出張帰宅
帰ってきた。やっと帰って来れたぞ、夜神!日本の地を踏みしめて私は夜神と自分との家がある方角をしっかりて見据えた。
といっても何が見えるわけでもない。ここは飛行場で我が家とは依然遠く離れているし、何より夜と呼ばれる時間帯の今は明かりなしに歩くことさえ儘ならないほど暗い。
夜の冷たい風が基本的に薄着の私に吹き荒んでいたが、今の私にはそれほど気になるものではなかった。
それよりも一刻も早く夜神の元へ向かわなければならない。
私は夜神の電話の後に我ながら恐ろしいほどのスピードで仕事をこなして日本に帰ってきた。野次馬根性逞しいサラが私の電話の内容を聞きたがり、また部屋に乗り込んで来たのだが「好きな人」のつれない対応を知ると大いに私に同情し、お節介にも仕事を手伝い始めた。
まるで自分が恋のキューピッドであるかの様に本来しなくて良い仕事を精力的にこなす彼女の性格はどうかと思ったが、さすがに有能さは認めるところだ。
おかげで日本に帰るのが予想より早まった。
私は既に迎えに来ていた車に乗り込むと、ワタリの「お帰りなさいませ」と言う出迎えの言葉を遮って一言「家に急いでくれ」とだけ告げた。
ワタリは頷き私の指示通り、その穏やかそうな容姿と似合わない運転で車を走らせた。
いつもより多少乱暴な運転に揺られているとワタリがそっと口を開いた。
「お早いお帰りでしたね」
「早い?どこがだ?」
夜神の電話から半日は軽く過ぎている。夜神が松田とデートなどと言う不愉快なそれを止める事など叶えられない時間だ。
「松田さんと月くんに関して、そこまで気にする必要はない様に思いますが」
私の思考を読んだかのようにワタリが2人の名を出す。
「あの2人は友人の様なものではないですか。月くんが友人と遊びに行った事は前からあった事でしょう?」
慰める言葉なのだろうが夜神ははっきりとデートをしてくると言ったのだから、それは違うと感じる。
例え夜神と松田の関係が友人に近くとも、夜神がそのつもりで行動を起こせばどんな事態になるか分からない。
夜神は無駄に行動力があるのだ。私をからかう、不快にさせる嫌がらせにも全力で行いそうだ。
もし松田と夜神の間に何かあったら……
自分の想像に自分で不快になり、苛立ちを増す。
私が黙ったのを不安と不快の現れだと正確にとったらしいワタリが、何故か微かに忍び笑いを漏らした。
「そんなに心配しなくとも大丈夫ですよ。このワタリが保証します」
穏やかな言葉だったが私にはそれすらも不快に感じてしまった。
「ワタリに夜神月の何が分かる?」
反論は拗ねたような口調になってしまった。それを聞いてまたワタリが穏やかに笑う。
だが実際ワタリは夜神月とほとんど接触した事がないのだ。ワタリの知る夜神月とは書類上のそれと、私が語るキラ容疑者としての姿と、夜神さんが時々話す自慢の息子の姿だけ。
それだけで夜神月という人間を私以上に確信を持って話せるはずがないと思う。
「私は月くんと親しいどころか話した事もありませんが、彼は貴方と似ているのでしょう?」
だったら良く分かりますよ。と笑うワタリの顔には私の補佐役としてではなく親代わりの様な存在としての顔が浮かんでいた。
「私が思うに、Lは月くんの行動と目的を履き違えています」
「それはどう言う意味だ?」
夜神月の目的は私を不快にさせたい。混乱させたい。これに尽きるだろう。
その為にデートをするなどと言ってみたり、何故か私を気になっているかのようなそぶりを見せていると考えられる。
「そこが違うのですよ。月くんのそれは目的ではなく手段です。
貴方も同じ事をしたでしょう?L」
ワタリは私の意見をさらりと否定する。しかし私も同じ事をしたとはどういう事だろうか?
思い当たるのは夜神が私を嫌いになるようにと嫌がらせをした事だ。
という事は夜神は私に嫌いになって欲しいと思っているという事になる。
ひどく落胆した。理不尽ながら夜神に怒りまで湧いてきてしまう。
しかしそんな私にワタリは穏やかな声で告げる。
「大丈夫です。これは人から聞いた話を総合した月くんの想像で申し訳ないのですが……
彼は貴方に似ていますが、貴方より意地っ張りな傾向があると感じます」
確かに私も大概意地を張りやすい性格だが、夜神は私よりまだ幼い為か目先の事の方に捕われる傾向がある。それで意地の張り方が私よりも幼さを感じさせるものになってしまっているのは事実だ。
しかし意地を張りやすい事が夜神の行動にどういう影響があるのだろうか。
「意地っ張りは天の邪鬼になりやすい。ですから安心しても良いという事です。
……ほら、ようやく家に着きましたよ。L」
車が団地の入り口でぴたりと動きを止めた。私はすぐさま体勢を崩し、転がるようにして車から降りた。そのまま自分の部屋に走り出そうとしたが、話が気になり振り返る。
「ワタリ!今の話は……」
「大丈夫なのですから、早く月くんの元に向かうのが先決ですよ」
言うつもりがないという事を悟り、私は助言通り夜神の待っているはずの部屋に向かう事を優先した。エレベーターを待つのが面倒で、非常階段を一気に駆け上がった。
夜の冷たい空気も風も私の頭を冷やす事は出来なかった。
部屋の前に辿り着くと一種の絶望感が私に過った。
電気が付いていない。部屋に明かりはなく真っ暗で、外から見る限り人がいるようには見えなかった。
まさか松田との『デート』はまだ続いているのだろうか?
