メリクリ
12月になると、街はすっかりクリスマスのイルミネーションで飾られていた。学校の帰り道である商店街を歩きながら、桜井はあちこち見回す。
「お、おい桜井」
後ろを歩いていた石田が早歩きで桜井の横に並ぶ。
「1人で歩いていくなよ」
「あ、ごめん」
桜井は本当に申し訳無さそうな顔をした。
「そんな顔するなよ。怒ってないって」
「……いや、さ。俺、今まで気付かなかったけれど、歩くの早いみたいなんだ」
前を向き直り、桜井は額にかかった髪を軽く払う。
「そうか?普通だと思うけど」
「だってさ、伊武が“待って、待ってよ”って言うんだ」
「デートん時?」
「そ、デー………」
間。
「……か、買出し!買出しの時だよ!」
桜井は顔を真っ赤にさせて詰め寄った。冬なのに汗はダラダラである。
「買出し、か。そういうコトにしておいてやるよ」
石田は苦笑したが
「で、クリスマスイヴはどうお過ごしになるつもりで?」
機を逃さずに追い討ちをかける。
実は誰が先に伊武と桜井のクリスマスデート場所を聞きだせるか、石田、内村、森、杏の4人で賭けをしていた(とんでもない人達です)。
「イヴは……」
答えようとした桜井の口の動きが止まる。
そのまま早歩きで石田から逃れようとする。
「イヴは?イヴは?イヴはどうなのかなぁ?」
石田も負けじと早歩きで桜井の隣をキープする。
「ほら、やっぱり居場所知っとかないと、もしもの時助けに行けないじゃない?」
「もしもなんてない!」
思わず想像してしまい、桜井の顔は再び赤く染まった。
「え〜と、じゃあ今後の参考にしておこうかなあと…………」
「じゃあって何だ!じゃあって!!」
頬を染めて俯く桜井と、ニヤニヤしながら質問攻撃をしかける石田の2人は、そんな事を言い合いながら帰路を凄い速さで歩いていった。
クリスマスイヴの日は“映画でも観ない?”と伊武に誘われている。
付き合う前、神尾が伊武は映画を観ながらぼやくって言っていたのは……どうか俺の記憶違いであって欲しい。
映画のタイトルは……知らない奴だった。あの伊武が普通に話題になっている映画を観るタイプじゃないって事はわかっているけれど。
まあ、大切なのは映画じゃなくて、2人で過ごす時間だもの。きっと、余計な事ばかりを考えてしまうのは、緊張しているからなんだと思う。イヴの日が待ち遠しいのだと思う。
そして、クリスマスイヴの日。学校が終わって、家に荷物を置いて、着替えてから、適当な場所で2人は待ち合わせをした。
「よお」
照れ笑いを浮かべて、桜井は軽く手を振る。
「………………よ」
くぐもった声で伊武は挨拶をした。口はマフラーで隠れてしまっている。寒がりな伊武は見るからに暖かそうなコート、マフラー、手袋と完全防具であった。
「伊武、これまた凄い装備だなぁ」
「今日、寒くなるよ?」
伊武は桜井の姿をマジマジと見る。彼はコートに軽くマフラーをしている程度である。
「手、冷たい…」
そっと桜井の手を取り、両手で包んだ。
「「………………」」
目が合うと、気恥ずかしくなって黙り込んでしまう。
沈黙を破ったのは神尾から伊武に宛てられたメールであった。内容も読まず、伊武は携帯を仕舞う。
「そろそろ、行こう」
2人は歩き出した。
こうして歩く時は伊武に“待って”とは言われない。
映画を観ている時、伊武の視線が気になって桜井は彼の方を向く。
だが、伊武の視線はスクリーンに向けられたままだった。
気のせいか、そんな事を思ってスクリーンに向き直る。
先ほど桜井の視線が気になった伊武は彼の方を向くが……
その繰り返しであった。
たまに2人の視線が重なった時は、何も言わずに見つめ合い、何も言わずにスクリーンに視線を戻す。
次も目が合うだろうか。
桜井は伊武の方を見た。
振り向いた先にあったのは、びっくりする程間近にあった伊武の顔。
思わず声を出しそうになったが、そう考えた時には既に口付けで塞がれていた。
ぽかん、としたまま。伊武は顔を離し、何事も無かったかのようにスクリーンの方へ向き直す。
次、目が合った時は仕返ししてやろう。
桜井は座り直して、スクリーンの方を向いた。
映画を観終わるなり
「不意打ちすんなって」
開口一番、桜井は伊武に言う。
何か一言言ってやらないと、照れ臭くて顔が見られそうになかったからだ。
