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酒屋さん
 青い絵の具を広げたみたいに真っ青な空が広がり、空気はカラッとしていて爽やかな風が吹く。
そんな絶好の洗濯日和だった。
 結婚生活を始めて二日目。
初日と午前中の嫌な気分を洗い流してくれそうな良い天気だった。
正直言ってこの疑似結婚生活は今の所は散々な結果であると言える。
 Lがいない間の僕は結構上手くやれていたと思う。
それなりに余裕を持って家事もこなせていた。
しかしLが帰って来るとそんな余裕は一切ない。
帰って来て早々お帰りなさいのキスを要求し、作った料理は嫌々食べられ、風呂に入れれば脱いだ物を片付けない。

とてもストレスが溜まる。

 料理の件や服を脱ぎっぱなしにするのは今までの生活からの悪癖だろう。
だがキスなんかは嫌がらせが目的だとしか思えない。
と言ってもさすがにもう3回もやったので良い加減耐性も出来たと思うが。
「気持ち良いな」
『外でリンゴ食ったら旨そうだ』
 普段はインドア派の死神までそう言うくらい良い天気だった。
ベランダに出て2人分の少ない洗濯物を取り込みながら風を受ける。
たくさんの洗濯物も一緒に風を受け、ゆらゆらと揺れた。
洗濯物は太陽の光で暖まっていて触った感触が心地良い。
 洗濯物を取り込み終えると僕は部屋の一番陽の当たる場所まで移動した。
陽の光を浴びながら衣類を畳み始める。
「あっ、ちゃんと落ちてる」
 手の中の真っ白いシャツを見て思わず僕は呟いた。
その声に反応してリュークもシャツを覗き込む。
『おぉっ!ちゃんと白くなってるな、ライト!』
 手の中のLのシャツは洗濯機に入れようとした時にべっとりとチョコレートの汚れが付いていたのだ。
Lのだらしない食べ方を思えば当然とも言えるかも知れない。
「漂白剤の力ってすごいな」
 汚れが取れたことに嬉しくなり、綺麗になったシャツを抱き締めた。
太陽の熱で暖かく、心地良い感触に思わず顔を寄せる。
暖かさが伝わると同時に太陽とL自身の匂いがした。
なんだか安心する。
このまま眠ってしまいたくなる。


ピンポーン


 睡魔は突然の呼び出し音に破られた。
まさかこの家に来客がくるとは意外だ。立ち上がって急いで玄関まで行く。
ドアをあけると見知らぬ男が満面の笑みで立っていた。
そしてこちらが口を開く前に一気に捲し立てるように喋り始める。

「初めまして。近所にある酒屋の物です。 実は私どもの店では御用聞きのサービスをしていまして、 皆様の御注文の品を全てお宅まで配達させて頂いているんです。 新しく入居して来た方がいると聞きまして御挨拶に参りました。 どうでしょうか?我が店では日本酒からワインまで様々なお酒を取り揃えています。 貴女みたいな美人の方にはサービスしますよ。 出合いの記念に一本どうすか?奥さん!」

