Text
お隣さん
 引いて行く景色、見えなくなって行く顔。
ドアが閉まる金属音が部屋に響いて、僕は部屋に独り取り残された。
『行ったな、L』
 訂正。リュークも一緒だ。その事に何故かほっとして溜め息を付いてしまった。
僕はリュークの言葉にさり気なさを装って軽く頷いた。
『寂しくなるな……』
 なんだリューク、いつの間にLを気に入ったんだ?
そう目で問いかけるとリュークは吃驚したようにして言った。
『あいつがいると賑やかだろ?すぐ事件起こすし』
 確かに日常生活と言うものにおいても竜崎の行動は突拍子もない事が多い。
せっかく普通の生活にも慣れたかと思えば昨日のように唐突に変な行動に出るから休む暇もない。
相手をするのは疲れるけれど、その度に返される反応は興味深いものがある。
 結局Lが僕を嫌おうとする理由は分からなかった。ただ、あの男が欲しているのは表面的な嫌悪でも良いという事はなんとなく分かった。今まで嫌悪を隠し上辺だけの夫婦ごっこを続けていたのに、それを取りやめて上辺だけでも良いので嫌悪で振る舞って欲しい。そういう考えらしい。
だがそれは明らかに僕達の本来の関係から矛盾を引き起こしている。
これでは今隠したいのは好意であると考えられないか?
「竜崎は僕のことどう思ってるんだろ?」
『結構好きなんじゃないか?嫌いになれないって言ってたし』
 嫌いになれない。それは確かに僕への好意が前提になったものだ。
だったらどうして嫌いになって欲しいのか。別にそのままでも良いじゃないか。
好感を持った者同士なら生活もしやすいだろうに。最も、もう一緒に暮らす事になっている時間は幾許も残っていないのだが。
『あとキスとか凄かった』
「キスか……」
 リュークの言葉に少し照れが混じっていた。
触れるくらいのキスなら兎も角として、昨夜の様なキスはリュークに見られていたのだと思うとかなり恥ずかしい。確かに自分からキスをしに行ったのだが、あんなに激しくなったのはLのせいと言っても構わないだろう。
「あいつが舌突っ込んでくるから……」
 その瞬間ガシャンと高い音が響いた。
皿やガラスが割れる時のそれは右隣の部屋から聞こえてきた。
おかしい。その部屋に今は入居者は居ないはずだ。
 不信感と好奇心に惹かれて僕は隣の部屋に向かった。気になるのか先にリュークが壁を通り抜けて部屋に入ろうとする。死神の体はこういう時に便利だ。
『あ』
 頭だけ突っ込んだリュークが驚いた様な声を出す。
中に誰かがいる事を確信した僕はドアノブを捻って部屋の中へと入った。
「あ」
 奇しくもリュークと同じ驚きの声を上げてしまった。
無人であるはずの部屋には無数のコードが散らばっていて何台ものテレビが置かれている。
「……やぁ、月君」
 ばつの悪そうな顔でこちらを見ている目の前の人物に僕は溜め息をついた。
「松井さん……監視が見つかったら駄目じゃないですか」
「あはは〜」
 乾いた笑いを漏らす松田さんの周りには割れたコップの破片が散らばっている。
「なんで紙コップ使わなかったんですか?」
 監視をするからには大きな物音をたてる様な真似は避けなければならない。
だったら洗う必要のある物は使わない気がするのだが……。
「いや、なんか勿体ない気がしちゃって……」
「松井さんらしい理由ですけど、紙コップの方が経済的な面も多々ありますよ」
 例えばこういう風に割れる事もない。洗う事だって水を使う方が非経済的な場合もあるのだ。
僕が大きめの破片を一つ摘み上げると松田さんが焦った声を出す。
「危ないよ!今片づけるから!」
 そう言いながら慌てて動いた松田さんは散らばった小さいガラス片を踏んづけてしまったらしい。「痛っ!」と一声上げて踏み出した足を押さえ込んでいる。ガラス自体は一目見て分かる程の大きさではなかった様だが存外に鋭かったらしい。靴下から血が滲み始めている。
「本当に危ないからそこで待ってて……ってうわっ!」
 動き出そうとした松田さんの足に触れて、床に直接置いてあったパックのコーヒーが倒れて辺り一面に茶色い水溜まりを作り出した。松田さんは急いでパックを元に戻すが周囲は酷い有り様だ。
『Lとは違う意味で忙しない奴だな』
 リュークにまで呆れられてる。色々な意味でこの先が思い遣られる人だ。
「松田さん。傷が痛むかも知れませんが、動かないで暫くここで待っててもらえます?」
「えっ?」
「色々道具持って来ますから。ここ、何も置いてないでしょう?」
「あっ、うん。……えーとお願いします」
 律儀に頭を下げる松田さんの人柄の良さに苦笑がもれる。Lではこうはいかないだろう。
「それと、僕が戻っている間ちゃんと監視しておいて下さいね。サボっちゃ駄目です」
「えぇっ!いや、分かったけど……」
 松田さんは驚きの声をあげる。自ら監視するように頼んだのが相当不思議らしい。僕としては意味のない所でLに突っ込まれない為の当然の自衛手段だったのだが。
掃除道具と救急箱を持って僕はもう一度松田さんの元にやって来た。一度釘を刺したせいか真剣な表情で監視をしている。
「今ガラス全部取っちゃいますから」
「あ、うん。ごめん」
 掃除機で細かいガラスを片付けていると本当に済まなそうな表情で松田さんが話し掛けてきた。
