Fall Down 01
まだそれは教会権力が威圧を放っていた中世と呼ばれる時勢、片田舎の教会で『それ』は眠っていた。「あ」
間抜けな声と共にばさばさと本の雪崩が起こる。積み重なっている数十冊の本に教会の神父エルは溜め息を付いた。
「どうしました?エル」
資料室の扉を開けたのはエルの右腕とも言える老人ワタリだった。
ワタリはエルの周囲を見渡しておやおやと失敗した孫を見つめるような穏やかな目を向ける。しかし本を不可抗力とはいえ散らかした事には触れず、ワタリはエルに本来の用件を話した。
「エル、懺悔をしたいという方が来ておりますよ」
「珍しいな。誰だ?」
エルが現在暮らすこの町はとても長閑だ。そしてその長閑な町では人々も純朴らしくあまり告解者は現れない。
エルの疑問にワタリはにっこりと答えた。
「子供達が」
「またあの二人か……」
メロとニア。この教会で預かっている二人の子供達だ。頭の回転は良いらしいが悪戯好きで、しょっちゅう人々に大小様々な迷惑をかけている。
要するに説教かとエルは溜め息をついた。悪戯を見つけたワタリが二人に強要したのだろう。
「罰は本の片づけにしますか」
不注意で散らばった周囲の本を見る。
ワタリは同意してエルを懺悔室に導いた。悪戯者の子供しか告解者もいなければ子供の悪戯程度の騒動しかない。
未だ慣れないあまりにも暢気な現状にエルは知れず欠伸を噛み殺した。
誰も居なくなった資料室。
山積みで放置された本が地震でもないのにかたかたと震えだした。本と本の隙間から白い手がにょきっと生える。
現実ではあり得ない光景を見る者は誰もいない。
「くそっ」
悪態をつく声が聞こえて、同時に山積みの本を掻き分けて中から一人の青年が現れた。
「くそっ!どうしてこの僕が本の下敷きにならなきゃいけないんだ」
明らかに本の山には青年が隠れられる様な量は無い。
物理法則を無視して現れた青年は教会にはそぐわない真っ黒な妙に露出の高い装束を身に着けていた。
その顔は年齢にそぐわない妖艶さを湛えている。さらさらとした髪に均整な身体。男女ともに魅力的に写るだろう青年はいっそ魔の領域に属すようにも人々に写る。そしてその印象を肯定するように彼の背には漆黒の蝙蝠羽があった。
青年は魔に属する、人を堕落に誘う淫魔……インキュバスと呼ばれる存在だった。
不注意から神父に本に封じられて、長きに渡りこの教会に縛り付けられていたのだ。
『久しぶりだな、ライト』
ようやく復活できた淫魔の頭の中に語りかける声があった。魔の者が使える心話で話すのは同じく魔の者である死神のリュークだ。
「久しぶりだな、リューク」
『あぁ。百年ぶりくらいか?』
「もうそんなに経ったか……くそっ!あの神父どうしてくれよう」
ライトは自分を封印した神父への恨み言を呟く。だが、そこにリュークからの冷静なつっこみが入った。
『もう死んでるから』
「まぁ百年だしね」
ライトはあっさりと身を翻した。今は復活できた事の方が重要だと。
山積みになって散らばった本を几帳面に片づけながら、中から一冊の本を手元に寄せる。
黒い表紙のそれはライトを封じていた本だ。一見すると普通の本だが念入りに清められていて、触れていてるだけで少しくらくらする。
「取り敢えず燃やしてやる」
『うわっ即決』
リュークが驚きの声を上げる中ライトは手に力を込めた。魔の領域に達すれば何もないところに火を熾すのも容易い。
しかし一向にに本は燃えなかった。
それどころか煙の一筋も出やしない。
「あれ?」
『どうした?』
頭に響く声を無視してライトは再度力を込めた。しかしまったく手応えがない。
ライトは自分の身体を見回してみた。そして己の現状を知ってわなわなと震え出す。
『だからどうしたんだ〜?ライト〜?』
先ほどから無視していたリュークの声にライトはやっと答えた。
「リューク。どうやら僕は能力を失ってしまったらしい」
魔力を身体から感じられない。どんなに頑張ってもマッチ一本の火すら熾せそうに無かった。
『って!どうすんだよ!』
「どうしよう……」
珍しく弱気な言葉を呟くライトにリュークの方こそ途方に暮れた。