家族への歩み
「まず暴れ回らないこと。大事な資料とかもあるからね」
捜査本部の部屋にメロ達を連れて行く際に月は、二人の子供に目線を合わせて屈むようにしながらそう言い聞かせていた。幼い子供、それこそ幼稚園児にでもするような口調に竜崎は呆れた声を出さずにはいられなかった。
「大丈夫ですよ。基本的に頭は悪くないんですから」
頭の良い悪い以前に二人とも既に10代。月の態度は幼児にするそれだ。竜崎には月が二人を子ども扱いしすぎている様に感じられた。竜崎がこうして言ってみても月は安心しようと努力しているという様子を見せていて、不安に後ろ髪を引かれているらのは明らかだった。眉を寄せて心配そうにメロ達を見ている。
「そんなに心配するなって!ちゃんとやるからさ」
メロが元気良く安心させるように声をあげるのを聞いて月はやっと信用するように笑った。宣言したからには聞く気があるのだろうと納得しての事だろう。
「・・・・・・うん。じゃあ行こうか」
ようやく頷いた月が歩き出すと、飽くまで自然な動作でその片手をニアが取った。
腕にしがみつくような仕草は可愛らしく演出されていて月はそれを微笑ましげに見ている。どうやら竜崎から見て月は小さな子供、それも子供らしい子供に甘いように思えた。もともとキラだとしてら善良な人間を優先して愛するような人間なのだろう。
何だかんだと言って情に厚い。これは竜崎と月の親しくなった原因が同情からであるという経験論にも基づいていた。
だが残念ながらニアはそんなに善良な子供でもなさそうだったが。
対してメロのほうは月に対して反抗的だ。年齢も丁度反抗期と呼ばれるそれに差し掛かっている。だが月はそんなメロのこともそれなりに可愛がっているらしい。確かにメロの態度は分かりやすい物があるので微笑ましいと取る事も可能だった。
先程ニアが月の手を取った時、メロの手が宙を掻いていた。戸惑った様な動きの後に項垂れたように下に下ろされ、拳を握る行動。
どうやら意地を張りやすい彼は月の手をニアのように掴みたかったらしい。
分かりやすい行動はやはり月も気付いたらしく、彼は苦笑してメロの硬く閉ざされた手を解いて自分の手を絡めた。
「おいっ!」
抵抗と拒否の声を上げるメロを月は軽く無視した。それは月が手を握りたくてやっているんだというポーズだ。
それを月が取ればメロは黙って小さく握り返して来た。求められたから仕方ないというポーズを取って。
彼が幼いものに優しいという褒められるべき性質を持っていることは竜崎にとって嬉しい事のはずだ。社会不適合と呼ばれる人間だと自覚しているからこそ、すっかり両隣を二人の子供に占領されてしまったことに竜崎は唇を噛んだ。
「月くん私切ないです」
「我慢しろよ。お父さん」
不満の声に月は冗談で返す。そういえば昨夜メロとニアを相手に家族…親子を感じてみていたのだ。
もっともその『親子らしさ』も雑談の中で松田あたりから聞いたものでしかなかったが。
「お父さんですか……さらに私には理解不能の壁を作りましたね」
「父と相沢さんにコツを聞くと良いよ」
昨日メロ達相手におもいっきり後れを取っていた二人に聞いても意味があるのだろうか。竜崎はそうは思いつつも「そうします」と自然と口に出してしまう。それほどまでに親子とは未知なる物だ。
「父親とか何の話だよ?」
二人の会話に不思議そうな表情を浮かべるメロ達の頭を竜崎がわしゃわゃと掻いた。
これも父親っぽい行動だろうと何かしらの記憶が伝えたのだ。メロもニアも竜崎の行動を本当に不思議そうな表情で眺める。
竜崎と月がまさか家族ごっこという非常識的な遊びを本当に始めそうな気配など、当然感じ取れずに。