いや、時間ももう夜だ。眠ったのかも知れない。
そう思うと同時に『眠る』という単語に嫌な想像が頭を巡る。
私はドアノブに手をかけるがそれに鍵が掛かっている事に一瞬さっと青ざめた。
しかしすぐに思い直す。夜神は元から家に鍵を掛けていたじゃないか。
いつも夜神は私が帰宅すると向こう側から鍵を開けてくれていた。私は今までほとんど使う事がなかった家の鍵をズボンのポケットから取り出した。
周囲の暗さと焦りの為に鍵穴を探りがちゃがちゃと音を立てていたのだが、後一歩で鍵を差せると言う所でドアが開いた。
「L?」
「月くんっ!!」
夜神の姿を見ると、私はいきなり彼に抱きついた。
バランスを崩して冷たい廊下に2人して倒れこむ。がたんッと言う音がして夜神が痛みに顔を顰めた。
「月くんっ!松田に変な事しなかったでしょうね!?」
「……帰ってきて最初にそれか」
不機嫌な表情で夜神が私を押し退けようとする。しかし私は彼を逃すまいと抱く力を強くした。
「部屋に明かりがなくて……まだ松田と出かけたままなのかと思いました」
「自分の部屋にいたから、他の電気は消してたんだよ」
夜神の部屋には窓がない。そこだけに電気が付いていたのなら確かに外側から判断する事は出来ない。
「何故そんな真似を……」
「節約だな」
「主婦の鏡ですね」
多少呆れたように言うと夜神が眉を顰めた。
妻扱いにはいい加減慣れた様だが、その手腕を誉められるのは嫌らしい。皮肉的な言葉でもあったから、実に分かりやすく不満をあらわす。
彼はぐっと私を押し退けて廊下に座って言った。
「帰るの早かったな」
「月くんの為です。月くんがちゃんと居て嬉しかったです」
「いるよ。だってあと少しで明日じゃないか」
「明日……」
「お前が明後日に……つまり明日には帰ってくるって言ったから」
あとほんの数分で日付け上は私が帰ると予告した日になる。だからいつ帰ってきても良いようにこうして帰ってきて待っていたのだと彼は言う。
「嬉しいです」
「あぁ、そう」
素っ気無い返事だったが、彼の場合照れ隠しだろう。
意地っ張りだと言うワタリの言葉が頭に浮かんだ。
「月くん」
「なに・・・」
私を見上げた夜神の唇に自分のそれを押し当てる。
また廊下に倒れこみながら、私は夜神の唇を貪った。始めは強引に閉じた唇を舌でこじ開けたのだが、暫くすると私に応える様に舌先が動いた。だんだんとお互い息が切れてくるのを感じて、やっと唇を貪るのを止めて離す。夜神の唇がだ液で濡れて綺麗な薄いピンク色に光った。
「ただいまの……キスです」
突然の事に呆然としているらしい夜神に言う。彼はさっと顔を赤らめて、私とは違う良く手入れされた指先を唇に当てた。
「嫌がらせはしないんじゃなかったのか?」
「えぇ、しません。これは私がしたいからしただけです」
「お前、僕の事嫌いになりたかったんじゃないのか?」
夜神はどうやら米国に旅立つ前の私の心理と思考を知ったらしい。あの時の私は愚かだった。珍しく目先の事ばかりに気を取られて、そんな事が大した事ではないと気付いていなかった。
「いえ……私は、君の事が好きです」
言った瞬間、夜神の目が大きく見開かれた。私を驚いたようにじっと見つめていたが、やがて目を伏せて俯いてしまう。
「僕は……キラ容疑者なんだろ?」
「そんなの関係ないんです。大した事じゃない。……月くんが、好きなんです」
自分の気持ちを正直に話す。気恥ずかしいものがあったのだが、そんな気持ちは夜神の突然の行動にすぐに打ち消しられてしまった。
夜神のしなやかな腕がが私の肩に回りぐっと身体を寄せてしがみつく様にした。
形の良い頭が私の肩に乗せられて、するとさらさらとした絹糸のような髪が私の頬をくすぐった。
「月くん……?」
「嬉しいんだ」
「何が……」
「おまえが、キラだとかそんなの関係なしに僕の事を考えて……好きになってくれた事が」
その言葉が私にはどうしようもなく嬉しく感じた。
夜神は私の心の変化を待ち望んでいたと言う事だ。
「私が月くんを好きになる事を望んでいてくれていた様なので、嬉しいです」
そう言うと夜神は何故か私を押し退けて廊下を後ずさった。さっきから十分赤かった頬が更に紅潮していて、彼はそれを見られるのが嫌なように私から顔を背けた。
「なんでそう言う結論になるんだよ、お前も」
『も』という複数形の言葉が気に掛かった。誰かにも言われたのだろうか?