「迷惑掛けちゃったね」
「別に平気です。竜崎で慣れてますんで」
「……竜崎もこんな失敗するの?」
 おそらく肯定の言葉を期待してるのだろうが、竜崎は迷惑をかけるにしても松田さんとは違う次元の迷惑だ。皿を割った事もあったがそれは意図しての行動であったし、こういう風に連鎖的に問題を起こすと言う事はない。
「竜崎の場合は精神的な迷惑が多いです。突拍子がないんで」
「あぁ……」
 納得したような声を松田さんが出す。やはり他の人の竜崎の認識も同じような物だったらしい。ガラスをあらかた片付けると松田さんが僕の持って来ていた雑巾でこぼれたコーヒーを拭き始めた。感謝の意味を込めて「すみません」と僕が声をかけると逆に恐縮したような動作で松田さんがそれを遮った。
「だって僕がこぼしたんだよ?月くんがやる必要の方が全くないじゃないか!」
 その言葉に確かにそうだと僕は今更ながら気づかされた。
たかだが5日程度とはいえずっと家事をして来たせいで、どうやら僕には家事は自分がするというおかしな固定観念が染み付いてしまったらしい。
「そうですよね……なんか家事をするのが当然になっちゃって、手伝ってくれるだけで充分って感じで……」
「竜崎は手伝いする?」
「やってくれって言えばそうしてくれます」
「結構ちゃんと同居生活してるんだね」
 生活の方は問題ないが態度の方は迷惑きわまりない。こうも態度をころころと変えられてはどうすれば良いのか分からなくなってしまうし、しかも仕事とはいえいきなり海外に出て行ってしまうし。思わず考え込んでしまっていた僕に恐る恐る松田さんが話し掛けて来た。
「あのさ……キス、舌入れられたって」
 唐突な言葉。恐らく監視の為に玄関先での独り言を聞いてしまったのだろう。確かに第三者的には衝撃の言葉のはずだ。僕だって毎日触れるだけとはいえキスをして来た相手じゃなかったらもっとショックを受けていた。もっとも竜崎とキスするようになったそもそもの原因は目の前にいる人物のせいではあったが。
「まぁ色々あったんで」
 説明はしたくない。そう思って不機嫌さを出しながら答えると、その話題が地雷だと気遣って笑い話のように明るく話だす。
「いやぁ、すごいびっくりしちゃって……思わずコップ落としちゃったよ」
「じゃあコップ代竜崎に請求しないといけませんね」
 こちらも冗談で返す。目でキスに関する話は終了だという合図を送った。それを理解した松田さんが「そうするよ」と笑いながら答える。
 社交慣れしているな、と感じた。おそらく生来の性格のせいもあるだろうが、会話の上での気遣い方や引き際が上手い。Lだったら絶対問いつめてくる。
「月君、ちょっとその救急箱借りて良い?」
 そう言えば怪我をしているんだった。
慌てて救急箱を差し出すと松田さんは意外と手際良く怪我の処置をしていく。
常識知らずのLもさすがに応急処置は仕事に多少なり関係するだろうから出来そうだ。松田さんの手際の良さも仕事に関係するからだろうし、そう言う意味では結構似ているのかも知れない。
 そんな事を思いながら一応今後の為に部屋を観察していると、部屋が五日間も監視を行っていた割には綺麗すぎる事に気が付いた。
埃の状態等から、どうやらここに監視設備を置いたのは昨日今日の話である事が分かる。
 その事を松田さんに伝えると「よく分かったね」なんて暢気に答えてくれた。
「前は監視は本部でやってて尾行の人がこっちで待機だったんだけど」
 そこで松田さんはいったん話を止めて尾行をつけていた事に付いて謝ってきた。別に松田さんが指示したわけでもないのだから気にしなくても良いのに。
「それでね、竜崎の出張にあたって一つにまとめようって事になったんだ。
でも相原さんがやると家に帰れなくなって大変だろう?だから竜崎が僕に全部任せるって」
 おかげで自分が家に帰れないと松田さんが笑う。だが僕にはそれどころではなかった。
「つまり相原さんが家族と一緒にいられる様に竜崎が配慮したってことですか?」
「そういうこと」
「あの竜崎が…」
「月君と一緒に暮らしてるせいかな?最近竜崎丸くなったよ」
 あの家族の繋がりなんて理解不能だと言わんばかりだった竜崎が相原さんへの配慮を見せた。
あんな表面をなぞるだけのごっこ遊びでも分かるものなのか?
兎に角竜崎の変化を純粋に嬉しいと思う自分がいた。
自然と笑みもこぼれる。そんな僕を見ながら松田さんはしみじみと言った。
「月君ってさ、良い子だよね」
「えっ……?」
「だって竜崎のいきなりの夫婦ごっこにも付き合ってるし。家事なんて男なら進んでやりたいなんてあんまり思わないだろ?それでもずっとしてて……それにキス……なんてされたら普通キレるよ?でもさ怒らないし嫌いにならないし。むしろ竜崎の成長喜んでるし」
「そんな大した事は……それに目の前で直接誉められるのは恥ずかしいですよ」
 羅列されて行く褒め言葉にそう返す。半分は社交辞令だったがもう半分は本心だった。
列挙された事柄の大抵の事が僕にとっては仕方なくとった行動とも言えるからだ。それらは自然発生した自分の意志ではなく媚売りだから、誉められるのは気分が良くない。
 だが松田さんはそんな事を知るはずもなく、笑いながら僕に話し掛けてくる。