特に大きく取ってある捜査を進める為のフロア。4人が訪れると既に皆ソファに腰掛けて話をしていた。緊張の色が見て取れるのは一日ぶりに見るこの小さな子供達のせいだろう。
「皆、心配性なんですね」
月もそうだったがそんなに心配する捜査員が竜崎には理解できなかった。煩いのなら黙らせれば良いし、悪い事でもすれば追い出せば良いのだから。それも二人が言う事を聞かなかったらの話だ。何も心配する事はない。
「そう言うなよ。皆子供に慣れていないだけだと思う」
月の言葉に肩をすくめる。そう言うものかと言葉の上では納得できたが実際には良く分からない。少なくとも全員自分より子供に触れる機会に恵まれていそうな気が竜崎にはしていた。
「では皆さん、改めて捜査を始める前に自己紹介をしましょう」
竜崎の言葉にソファの上の4人が立ち上がった。月がメロ達を促すとまず率先してニアが動く。
「昨日は失礼しました。ニアといいます」
ぺこんとお辞儀をする子供に捜査員達は安堵の息を漏らす。思いの他聞き分けの良い子だと思ったのだろう。 その反応を見ると竜崎とメロは逆にため息をつきたくなる。ニアは素直な子供の仕草をしている捻くれた子供だ。素直さを信じている捜査員達や月にはため息をつきたくなるのも道理だった。
「メロ、君も挨拶。ニアもしたんだから出来るだろ?」
その言葉にメロは鋭い視線を月に向ける。一度鼻を鳴らして捜査員達を眺めるとぼそりと「メロ」と名前だけ言った。
順々に捜査員達も自分の名前を述べていく。総一郎の時だけニアが反応して月の父親かどうか聞いた。それを肯定すると何か考えているらしいニアはにっこりと総一郎に笑いかけた。どうやら媚売りの対象内に入ったらしい。
「あと透明人間はどこですか?」
一通りの挨拶を終えた後にニアが言った。その突飛な印象を持ったフレーズに皆が唖然とする。
「透明人間って?」
「昨日私とメロを運んだ奴です」
その言葉にそういえば昨日レムが二人を掴み上げていたと思い出す。しかしそれに誰かが答える前にメロが馬鹿にしたような表情でニアを見つめて言った。
「あれはサイコキネシスじゃねぇの?」
サイコキネシス。念動力。透明人間と同じくらい突飛な言葉をメロはさも当然のように話した。しかしその答えにニアが馬鹿にしたようにメロを見つめ返す。
「ずいぶん突飛なことを思いつきますね」
「はぁ?透明人間もの方が変だろ?」
当人達以外はみんな心の中で「どっちもどっちだ」と当然の感想を抱いた。
「第一お前ここはキラの捜査本部で容疑者付きだぜ」
言葉と共にメロは月を指差した。指摘された事に月はほんの少し驚きに目を開く。
「容疑者って話したっけ?」
「見ればそれくらい推察出来ますよ。ライトさん」
メロではなくニアが答える。確かに手錠なんて物でLと繋がれている状態なのだから普通の捜査員でない事は察せられるだろう。
「趣味の可能性もあったけどな」
メロの爆弾発言に半分がぎょっとして半分が反射的に竜崎の方を向いた。後者には竜崎が鋭い侮蔑の視線を投げる。
竜崎は心の中でその皆の行動に呆れていた。さすがにそこまで公私混同はしない。そう断言できる。
もちろん色々おいしい部分はあったがそれはそれ。
「キラは超能力で殺すんだからサイコキネシス使える奴が容疑者でも不思議じゃない」
メロが少し無理やりに本筋に戻す。確かにメロの言い分も一理あった。しかしそれはキラの殺人方法がデスノートだと知らなければの話だ。デスノートがあれば誰でもキラになれる。それを知っているとキラと念動力は結び付けられない。
「あれは透明人間です。掴まれた感じがありました。あれは絶対実体があります」
ニアも強く主張する。事実を知っている人間にはレムの存在は透明人間に近く思えた。
「ニアが近いですかね」