 あらかじめ練習していたんだろうと感じさせる喋り方だった。
何よりこちらを向いているのに目は僕を捉えていない。
喋ることだけで手一杯になっているのだろう。
 一つため息を付くと、男の目が驚きに少し見開かれた。
漸く目の前の人間がセールス文句の対象外だと気付いたらしい。
「若奥さん……じゃ無いですよね?お姉さん?」
「お仕事御苦労様です。酒屋さん」
 強調するようにいつもより一段低い声で話す。
「すいません。お兄さんですね……」
 幼い頃は女の子に間違えられることもあるにはあった。
しかしこれだけ成長してから間違えられるとは露にも思わなかった。
「すいません。入居して来た方は若い夫婦だって聞いてたんで先入観が……」
「夫婦だって誰に聞いたんです?」
「えっと管理人さんに」
 犯人はLか!
手続きの時に妻と一緒にとでも言ったのだろうか?
相変わらずやること成すこと不愉快な男だ。
「本当に済みません」
 酒屋の男は20半ばのそれなりの容姿の男で、主婦という年齢層の人間に受けそうな感じだった。
こういうタイプの人間が褒めながら売り込みに来ると絆される者も多いのだろう。
「家族で住んでるんですか?」
「いえ、友人と同居してます」
 決して間違いでは無い。
たとえどんな馬鹿げた設定が用意されていようとも一応関係は大学の友人だ。
その言葉に酒屋の男は意外そうな表情をする。
「こういう所に同居って珍しいですね。学生ですよね?学校は?」
「休みなんで」
 これは嘘だ。
この同居の為に大学を一週間休むことになってしまった。
最もそれが悪いことだとは言えない。
監視されているとはいえ自由な時間が増えたのはずいぶん楽だ。
 見付からないように気を使えばいつでもデスノートを書ける。
昨日もデスノートを料理メモに使ってさり気なく犯罪者を殺せた。
リュークはしっかり買い物にまで利用されたノートに複雑な表情をしていたが。
「大変でしょう?家事」
 僕の手許を指差して酒屋が言う。
何故手を指差されるのかと見てみると、僕の手にはしっかりLのシャツが握られていた。
持ったまま玄関に来てしまったらしい。しかも今の自分はしっかりエプロン着用だ。マニュアルに記載されているのだから仕方ないが。
誤魔化すように手を後ろに持っていって、シャツを背で隠して話を続けた。
「そうですね。友人が偏食で」
「料理もしてるんですか。大変ですね」
「えぇ、まぁ」
 少し墓穴を掘ったかとも思ったが、どうせ1週間で離れる家だ。
もう気にしないでおく。
「料理するなら調味料とかお酒とかも買ってますよね。
なんか注文あります? 間違えたお詫びに安くすしますよ」
 料理のフレーズに売り込みを再開させたらしい。
軽快にサービスを織りまぜているが飽くまで安くする迄なのが商魂逞しい。
断ろうかとも思ったがこのタイプはしつこく売り込んでくるだろう。
そんな事態になる方が面倒だ。
「じゃあ一つお酒を。もし無いんなら他のは良いです」
「はい。どの様な品で?」
 頭の中に浮かんだそれはあまり置いてある店が少ないと聞いたことがある。
もしこれがあったら昨日から密かに考えていたことを実行してしまおう。
そう考えた。