「いや、本当に。なんで竜崎は月君の事キラって疑うんだろうね」


 何気なく出された一言だった。
しかし僕はそんな当たり前の一言に今更竜崎の奇行の原因を見出せた。
 竜崎は僕に嫌いになって欲しいと言う。
竜崎は僕を嫌いになれない。普通の友人関係だったら問題ないことなのだろう。
むしろそれほど好意が抱ける良い相手と言う事だ。
だが僕はキラ候補だ。
竜崎はキラ候補に好意を抱いてはいけないと、そう思って変な行動をするようになったのだ。



「松田さん。僕、そろそろ戻りますね」
「確かにここにあんまり居ても駄目だよね」
 唐突な言い出しだったのだが人の良い彼はそれを気にせずに見送ってくれた。
もちろん監視の意味合いもあったのだろうが、それ以上に僕の事を気遣ってのものだろう。
そういう人だ。
 部屋に戻った僕は足を迷いなく自分の部屋へと進めた。
ベッドに倒れこんで1日振りのこの部屋の空気を吸い込む。閉じ込もった空気の冷たさや湿っぽさが、いつもなら不快でしかないのに逆に心地よかった。
『ライト、どうしたんだ?』
 話し掛けてくるりュークにしか聞こえないような、最低限の小声で僕は呟いた。
「幻滅した……Lに」
 あえて『L』とあの男を通称で呼んだ。
竜崎にではない、Lというキラを追う男への不満だった。
 ベッドに顔を押し付けながら言う僕にリュークが困った様な声を出す。
『ライト大丈夫か?泣いてたりしないよな?』
 僕を馬鹿にしているのかい?リューク。
いくら顔が見えないからってその発想はないだろう。
涙なんて出るはずがない。自分が勝手にLなら『そう』だろうと思っていた事が違っていた。
それだけの話なのだから。



Lなら僕がキラだという前提でも好きになってくれると思ってたのに……
なんか月が乙女くさい。すいません。



menu