「いや、メロもキラと結びつけたしそう的外れな話しでもない」
竜崎の言葉に月が反論する。月の言うとおりキラ関係の能力である事はメロの想像通りだ。引き分けみたいな物かと竜崎はぼんやり考えた。
しかしこのまま二人にレムの正体の論争を続けさせる訳には行かないだろう。だから竜崎は「紹介のためにもノートを……」と言いかけた。しかし全て言い終わる前いに皆に強い声で反対される。
「だめですよ!竜崎!」
「そうだ竜崎!まだ彼らは子供だ!危ない真似はさせられん」
松田と総一郎の強い制止の言葉に竜崎はうんざりとした。
メロとニアは確かにまだ幼いといえる年齢かもしれないが、物理的な大人でないという意味なら成人していない月だってそうだ。子供を庇うという行為は子供の方が能力的に至らないからだと思うが、それを言ったら松田や既に成人している弥のほうがこの二人の子供より至らない点が多いように思える。
「竜崎、僕も反対だ。彼らに触れさせる必要は感じない」
反論に辟易していた竜崎に掛けられた月の言葉は予想外の一言だった。思わず顔を上げてしまうと同時に竜崎の中で目まぐるしく思考が展開された。
自分と同レベルの思考が出来る月は他の者達と違い、年齢を気にしてデスノートを触らせないという判断などしないように感じたからだ。
月は基本的に弱者に弱い。それは父親である総一郎や人の良い松田も同じだが、月は目的のためなら妥協するタイプだろう。レムと直接会話できない事はキラの捜査に不都合だ。
それでも反対するという事はおそらくキラとして触らせたくないという事。
触ってメロ達がマイナスになる事は死神が見えるようになること。そしてデスノートが失われた時死んでしまうこと。後者はキラとしては間接的に命を握れるのだ。拒む理由がない。ならば後者ははったりである可能性が出たきた。
「分かりました。触らせるのは諦めます」
あえてキラの策に乗る。ここから状況を崩してやろう内心竜崎はほくそ笑んだ。
しかし月もそう簡単な相手ではない。素直に従った事に不信を抱いている。そんな表情を見せた。
「ですが竜崎、彼らもキラ捜査に参加するのでしょう?何をさせるんです?」
相沢が当然の疑問をはさんできた。例の捕り物の事後処理は既に終わっている。後は本当に死神から糸口を掴もうというところまで来ているのだから、レムと話せないメロ達はある意味役に立たない。
「レムさん字は当然書けますよね。筆談は平気ですか?」
いきなり話しかけられてレムは困惑に顔を上げた。しばし考えるようにした後ぼそりと呟く。
「日本語は不得手だ。難しい」
日本語は種類が多く完璧に習得するのはかなり難しい言語だと竜崎は認識していた。それは死神も同じのようだ。
「では英語は?」
「日本語よりは」
すかさず質問で返された事にレムは若干引いている。死神に人間界の言葉で筆談をしろとはかなり難易度の高い要望だろうとは誰もがなんとなく察せたが、レムの返事に自信を持って竜崎は笑みを浮かべた。
「問題解決です」
「そんな面倒くさい真似……全然解決してないだろう?」
月が呆れるのも無理はない。恐ろしくタイムラグの発生する行為だ。
根本的な解決になっていない事は竜崎も当然分かっている。
「大丈夫ですよ。二人にはミサさんの監視あたりをメインに仕事をさせます」
「いや、それはだめだろ?」
「そうですよ竜崎」
これならばレムとはあまり筆談をする必要がないと自信をこめて言ったものだったのに、竜崎の言葉に月と松田がそれぞれ異論を挟んできた。
竜崎が目で不満と共に問いかければ予想外に二人はまったく違う答えを言ってきた。
「女性の生活を覗くなんて教育に悪いだろ!?」
「ミサミサはもう容疑者じゃないでしょう?」
松田の指摘に月が「それもそうか」と得心した様に呟く。