「え?だって桜井が何度もサイン出すから……」
伊武は目をパチクリさせる。
「俺は伊武が俺の方見るから、何かなって……」
「……嫌だった?」
俯く伊武の頬を髪の毛が流れた。
「ドキッとした」
桜井は背を向け、小さな声で"腹減ったから、何か食べよ"と呟く。
「うん、食べよう」
伊武の口元は綻んでいた。
どこで食べるかを決めている時、雪が降り始め、食事をとっている時もそれは降り続け、店を出る頃には薄い膜のように少し積もっていた。このまま別れてしまうのは名残惜しく、特に行く先を決めずに街を散歩する。
夜になって一段と美しさを増すイルミネーションの事を話しながら歩いていたはずなのに、辿り着いたのは人気の無い公園だった。真っ白に染まり、しんと静まり返っている。せっかくなのだから、どこかベンチでも探せばいいのだが、この誰にも踏まれていない雪を踏むと、子供っぽい遊び心と2人以外誰もいないという嬉しさが入り混じり、心地が良かった。
いつの間にか、伊武は桜井の後ろを歩いていた。そう、こういう時だ。2人以外誰もいない場所で歩いていると、決まって彼は言うのだ。
「ま……………………………………って」
小さく、低い声で伊武は言う。
「ごめん」
桜井は立ち止まり、伊武が追いつくのを待った。
雪は静かに降り続ける。
そろそろ歩き始めても良いだろうか。
桜井は伊武の顔を見た。
「………………………………………………」
彼はじっと桜井の顔を見つめている。
何かを言いたそうに、じっと見つめている。
「肩、ずいぶん雪がかかってる」
伊武は軽く桜井の肩を払った。傘を差さずに歩いて来たので髪や肩、衣服に雪がついてしまっている。
「伊武だって」
桜井も伊武の肩を払い、撫でるように髪についた雪も払う。
向き合い、互いの体に手を触れた状態で視線が交差した。
「ま…………………………………フラー……ちゃんとした方が良い」
そう言って伊武は桜井のマフラーを巻き直してやる。
直し終わった後も、伊武の手は桜井のマフラーに添えられたままだった。
「行くか?」
歩き出そうと桜井は足を動かす。
「待って」
伊武は桜井の腕を掴んだ。
「伊武…………………」
桜井は困惑した表情を見せた。
伊武が何をしたいのかがわからない。
2人の関係は始まったばかりで、お互いにわからない事だらけであった。
近付くことは出来ても、それは理解する事にはならない。
「どうした?俺、どこにも行かないから、ゆっくりで良いから」
ゆっくりで良い。
ゆっくりで良いから。
自分自身にも言い聞かせるように、桜井は伊武に笑って見せた。
「ま……………………………………」
伊武は頬を染め、じっと桜井の顔を覗き込む。
口をマフラーで隠したまま、くぐもった声でぽつりぽつりと呟くように言う。
「ま……………って」
「ま………………さ………………って」
「……………………………………………………雅也って、呼んでも………………良い?」
桜井ははにかんで、小さく頷いた。吐いた息が、やたらと白かった。
今までずっと伊武が“待って”と言っていたのは、最初の一文字で諦めた言葉を誤魔化していたのだろう。
「俺も……………………その………………………」
雪で濡れた髪をしきりに撫でながら、桜井は言葉を紡ぐ。
「ええと……………………………………深司って呼んで良いかな?」
こくこくこく。
伊武は無言で何度も頷く。
「………………………………雅………也」
「深司…………………」
名前で呼び合ってみて、ほんのり頬を染めた後、クスクスと2人で笑った。
呼び合う練習をしながら、公園を後にする。
くすぐったいし、落ち着かないし、妙に照れてしまうので、手はコートのポケットに深く突っ込まれていた。
後日。あれだけ練習したのにも関わらず、名前を呼ぶ途中で誤魔化してしまう。
「…し、……宿題……………終わった?」
「ま、……………………まだ…………かな」
こいつら宿題の事で何緊張しているんだ?
桜井と伊武の会話をたまたま耳にした橘は首を傾げた。
神尾は伊武に“これからは深司じゃなくて、伊武って呼んでくれない?”と言われ、絶交宣言されたと勘違いし、杏に泣きついて慰めてもらったとか、もらわなかったとか………………
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