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おすそわけ
 飛行機から降り立つと目に眩しい朝日が私を出迎えた。
酷く頭の調子が悪い。いつもなら時差も気にせず行動できるのだが、ここ数日の規則正しい生活のせいで上手く切り替えが出来ないでいる。
「コイル、お迎えに上がりました」
 混雑するターミナルの向こうから、スーツに身を包んだ女が私に声を掛けた。私の偽名の一つを口にした女が今回の件の案内人らしい。
 私は女の元に自ら足を進めた。近付いて来た私を見て女も私の方に歩き出す。
そばまで寄ると女の方は挨拶をするために立ち止まって、右手を差し出して来た。握手をしようとするその動作を私は無視して空港の出口へと向かった。無視された事を驚いた女が私を追いかけてくる。
「忙しいので、早く終わらせましょう」
「せっかちですね」
 私の言葉に女は少し口を尖らせて答えた。
女はサラと名乗った。年齢は二十代後半くらいだったが、それで私を直接案内する役目を担ったのだがらそこそこに有能なのだろう。スーツと香水を着こなすいかにもキャリア指向の女だった。
 彼女に連れられて目的地のホテルに向かう。
本来なら彼女らの本拠地に行くはずだったのだが、仕事をするのはホテルになると分かっていた為に向こうをこちらに呼び寄せる事にしたのだ。こういう時に金と権力と言うものは実に役立つ。ある分だけ行動の自由を約束させる。
 しかし感情は自由に出来ない。それさえも自由にできるのならこれ程良い物はないのに。
むしろLと言う力ある立場が私の感情を制限している。
いや、制限しているのは彼がキラの容疑者であると言う事だろうか?
 私が気にしているのはどちらなのだろう。
キラの可能性ある夜神月の事なのか、それともLという自分の立場の事なのだろうか。
どちらにしても私にとって彼への好意はマイナスの感情。考える必要もない。
 予定のホテルで相手との話し合いを終えた私は、自分がとった部屋に引きこもってひたすらに仕事を続けた。わざわざ日本から来たというのに、話し合い自体はたかが1時間程度だった。このために約半日を掛けてここ迄来たのだ。
 相手のメンツをたてるなんて下らないと思うが、そんな理由で動かなければならない自分がもっと不快で仕方がなかった。
 いっそLでなければこんな煩わしい事とは関わりあいにならなくて済んだのだろう。


もし私がLでなければ、夜神との事でこんなに悩む必要もなかったのだろうか……


 現実逃避のそれに自嘲の溜め息を付くと突然背後から声が掛かった。
「何か不都合でもありましたか?」
 いきなり声を掛けられたことに驚き振り返ると、ドアの近くでサラが私を不機嫌そうに眺めていた。しかし本来なら機嫌を悪くするのは私の方だろう。
「勝手に入ってくるとはどういうことです?」
 非難の目で見るがサラはまったく堪えた様子がなく、むしろ呆れた様なジェスチャーをとる。
「ノックもしたし声も掛けました。でも10分間ずっと気付かなかったでしょう」
 あまりに気付かないので入って来てしまったと彼女は言う。確かにそれだけの時間気付かなかったのは私の不手際だ。
やはりワタリの様な補佐役がいないと私のような人間はやって生けないらしい。
「で、何の用事でしょうか?」
「昼食のおすそ分けに」
「昼食?」
「食事を取っていないでしょう?私は一応貴方のお世話を任されているの」
 だからこうしてわざわざ世話を焼きに来たらしい。すでに昼食の時間は大分過ぎていたのだが、確かに食事を取っていなかった。それどころか糖分も取っていない。
 彼女は手際よく私の周囲を片付けて食事を置いて行く。テキパキとした行動に夜神を思い出した。彼の動きも合理的で無駄がなかった。
 ただ彼の場合はそうして用意をする前にコーヒーを私にだしてくれていた。それは私への心遣いであると同時に忙しいから邪魔をするなと言う意思表示でもあった。
 料理中の彼に初めて声を掛けた時に渡されたのだ。忙しいから待っていてくれと。
サラは逆に最後にコーヒーをだした。手渡されたのでそのまま口に持って行こうとするが、飲む寸前でそれがブラックである事に気が付いた。夜神は甘いカフェオレの状態で私に渡すので危うくそのまま飲む所だった。
 寸前で留まって砂糖とミルクをコーヒーに入れる私にサラは思い出したように言った。
「食事、嫌いなメニューでないと良いんですけど」
 それはまさしく一応言っておいたという風だった。並べられた食事は一般向き、いわば万人受けするようなものだ。普通なら嫌う人は少ない。彼女もそれを考えた社交辞令的なものとして言ったのだろう。
 しかし私の場合は一般的な食事の方が鬼門だと言える。
夜神と暮らして普通の食事もとるようになったので、大丈夫だとは思うが不安は拭えない。
そしてその不安は適中した。
 不味いとは言わない。食べれない味でもない。
だが夜神の作った食事と何が違うのか率先して食べたいとは思えなかった。
 作ったのは夜神でもないから気にする必要もない。そう判断した私はフォークを投げ出して、食べる事を放棄した。まさか食事を取る事を止められるとは思っていなかったのか、サラが驚いた表情をする。
「嫌いでした?それとも食欲がない?」
「食べる気がしません」
 素っ気無い私の態度にサラは少し顔を歪ませた。せっかく用意した昼食をぞんざいな扱いにされたのが不快だったのだろう。
「……だったら他に入り用の物はあります?」
 不快でもこうして聞いてくるのは仕事だからだろう。私はふとある考えを思い付いた。