月が松田に後れを取るとは思えない。恐らく開放を自分が要求するのは避けているのだろう。それは間接的に自分を開放しろという話に繋がるのだから。
そうでも考えないと不自然だ。
それとも月にとってミサの解放とメロ達の教育は後者のほうが勝っているのだろうか。
「竜崎、弥を解放するのなら月の手錠も……」
月の親である総一郎が案の定、月を開放させるように発言する。
確かにあの裏面にあるルールを信用するのならば14日以上殺人が起こってないあの状況は月とミサの無実を証明していた。
しかし竜崎には疑念もある。ルールが嘘かもしれないという疑念が。そういう風に考え出すと裏面に書いてあるというのも疑わしく感じられるものだ。普通説明書きは最初にするだろう。
「……松田さん、ミサさんに家に帰っても良いと伝えて下さい」
少しの吟味の後、結局出した答えはそれだった。総一郎もそれはつまり月の手錠が外れる事だと喜びを見せる。
竜崎としては元より今は泳がす意向なのだ。少し危険も伴いそうだが仕方ないと妥協した。
「じゃあ手錠外しちゃうんだ」
言葉は残念そうな言い方だが表情は嬉しそうに月が言う。
キラであるないに関わらず拘束された状態は月にとって不本意な事なのだろうとは竜崎にも分かっていた。嬉しそうにするのも当然だろう。
しかしそれでも嬉しそうにされると多少は傷ついた。離れられるのが嬉しいみたいだと感じられるからだ。
そこまで考えて竜崎ははっと気が付いた。手錠を外すという事は月が自由に外に出られるという事でもある。
多少は容疑者として制限できるだろうが家に帰ることだって可能なのだ。
せっかく一緒に住んでいるのに、それがなくなるなんてどんなに苦しい事か。
一人よりも月といる方が好きだ。だからこそ家族になりたいと竜崎は本心から思ったのだから。
「月くんも久しぶりに帰りますか?」
「いや、帰らないよ。捜査もあるし、メロ達の事もあるしね」
試しに、しかし内心恐る恐るしながらの発言に月はあっさりとした答えを返した。
確かに帰るよりここにいたほうが捜査には楽だ。それは出るのはともかく入るのが非常に困難なこのビルのシステムを思えば当然。
そんな言い訳を脳内で次々に思いつくのは理由に自分の名が出なかった事にある。
メロ達でなく竜崎の事があると言ってくれれば良いのに。もちろん月が竜崎との関係を隠す気でいるのは知っていたから当然の言葉だろうとは分かっていた。分かっていても落ち込んでしまうのだから仕方ない。
「それに今日は僕が料理する日だしね」
「料理?月くん料理なんかしてたんだ」
感心したように松田が口にする。月が料理上手である事は知っていたが、まさか捜査をしながらという忙しい状態でもしているとは思わなかったからだ。
「はい。それでも夜は時々ですけどね」
謙遜する様子の月を松田も相沢も感心したように見る。
そんな大人の様子にメロは月が褒められている事に妙に優越感を感じたらしく身を乗り出して話し始めた。
「朝は月のご飯だったよ!」
「はい。大変手作り感にあふれていました」
ニアも同意する。手作り感あふれるとは非常に穿ってみれば嫌味にも聞こえる台詞だ。竜崎はそういうところにニアの性格の悪さを感じているのだが月(やその他に)言っても竜崎の方が根性曲がっていると罵られる事は目に見えていた。
ここでそれを発言すれば自分は松田だと月に騙されているのだと訴えたいのを竜崎は耐えた。
「メロ達は何か食べたいのはある?」
雑談をする中、月は会話の流れで何気なく二人にそう聞いた。少なくとも竜崎にはそう分かっていた。
しかし問われた当人であるメロとニアはまるで氷の様に固まってしまった。
もっとも氷とは違ってその頬は高潮して熱くなっていたが。
