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Fall Down  05
 太陽が燦々と照り真っ白なシーツがそれに反射してきらきらと輝いていた。
風になびくシーツの群にライトは満足気に笑った。
「よし!洗濯完了〜」
『夜の悪魔である夢魔が太陽の下洗濯か』
 頭の中で死神リュークのつっこみを聞くがライトは軽く無視した。
最近リュークは話しかけてきてもライトの行動に対して文句を言うばかりだ。似合わないとばかり言われているとさすがに嫌になる。
リュークの無粋な言い分に対しえは元から昼間も活動してると反論したかったが、政治の陰謀劇と洗濯では天と地ほどに内容に差異があると思い至って辞めておいた。賢明な判断だろう。
 既にライトがこの教会で暮らす様になって一週間が経過していた。
今の所ライトの戦績は全戦全敗。エルから精気など欠片も奪うことが出来ていなかった。
 夜に忍び込めば起きられて、朝を狙ってものらりくらりと避される。まるで自分が狙っているのを知っているかの様な逃れっぷりだった。あまりにも毎夜忍び込むものだから昨日など「そろそろ寝室に向かいますが一緒に行きますか?」とお誘いを掛けられるくらいだった。といってもただの添い寝のお誘いなのがライトには嘆かわしいばかりだ。

「ライトさん。そろそろ昼食ですのでエル達を呼んで来て下さい」

 空になった洗濯籠を抱えて裏口に入ったライトに調理場からワタリの声がかかる。ワタリは雑務から料理の様な家事まで全てをこなしている。
 今はライトが多少手伝っているが、それまではどうしていたのか……手伝いを雇えばいいのにとライトは思う。
いくら片田舎の教会とはいえ仕事は多いし、手伝いを雇える金がないとは思えなかった。この家でさりげなく使われている食器や家具の数々が希少で高価な品であることをライトは見抜いていた。
金をけちって老人を無理に働かせるよりは人を雇えば良いのにと常々思うが、エルも当人のワタリですらそれを拒否していた。
 ライトはエルやメロ達がいる勉強部屋の戸を軽くノックした。
今はラテン語の勉強中だ。返事がないのでそっと扉を開けて中へ入ると今まさに採点中だったらしい。
神妙な顔つきのメロと相変わらず飄々とした態度のニアがじっとエルの動かすペンを見つめている。
ライトも釣られて固唾を飲んで見守っているとエルの手から机にペンが置かれた。
 それを見たメロの顔から一筋汗が流れる。
「どう?」
「メロ、一カ所綴りの間違いがありました。ニアは問題ありません」
 質問に答えたエルの言葉にさっとメロの表情が暗くなる。それを見やってニアはふっと口元を歪めた。
「私の勝ちです」
「くそっ!またニアに勝てなかった!いつもいつも……ちくしょうっ!!」
 見下すようなニアの声にメロが地団駄を踏む。漸く普通に話せるような空気になってライトはそっとエルの方に近付いていった。
「何?勉強で勝負してるの?」
「らしいですね。向上心が生まれるなら良いことです」
「どれ?」
 二人の回答用紙をつまみ上げて見比べる。ニアのそれには几帳面な字で近況が書かれていた。対してメロは詩の様だ。
「この詩はメロの自作?」
「うるさい!適当に書いただけだ!」
 顔を真っ赤にさせたあと言い訳する様にぶつぶつと近況で良いのなら僕も近況にしたと言っている。
どうやら適当に文を書けとでエルは指示したらしい。結果ふたりはそれぞれ違う文章を書く。
メロの詩をもう一度一通り眺めてからライトは二人に答案用紙を返した。
「芸術に富んでいるのは良いことだよ」
 メロに渡す時にそう付け加えるが馬鹿にされた様に拗ねている。ライトはエルと顔を見合わせてやれやれと肩を竦めてみせた。
そしてもう一度、メロに向き直る。
「あのね、芸術に富んでる事は女性にとても受けがいいんだ」
「女にもてるだけだろ?」
「そう。女性に受けがいいと女性から保護をもらえる。貴族のご夫人を味方につけるのはとても良い策だよ」
 宮廷社会を暗躍していたらしいライトの言葉にメロは顔を上げた。その表情は少し嬉しそうだ。
「本当?」
「そう。これも君の武器になる」
 勉学意外を無駄な物として捉えていたらしいメロはその言葉に笑った。メロを微笑ましげに見ながらライトが頭を撫でる。
それを見たニアが勉強だけじゃ駄目なのか?と軽く嫉妬するような言葉を呟いた。それがまた微笑ましく映ったライトはそんな事はないと笑ってニアの頭を撫でる。
 すっかり仲がよくなった三人をエルは無表情で見つめていた。そのエルにライトから声が掛かる。
「取り合えずご飯食べに行こうか?ワタリさんが首を長くしてるよ」