しかし夜神はその相手や私の出した結論に納得がいっていないらしい。
何故だろうか?
夜神の言い分は私に好きになって欲しいと言う意味に聞こえたのだが、違うのだろうか?
「僕はお前にキラ容疑者とかの枠に囚われないで判断して欲しかっただけで、別に好きになって欲しかった訳じゃない!」
吐き捨てるように言われると多少ながら心が傷ついた。いつもなら気にしないのだろうが、先程まで柄にもなく浮かれていたので落差が激しかった。
「じゃあ……私は他に好きな人を、家族を作らなければいけないんですか」
私にとって初めて出来た夜神と言う帰る場所の存在。
彼に拒否されると言う事は私はまたその場所を失ってしまったと言う事だ。
私は新しく夜神以外の場所を作るしかない。帰ると言う事は心地よい。今更捨てるには惜しすぎる穏やかさだ。しかし夜神以外の場所を作る方法なんて私は知らない。
夜神以上になれそうな存在を私は知らなかった。
「そんなのだめだ!」
「月くんっ!?」
予想外にも大声を出して反論したのは夜神の方だった。
「僕以外の誰かを考えるなんて駄目だ!そんなの許さないっ!」
言いながら私の方にまた戻って来た。
まっすぐと反論を許さない鋭いまなざしで見つめてくる。
「ずっと僕だけの事を考えろよ!でないと嫌だ!」
それだけ言うと、ぐっと夜神の表情が不安げに歪んだ。
米国に出立する前のあの表情とかぶる切なげな顔だった。
「……不安なんだよ。分からないけど、お前がいないと」
小さく呟いて彼は私の胸にすがりつくように抱きついた。
抱く力が強まる腕に夜神の行動に驚いていた私の鼓動が、だんだんと落ち着きを取り戻す。
夜神の言葉を噛み締めるようにして、思い出すのは彼との電話だ。
松田と親しくすると宣言されたそれに、私は振り回された。
「月くん……私も月くんが他の誰かを考えるなんて嫌です。
私の事だけを考えて欲しいです。君がいないと、不安なんです」
言うと夜神がゆっくりと顔をあげた。その顔にはいぜん不安げな表情が張り付いていた。
彼の薄茶の瞳に自分の顔が映っている。自分で嫌になる様な情けない表情だった。
「同じなんです。好きなのは君だけなんです。だから……」
だからお前が拒否をすれば、私は永遠に家を、あの穏やかな場所を失うのだ。
「私に帰る場所を下さい。月くん」
失いたくないと言う必死な気持ちを言葉にすると夜神をそっと目を伏せた。
言葉を吟味するように、頭の中で反芻しているかのように長い沈黙を守る。
やがて彼は目を開いた。
不安げな表情はなく彼らしい強い意志に満ちた瞳だ。
「好きだよ、L」
これはただいまのキス。そう耳もとで小さく呟いてから彼の唇が私のそれに触れた。
先程の私がした貪る様なキスとは違う触れるだけのもの。
それで良いのだと思う。何故ならばこれは誓いのキスだ。
夜神が私の帰る場所になったと言う、私が夜神の元に帰ってきて良いと言う誓いのキス。
唇が離される。
目の前で夜神は優しげに、楽しそうに、嬉しそうに、幸せそうにに笑ってみせた。
これで団地妻のおおまかな話は終了、と相成りました。
楽しい素敵なお題でした。大満足です。
しかしこれで終了、ではなく(1)と付いている通り一応続きがあります。
次は若干の性描写を含む為に地下室に格納です。
一応地下は年齢制限を付けさせて頂いているので
この話で終わっても大丈夫なような話になっています。
(地下に格納されているのは蛇足と言えば蛇足的な内容です)
大人な方は期待せずにそちらも見てみて下さいませ。
menu
楽しい素敵なお題でした。大満足です。
しかしこれで終了、ではなく(1)と付いている通り一応続きがあります。
次は若干の性描写を含む為に地下室に格納です。
一応地下は年齢制限を付けさせて頂いているので
この話で終わっても大丈夫なような話になっています。
(地下に格納されているのは蛇足と言えば蛇足的な内容です)
大人な方は期待せずにそちらも見てみて下さいませ。
menu