て見て」
 千石の視線の先には楽しそうにお喋りをする女生徒たちがいた。
「あの娘、可愛くない?ほら、あのショートの娘」
 南に良く見せようと体を引き寄せる。熱は急に冷め、表情が曇る。
「あー、皆可愛いかも。美味しそうに食べる娘って可愛いよね。笑っている女の子って良いなぁ。可愛いなぁ」
 デレデレする千石に、張り付いた笑みで“そうだな”と南は言う。


「どったの南?」
 鼻をくっつけて、南の顔を覗き込む。
「どうもしない」
 不覚にも心臓は早鐘のように鳴った。
「愛しの南の様子が変だと、千石くんは心配ですよー?」
「どうもしないって」
 軽く千石の胸を押して、体を離す。


 千石は俺が好きだと言ってくれる。
 でも女の子も好きだと言う。
 本当はどうなんだ?
 冗談だったら早く言ってくれないか?
 おまえの事、わからなすぎてグチャグチャになってしまいそうなんだ。


 千石が好意を示してくれる度に、そんな言葉をグッと胸に押し込めている。




「くしゅっ」
 河村が両手で鼻を覆ってくしゃみをした。同時に不二と亜久津の肩が上下する。
「タカさん、大丈夫?今日、寒いよね」
「こんな所で油売ってるからだよ」
「亜久津っ」
 不二が開眼して亜久津を見据える
「温かいモノでも頼もうかな。不二、亜久津は心配してくれたんだ。だからそんな顔しないで」
 ゆっくりと不二に首を横に振って見せた。
「2人とも有難う」
 ふわりと微笑む。
「う……うう〜〜っ」
 少し不満が残るが、不二はいつもの笑顔に戻る。
「けっ」
 亜久津はそっぽを向くが、その表情は少し嬉しそうだった。


 そんな彼らの様子を南はぼんやりと眺めていた。
 喧嘩ばかりなのに、繋がって見える。何より幸せそうだった。
 前髪が無いのに、拭うように手の甲を額に当てる。


 千石と喧嘩なんてした事は無かった。仲が良いと思っている。
 けれど、時々、さっきのように何も見えなくなってしまう時がある。そんな時、繋がっているはずのものは見失われ、アイツの事がわからなくなってしまう。


 南と同じように、亜久津も彼の事を横目で見ていたのだが、彼は気付かなかった。








 翌日はカラッと晴れて、太陽が真上に輝くすがしがしい山吹中屋上で、亜久津はだるそうにタバコを銜える。彼の周りには弁当を摘むテニス部の3年生達が座っていた。よくわからない内に、一緒に昼食を取ることになってしまったのだ。
「やっだ亜久津、タバコは駄目よぉ。お腹に子供がいるの、わかってんでしょー」
 女言葉で千石がタラコのおにぎりをかじりながら、亜久津のタバコを奪う。
「その子供は食用だ」
 ぶっきらぼうに言って、すぐさま取り返す。
 “それでも大事な子なのー”と、東方と錦織が乗り出した。


「南、今日は委員会だっけ。ご苦労さん」
 新渡戸が南を見る。
「あ」
「ええーっ、じゃあ一緒に帰れないじゃん」
 南の言葉を遮って、千石が声を上げた。
「ああ、ごめんな」
 苦笑し、なだめるように謝った。
「あ〜〜あ」
 千石はしゅんとなるが、すぐに復活して
「あの娘に宜しくって言ってよ」
 と、にんまり笑う。
 あの娘とは、委員会でいつも南の隣に座る女性徒であった。
「……………」
 南は苦笑したままで、返答に困ってしまう。


「南ーっ」
 その時、ドアが開いて男子生徒が南を呼んだ。彼は委員会に出席する生徒であった。
「今行くよ。じゃ、俺はこれで」
 南は手早く弁当を片付け、男子生徒と一緒に階段を下りて行った。
「じゃあねー」
 千石はわざとらしく鼻を啜って、手を振る。
 話が途切れ、しんとすると、亜久津がおもむろに口を開いた。