二人は驚いたような小さな声を上げてどうすればいいのか分からずきょろきょろとしている。
「えっと……」
はきはきとしゃべるメロが困った様子を見せるので松田が「ニア君は?」などと暢気に聞いてきていた。メロよりはよほど神経図太いニアもその質問には困っていた。当然だ。今まで何か食べたい物はなんて聞かれたことなどないのだから。
ニアも流石に黙り込み吟味するように俯く。無意味に髪の毛を弄り倒してめまぐるしく思考を重ねているのが竜崎には分かった。
真剣に悩んでいる。
こういうところは少し微笑ましいとは思えなくもない。
恵まれない者への同情にも似ていたが竜崎は初めて二人を好意的に見た。
「じゃあ夜までに決めて置いてくれ。出来る限り好きなもの作ってあげるから」
必死に悩むメロ達を笑いながら見る月には悪意が見えない。
L候補を絆しておこうというわけではないのだ。純粋な好意に見える。やはり相手が子供だから警戒が薄いと竜崎は踏んだ。
だったらこの二人を使うのは都合が良い。
子供を巻き込もうとしていることを知れば総一郎や松田、そして妥協を未だ知らなかったあの頃の月なら思い切り反論するのだろう。それを思いながら竜崎は雑談でいつもよりにぎやかな捜査本部を見て口端だけで笑った。
その日の捜査もなかなか進まなかった。
ミサが監視を外れる事になったのでその喜びを伝える為に月に会おうと捜査部屋に入ろうとしていたからだ。以前入ったことのある部屋を入室禁止にしたことにミサは頬を膨らませて竜崎に抗議をした。
捜査資料(というよりデスノートが)あるから入れるわけには行かないと説得するのにも時間が掛かり、入らないのには納得したが今度は荷造りのために松田を貸せと強請って来た。
これに関しては別にいいだろうと妥協して皆で松田をミサの元に送ったりもしたのだけれど。
こうしたミサ騒ぎの合間にレムはすっかりメロ達の筆談相手と化してしまい捜査が出来なかった。死神が子供を優先したからだ。
死神の癖に子供は大事にの過保護派らしい。
「今日もあまり捜査進まなかったな」
月がそう愚痴るのも無理はなかった。メロ達の来訪準備、実際に来た日、そして今日。捜査は遅々として進まない。
たとえ本来捜査が進んで欲しくないキラだとしても、生来の生真面目さが事態に不満を呼び起こす。
「大変不愉快ですね」
竜崎も珍しく不満を見るからにあらわにする。しかしそれは捜査が進まないことへの苛立ちだけではなかった。もうひとつの対象は竜崎の手の中にある小さな鍵。
「はやくしろよ」 月の急かす声に促されて竜崎は小さな鍵を手錠の鍵穴に差し込んだ。
がしゃんと金属らしい音を立てて手錠が床へと落下する。月の手から外された手錠を竜崎は摘むようにして手に取った。
「ようやく鬱陶しいのが外れたなぁ」
他人事だとメロがそれを眺める。捜査中は鍵が手元にないという理由で外さなかった。
部屋に戻って大義名分を失ってようやくLは月の手からその金属製の輪を外したのだ。
「手が軽いな」
単純な感想を月は口にした。当然のそれに竜崎も当然と思える感想で答える。
「私は重いです」
「そのままの感想ですね」
ニアの言葉もまたそのままの感想だった。
竜崎の右手首には未だ鎖がある。垂れ下がった手錠は月の支えがない分当然重いだろう。
だがその言葉は物理的な重さだけで出たものではない。その先にもう月が居ない事が重かった。
竜崎にとって月との手錠は飽くまで捜査のためのものだ。もちろん色々美味しい事もあったがそれは変わらない。
それを外すという事は命の危険が増える事を決意したという意味。それが竜崎の重いという発言に繋がる。
しかし飽くまで仕事。と竜崎は割り切っているつもりだったが実際には少し拗ねたような声音だった。