 今日2回目のチャイムが鳴った。
そろそろ辺りが暗くなるこの時間。今度は来客などでは無い。
分かり切った相手の為に僕は金属製のドアを開けた。
「おかえり」
 玄関先の段差のために少し屈んでLの頬にキスをする。
慣れればなんて事も無い儀式だ。僕はLがキスを返すのを同じ体勢で待った。
「只今戻りました」
 Lの言葉とともに頬に相手の唇が触れるはずだった。
が、頬に触れるはずのLの唇が自分の唇と重なった。
小さく音をたててLの顔が離れていく。
触れるだけのキスだが不意打ちのそれに、僕は思わずLを撥ね除けようと腕を伸ばした。
しかしその手を簡単に掴まれてしまう。
「別に初めてじゃ無いんでしょう?なら良いじゃ無いですか」
「そういう問題じゃ無い!」
「頬も唇も同じですよ」
 違うと反論したかったが、それを追求するのは初めてを気にする女みたいだったので僕は口をつぐんだ。
しれっとした態度でリビングに向かうLを後ろから追い掛ける。
手を掴まれたままなので変な体勢だ。
「月くん。私今苛々してます。余り怒らせないで下さい」
 勝手な言い種に怒りが募る。だいたい苛々しているのはこっちの方だ。
何に怒っているのか知らないが僕に当たるのは筋違いだろう。
 Lはリビングの椅子にいつもの体位座りで座った。
手は強く握られたまま離されない。
「離してくれ、竜崎」
 押し黙って動こうともしない。
「竜崎っ」
 強く引っ張って無理矢理腕を外した。
だからと言って何をするでもなく只じっと虚空を見つめながら黙っている。
何をしたいのか分からないが勝手に苛々していれば良い。
 僕はLを気にしないことにした。
それでもあいつの食事の用意はしないといけない。
僕は既にほとんど準備の整っていた夕食に最後の仕上げをして器によそった。
1人分だ。
 自分の席に料理を置いて竜崎の席には何も乗っていない皿とワイングラス。
「嫌がらせですか?」
「違うよ」
 僕は冷蔵庫からケーキの箱を取って竜崎の前に置いた。
「昨日から思ってたんだけど、竜崎はケーキの方が良いんだろ?」
「それで買って来たんですか?」
「そう。お前が好きなのにしようと思ってわざわざ銀座まで行ったんだよ」
 竜崎の行動の中で最も不愉快だったのが作った料理を不味そうに食べられる事だった。
自分の腕の問題ならともかく竜崎の変わった趣向が原因だ。
それで苛々するなんて馬鹿げてる。
だから文句の付けようがない様に竜崎が好みの食事を買って来た。それだけ。
「ワイン買ったのは知ってるだろ?」
「ポートワインを買っていましたね。あれは甘い物に良く合う」
「そう。日本で売ってる店は少ないって聞いてたから賭けだったんだけど」
 あの酒屋にケーキに合うワインがあれば、もう夕食はケーキにしてしまおうと決めていた。
そしてあんな地域密着型の酒屋とは思えない品揃えの良さで、見事今日のメニューはケーキに決まった。
「いりません」
「何?」
「ケーキなんていりません」
「そんなこと言うなよ。好きだろ?ケーキ」
「好きです。が、いりません」
 何を勝手なことを言っているんだ、この男は。
僕はあからさまに不満を顔に出した。しかし目の前の男の態度を思えばこれくらい当然だ。
「こんなに気を使ってやってるのに、そんなこと言うのか!?」
「気を使っている?どこがですか」
 ガシャンッと言う高い音が響いた。
Lの手がテーブルの上を払いワイングラスと皿が床に落ちて割れた音だ。
「何するんだ!」
「だってこんなの変じゃないですか!」
 僕の反論の声はLの声に阻まれた。
いつも感情の見えない声で喋るのが常で、こいつがこんな風に声を荒上げるなんて意外だった。
「夫婦なんですよ。なんで食事違うんですか?」
「それはお前が普通のだと駄目だから……」
「確かに苦手です。でも普通の生活を体験する為にこうしてるんです。
これじゃ意味がありません」
「でも苦手な物を食べるの嫌だろう?」
「私は君の作った料理が食べたいんです!」
 意外な言葉に思わず押し黙る。
あんなに嫌々食べておいて僕の料理が良いだなんて、よくもずけずけと言える物だ。
「ちょっと我が儘じゃないか?」
「えぇ、自覚してます。我が儘です。
そして私と月くんはごっこ遊びとはいえ夫婦です。やるなら完璧にしたい」
 僕は完璧にこなしてるつもりだ。
わざわざ学校迄休んで家事をしてるし、いってらっしゃいにおかえりのキスも。
「ちゃんとしてるじゃ無いか。これ以上ないくらい」
「足りません」
「じゃあどうすれば良いんだ!」
 全く配慮もない発言に耐えきれなくなって叫んでしまった。
目の端に心配そうな顔をしたリュークが映る。『L相手にそんな風にして良いのか?』と。
せっかく今迄穏やかな友人として振る舞っていたのに、今のは完全にリュークにしか見せたことのない素の自分だ。
 だがどうせLは僕の本性など百も承知だろう。
こうなったら真っ向から言ってやる。
僕が自分を偽りきれないくらいになっていると気付きながらLは声高に要求する。
「まずあの訪問販売の酒屋に私の事友人って言ったでしょう?訂正して下さい」
「は?」
「少なくとも一週間、私は君の夫です。友人じゃ無い」
 そんなこと言われても夫と住んでますなんて恥ずかしくて言える訳ない。
男夫婦じゃ無いか、それじゃ。
「そういうの言えると思う?世間体を気にしてくれ」
「嫌です」
「君が僕に対する態度を変えない限り平穏な生活は望めないね」
「何故?」
「夫婦と言う物はお互いを思いやる物だろうから」
 僕とLが相手を思い遣るなんて一度も無かった。
ケーキを買ってきたことだって、どちらかと言えば自分の為だ。
Lの不愉快な食べる様子を見ない為。Lだって似たような物だろう。
自分の思う通りに行かないから、こうして無理矢理に我を通そうとする。
 Lは何を考えているのか口元に手をやって暫く黙っていた。
やがてぼそぼそと小さな声で喋り出す。
「……松田さんが昨日私が不味そうに君の食事を食べることを怒りました。
月くんは私の食べ方不快でしたか?」
「不快だね。せっかく作ったのにそんな食べ方じゃ」
「月くんは世間体を気にする。だから外で夫婦ごっこをするのは嫌ですか?」
「嫌だよ。恥ずかしい」
「私は家族を知りたいから、ここでは月くんの作った普通の食事がしたい。駄目ですか?」
「駄目じゃない」
 僕から見れば勝手な行動ばかりだったがLには悪気の合った行動じゃないのだ。
キス以外。
そしてLから見たら僕の行動は完璧な夫婦生活のそれからは外れていた。
お互いが自分の価値観だけで行動していたからこうなってしまった。
僕もLも相手にあわせる気なんてないし、そもそも相手の事なんて考えたことなかった。



