不倫?
Lが僕を嫌いになりたい理由は僕がキラだから。そのことに失望を感じるのは当然の事だと思っていた。
しかしおかしな事に僕の気持ちを知ったリュークは僕の方が変だと言う顔をした。失望感にベッドの上で寝転がる僕に『そうか?Lの方が普通だろう』などと不思議そうに言っている。
僕は起き上がって携帯を手にとった。
いかにも電話を掛けているように手を動かすが実際には何のボタンも押していない。
コール音も何もしない電話を耳に当てて僕は誰もいない先に声を掛けた。
「もしもし」
『誰にもかけてないじゃん』
当然の様に突っ込みを入れるリュークの声を無視して、僕は態とらしく朗らかに言った。
「やぁリューくん、久しぶり」
『俺かっ!ていうかリューくんって何だ!?』
「この方が良いだろう?」
『あぁ……普通の友達っぽいってことか』
「そう」
納得はした様だがあからさまに嫌そうな顔をしている。
そんなに僕がくん付けをするのが嫌なのか?目で問いかければ一言『気持ち悪い』と返って来た。
失礼なやつだ。リュークは。
大体リュークなんて明らかに日本人ではない名前を僕が出したら不自然だから仕方がないのだ。Lだったら僕の交友関係も洗ってそうなので通用しなそうだが、今の監視は松田さんだ。
普通に友人の1人と思うはず。
「で、聞きたいんだけど。あの話、僕の方が変だと思う?」
『変だと思うぞ、俺は。好きになった人間は殺せないもんじゃないのか?』
人間を殺して生きている死神の癖にずいぶんと感傷的な事を言うものだ。
「いつの間にそんな考え方が出来る様になったんだ?」
『ドラマとか映画で見たからな』
相変わらずこの死神はすっかり俗世間に染まっている。
しかしリュークはそんな物語の登場人物と僕を同じものとして捉えているのか?心外だ。
「僕が出来ないと思ってるの?」
好意を持つ相手を殺す事。
僕が愛する家族だって殺す覚悟をしたのをリュークは知ってるだろう?
Lの事をどんなふうに思ったって殺せる。
僕が絶対の自信を込めて薄く笑ってみせるとリュークも喉奥で笑った。
『……お前なら出来るだろうな』
いつも通りの会話の筈だったが何故かこの時だけ、僕はリュークの表情を読み取る事が出来なかった。僕はリュークの子供っぽい単純な所を気に入っていたが、まるで初めて会った時の様な超越者たる死神らしい表情だった。それがまるで憐れんでいるかの様に見えたのは目の錯覚だろう。僕がリュークに同情される要素はまったくない。
『じゃあLに殺されるかも知れないのは良いのか?』
次いで問われた質問こそ愚問と言うものだった。僕がLに負けるはずないじゃないか。
僕は自分が勝つ事に絶対の自信を持っている。つまり僕が負ける=死ぬと言う事は決してあり得ないと考えているのだ。
そう考えてる以上僕が殺される事を気にするなどあり得ない。
Lが僕を捕まえて死刑台に送ろうとする事はそもそも出会う前からの話なので、それに傷付く訳もない。愛する人を殺す事への躊躇もない。
つまり僕にとって人に好意を抱く事に障害なんてないのだ。それなのにLにとっては障害になるという。
そんなのおかしい。
考え方はそれぞれだなんて月並みな言葉はあるけれど、Lだけは僕と同じ思考を辿ってくれる人間だと考えていた。
「僕が出来るんだから、あいつも出来ると仮定しても良くないか?」
Lが僕と同じ考えを持っている事を望んじゃいけないのだろうか?
自分や他人の命や心を殺してでもキラを捕まえる事を優先してほしい。
僕がそうであるように。
『人間って言うより月が面白だな』
様々な話を統合して、リュークが出した結論はそれらしい。
「それは正しい評価だよ」
リュークが僕のような人間に憑けた事はとても幸運な事なのだから。
『Lがキラなんて気にしないで月のこと好きになると良いな』
リュークがあまりにしみじみと、まるで僕を気遣っているかの様に言うので、僕は思わず惚けた顔になってしまった。
「どうしてそう言う話になるんだ?」
『そう言う話じゃなかったのか?』
僕は飽くまでLのLとしての覚悟とかそう言う話をしている訳で、別に好きになって欲しい訳じゃない。
だいたいあいつに好かれて僕に何の得があると言うんだろう。
Lが誰の事が好きでも関係ない。そもそもこの阿呆な生活は将来あの男が結婚する際の予行練習だ。
つまりそれは、将来あの男に好きな女ができると言う仮定のうえでの生活である訳だ。しかし何故だろうか。そこまで思考が及ぶと途端に異様なムカつきを覚える。
もし仮にあの男が結婚をしたとすれば当然好きになった女相手に僕にしたみたいに毎朝キスをして、あの我が儘の権化としか思えないでかい態度を改めていそいそと手伝いなんかするということか?