月だけが気付くくらいのものだったがそれでは離れることを惜しんでいる様に響く。
「お前は単純だな」
手錠を外すのが嫌だと言う思いを的確に読み取っての事も出した結論はニアと同じらしい。
だが月が少し嬉しそうにしているのが竜崎には分かった。月は竜崎に嫉妬の兆候が出ると嬉しがる。
月も大概嫉妬しやすい性質なのだが最近の月は嫉妬するにも落ち着いている。月はどちらかといえばヒステリックな性質なので、嫉妬する時は柄にもなく大声を上げてしまったりしていた。
それが最近は出ない。
つまりは嫉妬にしても軽度という事。余裕を感じられて竜崎は少し不満だった。
「で、メロとニアは食べたい物決まった?」
竜崎の心など気にしないよう月はメロ達に話しかけた。それにニアが答える。
「協議の結果ハンバーグになりました」
「そう、作り易い物で良かった」
出された一般的な食事名に月は安心したようだった。
月なら日本人には馴染みないイギリス料理でも作れない事はないと思うが、調べたりで作るのに時間が掛かる。
「また二日後くらいには夕食作る気でいるからその時もよろしく」
「えっ!」
月の何気ない言葉にニアもメロも固まった。これ一回だと完全に思い込んでいたからだろう。月はただ単にメニューを考えるのが面倒だったのだと竜崎は知っている。以前そう愚痴を零していた。
二人は真剣にまた悩み始めた。定められた時間に定められた食事を取る。そういう生活を送ってきた二人にはメニューを聞かれる今の状態は実に慣れないものらしかった。
月はそれを微笑ましく思ったのかくすりと笑う。その目がどこか何かを思い出すような遠い目をしていたのが竜崎は気になった。一度気になり始めると止まらないのが竜崎の習性だった。気付けば月に「どうしたのですか?」と早速問いかけている。
唐突な竜崎の質問に月は「何が?」と至極簡単な言葉を返した。
「何か思い出しているかの様な表情でしたので」
「あぁ・・・・・・いや、ただハンバーグって母さんの味なんだよなぁって思って」
「・・・・・・お袋の味って肉じゃがじゃないんですか?」
「情報源は松田さん?」
迷いもなく月が松田の名を口にするのは二人の中でこういう話題は松田からという妙な固定観念が生まれていたからだ。
そしてその通り肉じゃがだという話を竜崎に伝えたのは松田だった。ただその際に相沢も頷いていたからこそ竜崎はそれに納得していたのだが。
「そういう意味じゃなくて、唯一母さんに習った料理なんだよ」
月は器用なので大抵の料理は本だけで作れるようになる。しかしハンバーグだけは母から習った。
別に作れなかったから習ったわけではなく、それは学校で家で作ってくるよう課題がでたからだった。母と共に台所に立って作ったのはそれが初めてだった。
「だからハンバーグって僕の中では母の味の代表格になっててね」
だから味には自信があるのだと月は笑みを零した。母親の料理の腕のほどを信じているのだろう。
「なるほど。でも私は手料理の味は月くんしか知りませんし、何も問題ありませんね」
「この先誰か作ったのを食べ・・・・・・」
「先はありません」
話す声を遮って竜崎が言った瞬間、月の唇が震え何かを堪えるように押し黙った。
妙な反応に竜崎が疑問を浮かべる。しばらく考えて自分の言い方が悪かったのだと気付いた。まるでもうすぐ死ぬみたいだ。
「月くん以外の手料理を食べる予定はないという意味です」
「お前のお袋の味は僕なのかよ・・・・・・」
「お袋の味といわれると大変違和感が・・・・・・メロ達のほうでしょう?月くんのごはんがお袋の味になるのは」
月は驚いたように少し目を見開いて、悩み話し合う二人の子供を見つめた。
