Fall Down 04
共に住むこととなる者を紹介します。教会についてとりあえずにとエルの神父服を着せられたライトはその言葉を受けて期待に胸を膨らませた。
エルは悪魔を野放しに出来ないという理由でライトをここに留めておいている相手だ。
ライトに対して常に警戒をしているだろう。そうすると町に出る事すら侭ならないかもしれない。
となると、ここで力の回復を図るしかない。
しかしいざ教会に住む者たちを紹介されてライトの希望は一気に潰えた。扉を開いて現れたのは老人一人と子供が二人だった。
エルがまず老人に向けてライトを見るように促す。
「ワタリ、さっき話した一緒に住むことになった者だ。ライト君と言う」
「初めまして」
穏やかそうに笑うワタリにライトもお辞儀をして「よろしく」と答えた。すると相手は穏やかに眼を細めて笑いかけてくる。
優しそうな人だ。
だが年齢的には枯れてること必至。
「そしてこっちはここで預かっているメロとニアです。二人とも、挨拶」
エルに促されて金と銀のふわふわ髪の子供がそれぞれ挨拶した。
それに笑顔で対応しながら月は頭の中では溜め息を吐いた。この二人も却下だ。明らかに対象年齢じゃない。
いや、早熟な子ならばもしやとも思うがさすがに倫理観が邪魔をした。
インキュバスだなんていっても倫理観が存在する。個人差もあるがインキュバスは人に近い姿を持っているし、人に紛れて生活する者も多くいるのだ。ライトもその一人だったので人間の常識を重視しやすい。
「他に人はいないのか?修道女とか」
「修道女は修道院にいるものです」
「じゃあ修道士は?他にお手伝いとか?」
「いません」
その言葉はつまりライトの守備範囲の人間は目の前の猫背神父しかいないということだ。
相手は命令権持ち。魔力の使えないライトには手強すぎる。
「それと、一緒に住むうえで先に話しておきたい事があります」
ライトが自分の現状を憂いている間、エルが全員を見回して言う。
何を話し始めるのか。緊張した面持ちで待つ4人にエルはいっそ軽いとも取れる口調で言った。
「ライト君は人間ではありません。悪魔です」
「はっ?」
あっさりとした物言いに皆エルの言っている意味を理解する事ができなかった。
反応して声を上げる事が出来たのはライトだけで、しかしそれも言葉というより音に近い一言だ。
だがエルはそんな現状も気にせずライトの背を軽く叩いて自分の方を向かせる。
「耳で聞くより実物を見たほうが早いのでライトくん、羽根出して下さい」
「えっ?」
「羽根、命令です」
命令といわれればライトは思考や疑念までも放棄せざるを得ない。
ライトはばさりと黒い蝙蝠羽根を広げた。その姿にまた皆の表情が驚きに固まる。
当然だろう。常識ある人間として正しい反応だ。
硬直した三人の中では老人のワタリが一番立ち直りが早かった。ライトの羽根に驚いたように眼を瞬かせたが、すぐに穏やかそうな笑みを見せてきた。
「これはこれは変わった方ですね」
暢気にも思えるワタリの言葉に子供ふたりも現実を受け入れる体勢を整えたらしい。
ライトの近くまで来てその羽根をまじまじと見つめる。
「本物ですか?」
ニアが手で触れてくる。遠慮のないその触れ方はニアの物怖じしない性格を表していた。
「僕も触っていい?」
「良いけど……」
ニアに出遅れたメロがわざわざお伺いを立ててくる。
触られるくすぐったさはあるが、一人だけ許すというのもなんなので月は頷いた。しかしメロが触れてきたのは羽根ではなく、人間となんら構造も変わらない顔の方だった。頬に手が触れる。予想外の場所に触れられてライトは思わず小さく声を上げて後ずさった。
その結果背と羽根が何かにぶつかる。振り返れば思い切り羽根がぶつかったらしいエルが額に手を当てて俯いていた。
「ご、ごめん」
「いえ、これはメロのせいでしょう。メロ」
