「手錠ってずっとつけたままなんだよな」
「えぇ」
「食事風呂就寝トイレ全部?」
「えぇ、食事風呂就寝トイレ全部です」
念を押した聞き方の割に、月の反応は「ふーん」と呟いただけだった。
あっさりした物言いに答えた竜崎の方が拍子抜けする。
「結構どうでも良さそうな反応ですね」
「食事は特に問題ないし、風呂は公衆浴場だと思えば良いし、寝るのも修学旅行とかの雑魚寝と変わらなそうだし。
トイレは正直慣れた」
繊細な顔だちとは裏腹に意外と神経が図太い。
竜崎は取りあえず安心した。いちいち気にするような人間では生活自体がままならないからだ。
「じゃあこれからよろしく。竜崎」
「はい。よろしくお願いします、夜神くん」
竜崎が軽くお辞儀をすると夜神も軽く礼を返した。
まるでままごと遊びのようだと感じた。
手錠でつながれて初めての夜もそろそろふけてきた。
牢から出てきたばかりの月はまだ疲れやすい。早めに休息をとった方が良いと竜崎は判断した。
「夜神くん、休みませんか?疲れているでしょう」
「あぁ、うん……・正直言うと」
「では寝室に向かいますか?」
「いや……その前に風呂に」
「風呂ですか?」
「うん、入りたい」
「わかりました」
月と連れ立って脱衣所へ向かう。
Lはあまり風呂に頻繁に入りたがらない質なので、疲れているのだから別に構わないのではと考えてしまう。
そこまでこだわるなんて年頃の少女か?と思うが、それを言うと本人は激怒するに決まっているので割愛する。
脱衣所で服と手錠を外して風呂のドアをくぐる。
一般のそれより広い浴室に月が小さく感嘆の声をあげた。
「広……」
「2人で使う事になったので予定より大きく作らせました」
「そうなんだ。夜景綺麗だし、女の子なら喜びそうだよね」
窓から見える都市が生み出す光の群れを目で追いながら月は言った。
「夜景を愛でるのに女性である事は関係ないと思いますが。夜神くんは喜ばないんですか?」
シャワーのコックをひねりながらLは言った。
彼の為に眺めの良い所に作ったのだが、興味はないらしい。
「夜景、良いと思うよ。綺麗だし」
体を洗いはじめたLからシャワーを受け取りながら月は言う。
湯を使いながら「女の子ならより喜ぶだろう」と笑った。
「女性の中にも夜景が好きでない人もいるでしょう。男性も然りです。
問題は夜神くんが好きかどうかです。この景色は好きですか?」
「……綺麗だと思うよ」
「では喜びますか?」
「……まぁ、綺麗な所である事は喜ばしいと思うけど」
「そうですか。それは良かった」
喜んでるという割に顔が苦笑いなのが気に入らないが、恥ずかしがっていると解釈しよう。
第一風呂と言う裸の状態で満面の笑みなどで答えられたらそれこそ心臓に悪い。
Lはじっと体を洗っている月を観察した。
泡に包まれた体は以前に比べるとずいぶん細くなっている。
外に出ていないせいで肌は白く、顔のやつれも完全にとれたとは言いにくい。
そんな病的な状態でも、彼の美しさは阻害されていない。
そのことにLは小さな感動を覚えた。
「竜崎、どうしたんだ?手が動いてないぞ」
月の指摘に、見る事に重点を起き過ぎて体を洗うのがおざなりになっていた事に気付く。
もともと入浴が好きではないので、これで良いかと判断して泡を落とそうとシャワーに手をのばす。
するとその手を月の手がぴしゃりとはね除けた。
「まだちゃんと洗えてない」
怒られて渋々もう一度洗い直す。
結局夜神とはワンテンポ遅れての行動となり、浴槽に向かう事を月から許可された時には月は既に湯舟に使っていると言う状態になった。
「先に入らなくても良いじゃないですか」
「先に洗い終わってたし、ずっと外にいたら風邪引くだろ?」
広めの浴槽に身を沈める。
月が窓の近く、浴槽の奥の方にいるためなんとなく中途半端な距離が月とLの間に出来てしまった。
会話はできるが目の前とは言いがたい。
近付いて行っても良いのか判断しかねていると、月の方からこちらに近付いてきた。
「竜崎」
じっと顔を見つめられる。
花が綻ぶような微笑みはかわいらしかったが、何を企んでいるのかと嫌な予感も感じさせる。
「えいっ」
ばしゃっとLの顔に湯の固まりが叩き付けられた。思いっきりお湯が目に入る。
顔を手で拭って月を見ると、悪戯が成功したためか子供のような無邪気な笑みを浮かべていた。
「何をするんですか?」
「竜崎これ知らない?」
そういって月は湯の表層近くで手を組み、それを勢い良く動かした。