月の心に二人の境遇やら何かが浮かんでいるのだろう。同情しているらしいその様子にキラの癖にと竜崎は笑った。それはやや呆れるような、しかし好ましさも伴った感情だった。
「月君は優しいですね」
「いきなりなんだよ」
「月君はすっかりメロ達に優しいです」
その言葉には多少の皮肉も混じっている。キラの癖に後継者に?と。普通の人間なら皮肉の欠片も感じ取れなそうな声音だったが、月は正確に読み取る。口端を上げてあえて皮肉気に笑ってみせる。
「僕だって人並み程度の優しさでしか接してないよ」
「しかし私が君より優しくないのも事実な様です」
「優しくできない?」
「形式的なものなら私も出来ると思いますが」
「だったらそれをすればいいよ。僕達だって始めはそうだった」
月が感慨深げに呟くのを竜崎はしみじみと聞いた。確かに思い返せばこの関係の始まりはただの形式的な作業だった。全てが演技で、冗談のような愛し合う夫婦のふりを二人でした。
結果本当に愛し合うことになったのは今でも驚くべき事実だ。
「遊んであげれば?親子らしく」
「親子は遊ぶ物ですか?」
「僕はあまり遊んでもらわなかったけどね」
その声音が少し淋しそうなのに納得する。あの仕事第一の総一郎が父親ではそれは無理な話だったのだろう。
「わかりました。遊んできます」
竜崎の宣言に月は嬉しそうに笑った。自分のことのように喜んでいるらしい。
その微笑ましい行為に竜崎はそっと月の耳に囁きかけた。
「今度は4人で遊びましょう。子供の頃にしたかった事、思い出しといてください」
私も彼らも良くわかりませんしね。と竜崎は笑って見せた。
月の花の綻ぶ様な笑みのためなら好きではない子供を相手にするのもやぶさかではない。それにこの目の前の子供は見た目や月が思うほど子供でない。
「二人ともちょっと来なさい」
「えーっ?なんだよ?」
必死に次の夕飯メニューを考えていた二人がそれを邪魔されて不機嫌な表情をする。
竜崎はその抗議の表情を無視して二人の手を掴んで奥の部屋へと向かった。
それを微笑ましげに眺めていた月も夕食の準備がまだだったとキッチンへと踵を返した。
本当に家族みたいだと暢気なことを思っている月をよそにメロとニアは腕の痛みを必死に抑えていた。
竜崎は子供相手に手加減がない。それは連れて行くために掴んで引っ張るのにも同様のことだった。
「痛い痛い痛い離せ!」
メロとニアの物として宛がわれた部屋に入るとメロはめちゃくちゃに腕を振り回して竜崎の手を払った。
ニアも竜崎の手を外すためにぐっと手に力を込めて振り払う。
「何すんだよ!」
頬を上気させ興奮状態で抗議の声を上げるメロにニアが不機嫌な声を出す。
「さっきライトさんと私たちと遊ぶとか抜かしてました。私、遊ぶ気なんてありません」
「僕もおっさんと遊ぶ気なんてないぞ!」
「私だってお前達と遊ぶ気なんてさらさらありません。キラについて話したいことがあります」
月には言ったがまさか本当に遊ぶ気は無かった。
実際に離して相手もそんな気持ちがなかったことに少し安堵する。ここで遊ぼうとごねられても困るからだ。やはりそこらの子供よりはよほど精神年齢が高いと竜崎は思ったが、実際にはこの2人は遊び盛りで周囲に親しい友がいれば遊ぼうとする事を知らなかった。
竜崎の唐突にも思える言葉に先に反応したのはニアだった。
「ライトさんの?」
「・・・・・・ちゃんと彼をキラと認識してるんですね」
メロもニアも当然のように頷いて見せたが、二人が月=キラを既に確定事項として話しているのはLである竜崎がそう判断しているためだろう。資料も何も今日見せたばかり。納得できているとは思えなかった。事実顔をよく見れば二人は月をキラとすることに不満気なのを隠そうともしていない。