咎めるように名を呼ばれるとメロは不機嫌をあらわに口を尖らせる。
「触って良いって言ったじゃん」
「羽根かと思ったんだよ!第一僕の顔なんて君と変わらないよ?」
「結構違うと思うけどなぁ。あんた綺麗じゃん。悪魔なのに」
もう一度近付いて来て頬に触れてくる。陶酔したような声とそっと撫でる仕草は子供の癖に堂が入った物だ。
インキュバスであるライトから見ても及第点をあげていい。
「何を格好付けてるんですか」
ぱしんと軽快な音を立ててエルの手がメロの腕を払った。「痛い!」と小さな叫びを上げながら叩かれた場所を擦るのはすっかりただの子供だ。それに少し安堵する。
「明日ラテン語の進み具合を見ますから、さっさと部屋に戻って復習でもしなさい」
「普通ラテン語より悪魔の方が興味深くありませんか?」
ぎゅっと羽根を掴んでニアがエルに訴える。握り締められて、もはやくすぐったいというより痛い。
「今、ライト君は力を失っていて羽根以外人間と変わらないそうです。不完全な悪魔より貴方達にはラテン語のほうが役立ちます」
「そうだよ。君達は勉強をすべきだ」
エルの言葉にライトも頷く。流石に年上二人に言われると聞くのかメロ達は渋々部屋へと戻っていった。
ワタリも茶を入れてくると席を立ち、二人は居間に取り残される。
それにほっと一息ついてライトはひりひりと痛む羽根を冷たい空気に晒すように振った。
「どうしましたか?」
「握られてちょっと痛かったから」
「痛覚あるんですか?羽根」
エルが先程の子供達と同じ様な好奇心に満ちた目で問いかけてくる。ライトが質問に答える前にエルは羽根に恐る恐るといった感じで触れてきた。付け根から骨が作る溝を撫でる様な動きにぞくりと肌が震える。
「おい!」
「なんでしょう?」
「くすぐったい」
ぱしんと羽根で手を払う。手の甲を擦りながらエルは「器用ですね」と関心した様に呟いた。
「しかし貴方が人間に近い悪魔で助かりました。流石にいかにも怪物の様な姿ならここに置いておけませんし」
「置いておく気なのか?払ったり封印したりは?」
「私に悪魔払いの知り合いはいません」
ならば暫くは安心していても良さそうだとライトは内心ほっとした。
「それに貴方はどうやらあまり悪い悪魔でもなさそうです」
「悪い悪魔?」
「子供は好きですか?」
「嫌いじゃないよ。可愛いしね」
唐突な質問だ。しかし迷い無く答えることが出来る。ライトにとって子供は食料にならない。その分純粋な気持ちで見る事が出来た。
「子供好きの悪魔。子供嫌いの人間よりはここの同居人としては最適です」
「まぁ確かに。一応封印される程度には悪い奴なんだけど」
「どんな悪事を働きましたか?」
エルが不思議そうな表情でたずねる。どうやら想像もつかない、らしい。
ライトは口端を上げてくすりと笑って見せた。
「悪い子供のお尻をひっぱたいてやったのさ」
その言葉をエルは呆気に取られたように目を丸くして聞いた。しかしすぐに下らない冗談を言うなと憮然とした表情をする。
「信じてないな。でも事実だよ」
ライトは自分が封印された時のことを一つ一つ思い出しながらエルに話し始めた。
封印される前、ライトは宮廷社会を根城にして活動していた。わざとそこそこの地位にあるが権力を手に入れられない者などを対象にして渡り歩く。権力者候補に取り憑いて権力争いに明け暮れる生活をしていた。
別に富が欲しいわけではない。そんな物に価値はない。ただ純粋に争いの駆け引きを楽しんでいただけだった。
富を得たい宿り主と富を求めないライトとの関係は良好だった。
しかしそんな日々を台無しにしたのが一人の外見ばかりがでかい子供だった。
権力者と契約してその者についていく生活をしていたライトは王城にもよく出入りをしていた。しかしたまたま女の格好でいた時にその煌びやかな城の住人の好みに的中したらしい。
手込めにされそうになり、思いっきり反撃してやったのだ。