 僕は一つため息を付いてリビングを出ようとした。
「月くんっ!」
 僕が出るのを咎めるようにLが名前を呼ぶ。
それでも出ていこうとする僕を止めようとしたのかLが立ち上がろうと床に足を伸ばした。
「動くな!そこにいろ!」
「何故です!」
「皿の破片があるから。今掃除機取ってくる」
 Lの表情はぽかんとしていて間抜けだった。
僕が掃除機を持ってリビングに帰ってくると、Lの座る椅子の周囲に大きめの破片が集まっていた。椅子の上から自分で拾ったらしい。
僕が無言で掃除機を掛けはじめるとぼそりとLが呟いた。
「皿を割ったのは迷惑ですよね」
「あぁ、迷惑だ」
 僕の言葉にLは黙り込んで掃除機が吸い込む音だけが家中に響いた。
そこら中に広がった破片を全て吸い取って、その掃除機の音すら止んでしまう。
Lは黙り続けている。少しは気にしていると言うことだろうか。
「皿を割ったのは迷惑だったけど、破片拾ってくれたのは感謝するよ。
…………ありがとう」
 僕からの感謝の言葉にLは意外そうな反応を示した。
しかし僕だって少しくらいは反省してやっても良いと思っているのだ。
Lの望む完璧な夫婦にとって僕の行動は、酒屋の件はともかく料理に関しては外れていただろう。
個人的には本当に意外な話だけど、結構Lはちゃんと家族を知りたいようだし。
「月くん」
 僕を呼ぶLの声がいつもと少し違った。
何かを言いたいけどそれを躊躇っているような響き。
何を躊躇ってるかなんてすぐ分かる。
負けず嫌いだから『仲直り』だなんて言葉言いたくないんだろう?
それを先読みして僕は言葉を紡ぐ。
「先に謝りたくはないね」
「私もです」
 僕が嫌ならお前も嫌だなんて分かり切ってることだ。
僕もLも同じくらい負けず嫌いなのだから。
「じゃあ妥協案で同時に」
 僕の提案にLが頷いた。
言葉を発するタイミングを計ろうとLの顔を見る。
2人で生活するようになってから初めて、ちゃんと顔を見たような気がした。




「済みません」
「ごめんなさい」




 音の違う2つの謝りの言葉が重なった。
本当に同時に言った事に何故か少し笑いが込み上げてくる。
僕はLと一緒に住んでいると言うことを初めて実感した。

長い……普段の倍近くありそう。
台詞ばっかりどんどん長くなりました。
内容がちょっと支離滅裂気味です。



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