すると手の隙間から湯が勢い良く飛び出す。
「なんですかそれ?」
「手の水鉄砲。やった事ない?」
「ないです」
Lは取りあえず見よう見まねで同じような手の形を作って試してみるが、なかなかうまく行かない。
それをみて月がクスリと笑った。
なんだか面白くない。
「夜神くん」
「ん?どうした竜ざ……」
月の声はばしゃんと言う水音にかき消された。
月の顔面に向けてLが湯を放ったのだ。
ただしLは水鉄砲がうまく出来なかったので直接湯をすくっての攻撃。
水鉄砲より遥かに多い湯量に月は少しむせてしまう。
「何するんだよ!」
「仕返しです」
「こんないっぱい掛けてないッ!」
月は顔を手で拭って、水が滴り落ちる髪の毛をかき上げた。
そして今度は手を使ってLの顔面に向けて湯をぶつける。
「夜神くん……」
「僕はあんなにお湯掛けてないから、正当な報復だろ?」
2人ともやられたらやり返すが信条のようなもの。
そのまま湯の掛け合いに発展したのは当然とも言える。
ばしゃばしゃと激しい水音をたてて、2人の攻防は続いた。
体力が落ちてしまったため月の息がそろそろ荒くなってきている。
勝てる、と確信したLの方も何故かふらふらとして体がおぼつかなくなっていた。
「りゅうざき?」
それに気付いた月が怪訝そうな声で呼び掛ける。
それに答えようとした瞬間、Lの意識は薄れて体がよろめいた。
ゴッと言う激しい音をどこかで聞く。意識がブラックアウトした。
「ん、気が付いた?」
ぼんやりと目を開くと、そこには夜神の顔があった。
状況が良く分からない。
辺りを見回すとそこはリビングに置いてあるソファの上で、自分の頭は月の膝の上にある。
そんな自分に都合の良い状況などあるか、と思考するが頭ががんがんとして気持ちが悪くこれ以上考える事など出来ない。
顔の横からさわさわと風が吹いてくる。
横目で見やれば月がファイルを団扇代わりにして扇いでいた。
「吃驚したよ。竜崎が湯舟の中で突然倒れるから。原因は湯あたりかなんかだと思うけど」
「そうですか……妙に頭が痛いんですが」
「倒れた時に頭ぶつけたんだよ」
意識を失う直前の音はこれだったのかと合点が行く。
「手錠が……初日なのに早速外れた状態になってしまいました」
「初日だから仕方ないと思え。ちゃんとずっと近くに居たから。
どうせこの部屋にも監視カメラ付いてるんだろ?確認してくれ」
「はい。そのつもりです」
ごろりと頭を動かして月の腹の辺りに顔を密着させる。
「おい、竜崎」
「風呂上がりの夜神くんの体温が暖かくて心地良いです」
そのままぎゅっとひっついてくるLに月はため息を漏らした。
「ところで私着替えてますけどそこまでは意識あったんですか?」
「ぜんぜん意識ないよ。僕が着替えさせた」
只でさえ疲れている所に風呂でのふざけあいとLの世話で夜神の体力ももう限界に近いらしい。
今すぐ眠りに付きたいのか目がとろんとしはじめている。
「じゃあ監視カメラを見れば私に甲斐甲斐しく尽す夜神くんが見れる訳ですね。
楽しみです」
「……そんな事を楽しみにするなよ」
返す声にも力がない。弱っている月を見るのは楽しかった。
この際自分も弱っている事は棚にあげて置く。
「このまま眠ってしまいたいですね」
「これじゃ寝れないよ。ベッドに行こ」
膝の上で言うLに月は苦笑している。
しかしLとしてはこの心地よさは離れがたいものがあった。
「ベッドに行くのは良いんですけど、そこでも膝枕してくれます?」
「膝枕じゃ僕が寝れないだろ……腕枕ならまだしも」
「腕なら私がしたいです」
「僕はされたくないよ」
「されるのもするのも対して違いはないじゃないですか」
させてくれないのなら此処から動きません、と竜崎は両腕を月の腹のあたりにからめた。
抱きとめられて月は立ち上がる事も出来なくなる。
「僕、疲れたから寝たいんだけど」
「でしたら私の腕の中で眠る事を認めて下さい」
「嫌な言い方だな」
「嫌ですか?」
「言い方、がね」
その言葉を了承ととってLは立ち上がった。
まだ少し体に疲れは残っているが、そんなものはたいした事ではない。
「ああ、忘れていました」
「?」
Lは月の手を引いて棚の前まで行く。
そしてその中から手錠とその鍵を取り出した。
「あぁ、手錠」
「付け忘れてはいけません。ずっと一緒ですから」
その言葉を聞いて、月が悪戯っぽく笑った。
「食事風呂就寝トイレ全部?」
月の言葉にLもクスリと笑う。
「えぇ、食事風呂就寝トイレ全部です」