ライトを襲った不埒な男。その図体ばかりがでかい子供が王族に連なると知ったのは後のこと。
悪魔とばれたライトは封印されてこの協会に保管された。
「もう百年も前の話さ」
「ライト君は権力争いが好きなんですね」
そこはライトにとって別にどうでも良いところだったのだが、エルにとっては重要だったらしい。
その言葉を噛締めるように口の中で反芻している。
「楽しいからね。お前がこんな田舎町の神父じゃなければ少しは楽しめたかも知れないけど」
こんな田舎では争う相手もいない。中央に行くコネもないだろう。それはライトを酷く落胆させた。暇つぶしさえ存在しない。
「神は争いを望まないので暇になったのは神の思し召しだそうです。ワタリが言っていました」
「聖職者なら自分で神に聞けよ」
「ワタリに聞いたほうが簡単ですよ」
冗談のような掛け合いを真面目にする二人を扉の影から見ながら、ワタリはそっと笑みを零した。あんな風にのびのびと話す主人は初めて見たと。主人は暇だと嘆いていたが、ここに来た事もそう悪くはなかったのではないかとこっそりと思った。
エルとの会話は面白かった。
宮廷社会を根城にしていたのはもともとは頭を使う事が好きだったからだ。それと同じくらいエルとの会話には頭を使う。
田舎神父の癖にエルは博識だった。百年前の宮廷であった事を思い出話の様に話していたのだが、彼はその登場人物をことごとく知っていた。この男は確実に生まれてない時代。時には違う国の話もあったのにも関わらずだ。そしてその時その時のライトの行動に対して忌憚ない意見を発してくる。
実に惜しい。というか不思議な男だ。この男の才覚ならば上に上り詰めていてもおかしくは無い。教会だといっても宮廷と同じで権力争いがあるものなのだ。それなりの立場にいないのは不自然の様にライトは感じた。時にエルの意見は権力争いを経験した者でないと思いつかないような意見が出てくる。
(そういうのを考えられるのも才能のうち……か?)
もしエルが権力者ならばきっと戦友になれただろう。
権力争いは頭を使った血生臭い闘争だ。敵になるにしろ味方になるにしろきっと面白かったに違いない。
似合わず熱い事を考えながらライトが何をしているかといえば、エルの部屋の扉の前で夜這いの隙を狙っていた。
随分な差だよなぁ、と冷静な頭はため息をついている。しかし力を回復する手立てはこのエルの精気を奪うしかない。
もう深夜も深夜、普通なら誰もが意識を失い寝ている時間だ。
睡眠をとる必要のないライトは眼をはっきりと開けて、慎重に扉を開きエルの眠るベッドに近付いた。
姿勢の悪い男だからきっと寝相も悪いに違いない。
自然とそんな事を思っていたのだが、目の前にしてみればエルは驚くほど綺麗な形でベッドの上で眠っている。
作ったような体勢でとても眠っているようには見えない。
(意外な姿だな……)
しかしこの体勢は都合が良い。何故ならモノが掴み易いから。
(とりあえず手淫か口淫……口のがいいか。零れないし)
しかし人間という生き物はどれくらいの刺激を受ければ眼を覚ましてしまうのか。
いつもならば魔力で深く眠らせてしまうライトには想像がつかない。
だが迷っていても仕方がないとライトはその身を隠している掛け布を手に取った。刺激のないようにそっと捲ってみるがエルに変化は見られない。どうやらちゃんと眠っているらしいことに僅かに緊張を解いたライトはゆっくりと静かに息を吐いた。
(よし!いけるぞ)
気合を入れて覚悟を決めたライトは、男らしく威勢の良さすら漂わせながらエルの性器に手を伸ばした。
「何をしているんですか?」
唐突に降りかかってきた声にライトは硬直した。
手を掴まれている感覚にぎょっとする。目の前で確かにベッドに寝ていたエルが今は起き上がってライトの手を強く掴んでいる。
いつ起きたんだ!本当についさっきまでは寝ていなかったか!?