「では、優しくして下さい」


 それを言った時の唖然とした表情は少し面白かった。
しかしサラはすぐに表情を消して探るような視線を送る。不快感から来る敵意とコイルと言う人物への興味が入り交じった視線。夜神も良くこんな目で私を見る。
「それは私に好意を抱いているという事ですか?」
 やっと出て来た言葉に私は笑った。
「それは自惚れですか?」
 カッとサラの頬が朱に染まった。馬鹿にされたのだと私を睨んでくる。しかし私は馬鹿にしたつもりはない。夜神に優しくされて絆されたのだから、それを消す為にと思って言った事だ。けっしてサラと言う1人の女に好意を抱いた訳ではない。
「私は優しくされると好きになりやすい様なので」
「私を好きになりたい……?」
「今好きな人より好きになれたら丁度良いですね」
 夜神よりこの女の方が大分ましだろう。
そうした考えが透けて見えたのかサラは不快を示すように眉間にしわを寄せた。
「失礼な人ですね」
「よく言われます」
 気遣いがないとか失礼だとかはよく夜神に言われる事だ。
自覚ある事を言われても全く堪えることはない。
「第一貴方はその人が好きなのでしょう?だったら私を好きになる必要なんてないわ」
「好きになってはいけない人なんですよ」
「何故」
「立場の問題です」
 また『L』かと思わずにはいられなかった。
Lである事が私の感情の足を引っ張るのは仕方がない。それでも捨てる事は出来ないものだ。
彼と一緒にいるには自分がLでなければならない。
Lでない私に夜神が興味を持つとは思えないし、もし仮に興味を持ってくれたとしてもLでない私は彼の近くに寄る事が出来ない。
しかしそんな事は知らないとばかりにサラは吐き捨てた。
「その人の為に立場を捨てられないのなら、それほど好きな相手でもないのよ」
「そんなこと勝手に決めないで下さい!」
 私はすぐさま反論した。私の立場や彼がキラ候補である事を知らずに言う彼女を睨む。
だが今迄の鬱憤を全てはらそうといった様子でサラは声を荒らげながら言った。
「貴方は自分の立場を理由にしてるだけよ!自分の権力とかお金とかがそんなに大事?」
「そう言う問題ではありません。それがないと一緒にいられない相手です」
「だったら悩む必要も何もないじゃない!」
 サラの一言に目の覚めるような思いを受ける。
確か似そうだ。私がLでなければ夜神と一緒にはいられないのなら、私の障害は何だ?
夜神がキラである事か?
 夜神がキラである事の障害。犯罪者という事実?
いや、私は犯罪者をも手駒として使う人間だ。今更それが障害になるとは思えない。
しかし夜神は普通の犯罪者ではない。大量殺人犯だ。


私は命を気にしていたのだろうか?
自分が死ぬ事。夜神に殺される事。夜神を殺してしまうかも知れない事。


 思わず笑った。
情けない。そういう自嘲の笑いだった。
自分の命を惜しがるくらいならそもそもこの事件に関与していない。
夜神に殺される事が怖い?
それは自分が夜神に殺される程度の人間だったと言う証明だ。そんな事は認められない。
私は負けず嫌いなのだ。
 そして夜神を殺してしまう事。
それこそがLとしての権力の使い所ではないか。
生かしたいと思うのなら、それが出来るだけの権力を。
だったらなおさらLの立場は捨てられない。
「いきなりどうしたの?」
 反論を止め笑っている私に勢を削がれたらしいサラが覗き込むように私を見ていた。
「情けないと、思いまして」
「そう。思い知りなさい」
 よっぽど私に苛ついていたのだろう。彼女は足早に私から離れて行った。
しかし意外な事に彼女はすぐに戻って来た。手には備え付けの電話の子機を持って。
それを突き出して私に言う。
「私は仕事でここにいるから、貴方に優しくしてあげます」
 意外な言葉だった。唖然とする私に半ば強制的に電話を取らせる。
「今すぐ電話をして。貴方の好きな人に」
「何故……」
「そして今すぐ愛してるって言ってみて。一度越えれば覚悟が出来るます」
「覚悟……ですか」
「えぇ」
 なにかを確信しているような自信たっぷりの笑みだった。そして唐突に「頑張って」と告げるとまるで邪魔するのが悪いからとでも言いたそうに部屋の外に戻って行った。
 気の強い嵐のような女だった。
しかし最後には割と上機嫌で出て行った。恋の後押しという良い事をしたとでも思っているのだろう。
 私は自分の手の中にある電話を見た。
このまま電話をするのはサラの思い通りと言った感があり、面白くない。
しかし夜神に電話する事自体はそんなに悪くないかと思う自分がいた。
 それは自分が食事を放棄した事に起因する。
彼は最後の夜に1人で食べるのは味気ないから嫌だと言っていた。
ちゃんと食事を取っているだろうか。そんな心配が頭を掛けたのだ。
 私は意を決して電話のプッシュを押した。
コールオンが響く。5回、10回、15回。いっこうに出る様子がない。
出かけてでもいるのだろうか?しかしまだ日本は朝のはずだ。
 仕方なく私は松田に夜神の様子を聞こうと電話をした。こちらは数回のコールですぐに電話が繋がった。
「松田さん、とつぜ……」
「おはよう。竜崎」
 その声に私の言葉は止まった。
私は確かに松田に電話したはずだ。しかし電話から聞こえてくる声は明らかに松田では無い。
余りに予想外の人物に戸惑ったが、何とか冷静な声を装って私は言葉を発した。
「どうしてそこにいるんですか?月くん」
 私の驚いた様子を感じてか夜神は笑った。
悪戯に成功した子供のような無邪気な笑い方だった。
御都合展開ですね。すみません。



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