僕以外の人間のために?
そんなふざけた話聞けるか!
この僕をそこらの女と同等に見ているって事じゃないか、それは。失礼にも程がある。
僕以外と結婚生活なんておくる前に絶対に殺してやる。
『月すごい顔になってるぞ』
びくびくと狼狽えながら指摘するリュークを一別して僕は携帯を勢い良く閉じた。ぱちんと軽快な音がなるがそれの持ち主である僕はそれとは正反対の気持ちだ。
『そんな怒った顔してるとキラってバレるぞ』
だから機嫌を治せって?安心しろリューク。今までのあの男の所行は普通の人間なら切れても良いところだ。
『今まで別にLのこと怒ってなかったじゃん』
それは目の前の出来事に目まぐるしく追われていたからだ。
今はあのすぐ騒動を起こす馬鹿がいないから、すぐに様々な事を考えてしまう。
もう早く帰ってこないのか!あいつは!Lの結婚相手の事なんか僕は考えたくないぞ!!
はたとすぐ騒動を起こす馬鹿というフレーズに異様な既視感を覚えた僕は立ち上がった。
くるりと振り返り壁を見る。正確には壁の向こうにいるであろう一人の人物を。
そういった経緯の元、僕はすっかり監視部屋であるはずの隣室に入り浸っていた。
初めは松田さんも戸惑っていたのだが僕がこの人を言いくるめないはずがない。
監視だけに使われるその部屋は本当に何も置かれていなかった。あるのは松田さん持ち込みのほんのわずかな食器や毛布など。食器を洗うためのスポンジもないのに、どうやって食器を片づける気だったのか。こういう所が松田さんが松田さんである所以なのだろう。
何もない殺風景な部屋だったがそれが僕には心地良かった。隣の部屋は『僕と竜崎の』部屋だけあって一人でいるには居心地が悪い。それにどうしても考えたくない人間を思い出してしまう。
夕食は近くのコンビニへ2人で買いに行った。
松田さんは僕の料理を食べてみたいと言っていたが、わざわざ作るのが面倒くさいと言ったらあっさり納得してくれた。
普段一人暮らしだから分かるよ、と僕に言う姿にやはり年上なんだと感じた。
Lも歳は上なんだろうが、松田さんみたいな自活する者の自立性はない。実生活においてはLより松田さんの方がよほど頼もしいのかも知れない。
久しぶりに食べたコンビニ弁当は規格化されたチープな味が口に懐かしかった。食事をしながらたわいない話に耽る。
最近のテレビの話、仕事や学校でのちょっとした失敗談。それらの話は問題なく楽しめたのだが、話が今の捜査本部になると別だった。
トラブルメーカーなだけあって話題はたいていLの話になってしまうからだ。今までの話より食い付きが悪いことに松田さんは「そろそろ部屋に戻ったら?」と言ってきた。
どうやら睡眠を欲していると思ったらしい。
「ここにいちゃ駄目ですか?」
問いかけると困ったように一度笑って「いいよ」と言ってくれる。
甘やかされる感覚に兄がいればこんな感じなのだろうかと珍しく子供っぽい感情が浮かんだ。
結局この日は僕はこの監視部屋で眠りに付いた。
といっても眠る前後の記憶はなく、目が覚めてリビングの天井なのに全く家具がない事で監視部屋で寝てしまった事を知った。
僕は見慣れない毛布にくるまって床に直接寝ていた。
近くで松田さんも背広を引っかけて寝てしまっている。僕は毛布を譲ってくれた事に感謝しながら音をたてないようにそっと立ち上がった。
それは寝かせておこうという僕の気遣いだったのだが、一つの音によってその静寂は一気に破壊されてしまった。松田さんの携帯が大きな音をたててその存在を主張している。
僕は急いで松田さんの上着を奪って着信を知らせる携帯電話を取り出した。
登録されていない電話番号だ。僕はそれにもしかして、と思うものがあった。
『松田さん』
電話を耳に当てると懐かしい声が耳に響いた。懐かしいという感覚に自分で苦笑する。
たかだか1日程度しか離れていないのに。
「おはよう。竜崎」
僕はLの言葉を遮って言った。きっと驚いているだろう。
『どうしてそこにいるんですか?月くん』
声が紡がれるまでの間と声色から少しは動揺しているのが分かった。