「とても見えないけどな。ただの人の良い兄ちゃんじゃん」
「えぇ。むしろ人の良い間抜けに見えます」
ニアの意見は辛辣だ。確かに月はこの2人に対して妙に警戒心が薄い。
それは今までの彼の行動を考えるとおかしさすら感じさせるほどだ。特にニアの行動を普通に可愛いと思っているあたり最悪だ。
もっともこれはキラとしての行動でなく夜神月の行動として最悪なのだが。
それくらいで甘やかしてくれるのなら自分も甘えたい。
「それで君たちにはしっかりとキラ対策をしてもらいたいんです」
取り合えず自分の不満は押し隠し神妙な顔を取り繕って竜崎は二人に言った。
するとメロが馬鹿にしたように鼻で笑った。
「顔でも隠すか?」
それはキラ対策として最も有効と思われる物のひとつだ。しかし既に思い切り素顔で接している。
「それは今更です。君たちには月くんに思いっきり『甘えて』貰います」
「甘える?」
2人とも疑問に満ちた表情をしている。それもそうだろう。甘える事がキラ対策になりえるなど普通は考えない。
「彼は子供に甘い。私より君達の方が油断するでしょう。だから出来る限り可愛らしい子供を演じて下さい」
「ニアみたいに?」
「そうです」
メロの返事にニアがやはり演技をしているという確証、そしてそれをメロが知っていたと分かった。月のことを知っていれば月にも疑問を抱くところだがメロは知らない。さぞや滑稽な青年に見えたことだろう。それはそれで少し竜崎を苛つかせた。
「ニアはなんでライトに媚び売ってるんだ?」
それまで疑問に感じていたのだろう。ここぞとばかりにメロが問う。ニアはふっと笑った。月に見せるような笑みとは違う性質の悪い笑みはぜんぜん可愛いとは思えなかった。
「日常においてはL……竜崎より夜神月に権力がありそうに思えました。故に気に入られておけば生活面では事を有利に運べるかと」
「洞察力鋭いですね」
確かにLより月の方が普段の生活では立場が強い。それは2人の関係だけではなく、捜査員達も常識外れのLよりより自分達と近い月に味方し易いことにも起因する。
「せこいな、ニア」
「何がですか?メロもそうすればいい話ですよ。意地を張らずに子供として振舞えば見返りもあります」
「それに今度からは本当に意図的にやってもらいますしね」
「分かってる。それがLからの指示なら・・・・・やるよ」
竜崎のLとしての命令にメロは頷いた。命令で行う演技ならプライドの問題もないのだろう。ニアも月に対する行動は結局変えないでいいので特にたいした命令でもないと楽観している。それを竜崎は危惧した。
「くれぐれも逆にほだされない様に」
諌言に分かっていると口を尖らせる2人に少し不安を覚える。何故なら当の竜崎こそが演技の関係から本物の関係へと昇華させてしまった張本人だからだ。この2人も絆される可能性は高い。竜崎とこの2人は違うようで境遇も性格もよく似ていた。
しかしそれを言えば月もそうなのだ。彼も絆される可能性があるからこそこの作戦を選んだ。
「月くんのことは二人に任せます。思いっきり振り回しなさい」
2人は神妙に頷いた。
これを仕事と捉えている証だ。それに満足して竜崎は口端を歪めて笑うような仕草を取る。
「甘えて我が儘を言って自分が可哀相な人間だと強調しなさい」
それがこの2人の子供の仕事だ。
そうすれば夜神月は絆されていくだろう。それで殺せなくなるとは思えないが躊躇くらいは生まれるかもしれない。
もしかしたら子供らしい仕草に総一郎のような月以外の人間が肩入れするかもしれない。それはそれで月の動きの牽制にはなる。
背がぞくりと震えた。ゲームを楽しいと感じる歓喜だ。
月に宣言したとおりに2人の子供と遊んでいるなと竜崎は思った。ただし対戦相手はここにいない夜神月だったが。