「千石お前、どっちかにしとけよ」


「え?どっちかって?」
 本当に意味がわからないように、きょとんとなる。
「女か南かだよ。南、女の話を出されてムカついてたぞ」


 ピリピリとした雰囲気になり、東方、新渡戸、錦織の3人は気付かれないように、ずずっと後ろへ下がった。


「そんな事ないない。南はそんな奴じゃないよー。俺が南を一番愛してるって、南はわかってくれてるよ」
 ムッとしながらも、千石はヘラヘラと笑ってみせる。
「どうかな」
 その一言に、笑顔がふっと消えた。
「万年片想いの亜久津クンに言われたくないんですけどね」
「そうかもしれねーが、アイツはわかってくれてる」
「ああ、そうなんですかー」
 なげやりに言って、千石は話題を打ち切り、他のメンバーとの話で盛り上がってしまった。




 放課後、委員会は黙々と行われ、時間が経過すると共に外は曇って、雨が降り出す。
 げっ、やだぁ、傘持って来てない等の呟きが漏れた。今日、雨は降らないと予報では言っていた。
 ようやく終わり、生徒達は席を次々と立って教室を出て行く。南も教室を出て、窓から外の様子を伺った。まだ雨は止んでいない。今回ばかりは、さすがの南も傘を持ってきていない。
「南くん」
 “あの娘”が、南に声をかける。
「ちょっと聞きたい事があるんだけど、良いかな」
「ん?」
 南は相槌を打って、あの娘の話に耳を傾けた。
 笑顔の下の胸はイライラとムカムカがわだかまり、あの娘に冷たい反応をしてしまうのではないかと心配になる。


 あの娘は良い子だ。性格も頭も良いし、顔も良い。
 嫌いじゃない。好きな方だ。


 千石があんな事を言うものだから、あの娘の所々が気に障ってしまう。
 嫌いじゃないのに、気に入らない。こんな事今までなかったのに。
 彼の一言に動かされる自分が酷く嫌なモノに見えた。




 あの娘と別れ、帰り支度を整えて、外をチラチラ伺いながら玄関で靴を履き替える。
 ぽむ、と。ふいに肩に手が置かれた。
「千石」
 振り返ると千石がにっこりと笑った。
「先に帰ったんじゃなかったのか」
「健気に待ってみたよ」
「あ、ああ…サンキュ。じゃあ帰るか」
「あいよ」
 カツッ、千石が何かを床に置く。それは傘だった。
「お前が持って来ているとは意外だ」
「俺はラッキー千石っスから」
 屋根のあるギリギリの所まで進み、差そうと傘を前に出す。


「南は今日、傘を持ってこなかったよね」
「よく知ってんな」


 いつも見てますんで


 声と傘を差す音が重なった。


「女の子は星の数ほどいるけど、南は世界でたった一人だもんね。たった一人の南の事をいつも見ているよ」
「なんだよ、いきなり」
「ちょっと、知っていて欲しいと思いましてね」
「はあ」
 気の抜けた返事とは裏腹に、南の心臓は早鐘のように鳴り続ける。


 相合傘で帰路を歩きながら、千石は前を向いたままで口を開く。
「女の子は大好きだけど、俺はやっぱ南の胸が一番かな」
「あいにく、俺の胸は柔らかくも気持ちよくもないんだが」
「そういうのは問題じゃないって」
「このまま……………病院行くか?」
 胸の鼓動はどこへやら、南は怪訝そうな表情で千石の奇妙な言動を疑う。
「俺の愛のメッセージが伝わらないというの南!」
 少なからず、千石はショックを受ける。


 亜久津の言葉が気にかかって南を待っていた。
 ようやく、それが耳に痛いものだったと理解した。







千南メインのアクタカフジ話です。
千石は南が一番好きですけど、女の子も大好きです。千石は南がその事をわかって女の子の話をしていたのに、実際南はわかっていなくて。南は千石の一言で、人の見方まで変えられてしまったり。千石は照れ屋さんでストレートな言葉は言えず、遠まわしに変な言葉を言ってしまうのを南はわかってくれなくて。そんなすれ違いの関係です。
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