それが面白くて僕は忍び笑いを漏らした。
『松田がどうしてそこに?』
「来てるのは松田さんじゃなくて僕だよ」
その言葉にLは押し黙った。
苦虫を潰したような顔をしているだろう事が容易に分かる。
『それでは監視が出来てないという事ですね』
「そういう事だね」
『どうしてこんな真似するんです?』
「僕が大人しく監視される理由なんてないだろう?」
理由なんか無くても暗黙の了解の元受け入れているのが僕達の関係だった。それを壊したことはLには酷く不愉快なはずだ。
『監視のために暮らしている訳じゃありませんから正論として受け入れます。しかし本来の理由である完璧な夫婦生活という観点からはどうでしょう』
嫌味のためか殊更本来の理由という部分を強調する。
「君の妻は友達に会いに行くのも許されないのかい?」
『許されないのは友達に会う事でなく無断外泊です』
だいたい松田さんとは友人じゃないでしょう、とLは言う。
確かに友達といえる様な関係ではない。父親と友人の同僚、もしくは部下。
知り合いのお兄さんくらいが妥当なあたりだ。
『夫の仕事中に友人でもない男の元へ行ったあげくに外泊。これは理想的な夫婦生活からは外れる行為じゃありませんか?』
実際はともかくとして聞いているだけなら浮気や不倫のシチュエーションに聞こえなくもない。
「でも夫婦生活というものに浮気や不倫も定番なんじゃないかな?昼ドラとかによくあるだろ?」
『あんな低俗なものと混同しないでください』
軽い冗談に返ってきた言葉は不釣り合いな程冷たかった。そうとう怒っている。
しかし不思議なことにそれを嬉しく感じる自分がいた。
「じゃあ夫婦ごっこに準じた行動をとる事にするよ」
『そうして下さい』
Lの声音に安堵の声が混じる。よほど僕が松田さんと一緒にいるのが嫌なのだろうか?
それに一種の心地よさを感じるが、Lの望むままに行動するのは嫌だ。
僕は物わかりの良い返事をしたかのような穏やかな口調でその言葉を言った。
「夫婦ごっこらしく松田さんとデートしてくる」
遠く離れた米国の地で絶句するLの顔がありありと浮かんだ。
その姿を思い自然と笑みがこぼれてしまう僕に受話器の向こうから大声でLが言った。
『訳の分からないことを言わないで下さい!』
「何が分からないんだ?さっき言ったじゃないか。浮気も不倫も定番だって」
だからそれは昼ドラのだろうとLとリュークが同時に言った。あまりに息があっていたので僕は思わず声に出して笑ってしまったのだが、それをLはデートを楽しみにしているが故の笑いだと考えたらしい。
『許しませんよ』
「止めたいんなら早く帰ってこいよ。お前がいないと嫌なんだ」
松田さんといてもLの事を忘れる事も考える事をやめるのも結局出来ない。
考えなくてすむのは結局Lの前だけだった。
Lがいればその目がどんな時も僕しか映していない事が分かる。
早く帰って来て僕を見てくれ。そうすれば僕は安心できる。
だったらいない間はどうするか。
意地悪をしてやって自分を考えてくれるお前を思って安心する事にする。
『月くんは私の事どう思ってるんです?』
Lに改めて問われると僕は自分の感情が良く分からなかった。
少なくとも只の友達ではないと思う。こんな感情を僕は他の人間に抱いた事はない。
一瞬僕がキラで受話器の向こうの男がLだから?などと思ったが、僕は自分の感情が立場に影響されるものではないと言う事を知っていた。
この感情はなんと言うのだろう?
「帰って来たら教えてあげるよ」
それは自然と口を付いた言葉だった。自分でも分からない感情だったが、Lを前にすればその名前を知る事が出来る様な気がしたからだ。
この感情の名前を知りたい。
その名前を知りたいというフレーズに皮肉を感じて僕は苦笑した。
名前を知ったら殺すのかな?と言葉遊びに似た考えが頭に浮かぶが、デスノートじゃ感情は殺せない。
そんな馬鹿馬鹿しい結論が酷く僕を安堵させた。
感情は神でも殺せないなんて詩的だな。そんな事を考えながら神であるリュークに目配せした。
感情の名前は見えない死神が不思議そうにして僕を見た。