混乱するライトの手をさらにエルが強く握り締めた。ぎざぎざになっている爪が肌に食い込む。
痛みを感じてさらにライトは混乱した。痛いだなんて100年ぶりの感覚だった。
それに自分の身体能力が本当に人間並みになっている事を痛感する。
「おい!痛いから止めろ」
「ライト君は本当に私の下僕ですか?」
疑問系で発せられる言葉にライトは「当然だ!」と声を荒上げた。そんな関係でなければ言う事を聞くなどするはずも無い。
100年前だって契約者とは対等な立場で飽くまで契約していたのだ。今のように下僕と主人の関係ではなかった。
「では貴方は私以外の命令を聞きませんよね?」
「そうだ!お前は対等の関係をだなんて言ったが契約がある以上僕はお前以外に仕える事はない!」
そうして断言して、やっとエルはライトを掴む手を緩めた。しかしそれでも離す事はしない。
「……ライト君はどうしてここに?何を?」
続いて発せられた疑問の言葉にライトは口ごもった。
理由を言うのは憚れた。力を取り戻そうとしている事が知れればエルが強制的に止めさせようとすることは目に見えていたし、正直に言って淫魔と知れるのも嫌だった。ライトは倫理観が強く潔癖症な淫魔らしくない淫魔だった。それにエルとした昔話で自分は権力者達に己の頭脳を求めさせて契約を取ってきたのだと言ったのも強くライトを苛む。
ライトは数々の権力者達と頭脳の契約もしたが身体の契約もしたのだ。そうしないと力を維持できなかったのだから仕方ない。
仕方の無い事だが、それも淫魔としてなら本来頭脳の方が付属なのだ。
ライトはエルに頭脳の方がおまけなのだと思われたくなかった。相手は友になれたかもと思えるくらいの人間だ。
軽蔑されたら……と、そんな事が頭によぎってしまう。
「もう一度聞きます。ここにはどうして?」
繰り返されるエルの質問にライトは口を開いた。相手は主人なのだから抵抗なんて出来るはずがない。
「エルと一緒にいたかったからだ」
その言葉にエルが目を丸くする。ライト自身も己の発言に驚いて思わず口を覆った。
(嘘をつけた?そんな馬鹿な!)
「……本当ですか?」
エルが呆けた表情でライトに聞く。ライトはそれに自分でも信じられないと思いながら頷いた。
そう、嘘をつけるはずが無いのだ。契約は絶対のものだから。
(つまり僕はエルと本当に一緒に居たかったんだ)
あまりの事態にライトはぼうっとしてしまった。だからエルが何かを言っているのは理解していても、何を言ったかまでは理解していなかった。
「どうぞ」
「何?」
「寂しかったのでしょう?」
エルは床に落とされていた掛け布をいつの間にか手にして、ライトをベッドに招き入れるような体勢で居た。状況を把握できていないライトにエルは穏やかに笑う。ライトにはその笑みが小馬鹿にされたように見えた。
「100年一人ぼっちで寂しかったのでしょう?他人のベッドに入り込もうとするほど」
「違う!」
ライトが強く否定してもエルは笑っているだけだった。完全に誤解をされた。
たかだか100年封印されただけで寂しいなんて思うはずも無い。退屈ではあったが。
「じゃあ入らないんですか?」
挑発する様に言われてライトは渋々ベッドの中に納まった。それを見て想像通りにエルが人の悪い笑みを見せる。
ライトはけっして寂しかったわけではない。今は無理そうだから朝勃ちを狙ってやろうと思っただけだ。
「ではお休みなさい」
エルの声に反射的に「お休み」と呟くもライトは眠ることもできるが必要が無い。
今は眠る気も起きないので目をつぶった振りをしなくてはならなかった。
エルが寝たかどうかは分からなかった。何故ならエルはあの綺麗な姿勢正しい眠り方ではなかったからだ。
まるで獣が身を守るように丸まって月に背を向けて眠っている。
警戒されているのだろうか?
その姿にライトは僅かだが本当に、少し寂しいと思ってしまった。