 カチャカチャと食器がたてる音を聞きながらライトは皿に乗った林檎を摘んで口にした。ライトは食事をする必要がない。
ただ味覚はあるので口寂しい時に適当に果物などを口にしていた。
特に周囲が食事をしている間はなんとなく居心地が悪く自分もついつい物を口にした。しかしそれでも人間とは圧倒的に量が違う。
それを一週間たってやっと気になったらしい。エルが神妙な顔をしながら「食べないんですか」と聞いてきた。
それにしたり顔でメロが答える。
「ライトは食べなくても良いんだよ」
「さすが悪魔ですね。人間とは根本から構造が違う様です」
 ニアまでも当然のように口添えるのにエルは頭に疑問符を浮かべた。
「何で知ってるんですか?」
「教えたから」
 あっさり答えるライトにエルが私には?と問いかける眼を見せる。ライトは肩を竦めて「聞かれなかったし」と答えた。
その言葉にエルは眉間に皺を寄せる。
「今度からこの二人に話すことは事前に私にも教えて下さい」
「どうして?主人扱いしなくて良いんじゃないのか?」
「二人が知っているのに私だけが知らないなんて不愉快です。そういう性格なんです」
「我が儘な奴だな」
 思わずライトは笑った。それでもライトが今まで取り憑いて来た相手と比べればよほど無欲だし清廉潔白の士といっても良い。
それはライトにとっては新鮮だし、魔の物とは思えぬくらい真面目に生まれてしまい淫魔であることを厭う気のあったライトには嬉しいくらいの契約相手だった。少しくらいライトの付け入る隙があるともっと良い相手なのだが。
「では市に行ってライトさん用の果物でも買い足しましょうか?」
 会話を聞いてそう提案したのはワタリだった。それを聞いてメロが眼を輝かせる。
「隣町に行くのか!?」
 嬉しそうなメロとは対象的にライトの顔色は曇った。はじめはワタリの提案を歓迎したが、わざわざ遠出の必要があると知ると素直には喜べない。
「食事を取る必要はないんです。わざわざ隣町まで……」
「どうせ他にも買い足しますしエルにも用事があります」
「エルも?」
 その言葉をライトが怪訝に思うのも無理はなかった。エルが外出するのをほとんど見たことがなかったからだ。
ライトと出会った時以来結局外に出たのが最初で最後だ。
「はい。どうせメロもニアも付いてくるんでしょうからライト君も」
 市には人が多い。精気を奪うチャンスも妙に避けられるエルよりあるかも知れないと計算してからライトは頷いた。
「わかった。皆と行くよ」
ライトの言葉にメロが手を叩いて喜ぶ。ライトが残ろうとすれば一緒に留守番を言い渡されたかも知れないからだろう。
「では食事の後に。ワタリ、馬の用意を」
エルの指示にワタリが頷く。ライトにとって百年振りの遠出だった。




 教会前の街道に出て待っているとメロとワタリが馬を引いてやって来た。馬は三頭。
世話を手伝っているライトにとっては馴染みの顔だ。ワタリに差しだされた手綱を受けとったエルは馬とライトを交互に見やった。
「ライトくんは馬に乗れますか?」
「乗れるよ。従騎士をしてたこともある」
 様々な経験をこなしてきたライトは自信たっぷりに宣言した。
ライトはエルの手綱に繋がれた馬の顔を見やる。ライトにとって動物とは子供と同じ様に安らぐ存在だ。
「よろしく」
 馬の顔に頬を寄せると親愛の情を示すように口を摺り寄せてくる。その仕草に月が嬉そうに笑うとエルは感心したようにその光景を見つめた。
「懐かれてますね」
「結構世話したしね」
「悪魔が動物の世話なんて嫌じゃないんですか?」
 その言葉をライトは良く理解できなかった。
動物の世話をすることはそれはつまりライトに好意を抱かせるのに必要な行動だった。
淫魔であるライトの魔力は隷従の魔力で、簡単に言えば相手に自分に対する強烈な好意を抱かせるものだった。それこそライトのためならば何でもするといった具合に。
その力を失ったライトは別の力で相手に好意を抱かせないといけない。それが相手の世話に繋がるので特に疑問は抱かなかった。
「ライト君は本当に悪魔には思えないですね。人間に・・・・・・私なんかよりぜんぜん善良なとても良い人間に思えます」
「お前より善良って事は無いと思うなぁ」
 エルは淫魔だと知らないからそう言うのだろう。否定するライトにしかしエルは頭を振る。
「そんなことはありませんよ」
 言いながらエルはライトに懐いていた馬に近付いた。すると馬はびくりと震え、怯えたような視線をエルに向ける。
「私は動物に懐かれません」
 だが馬はエルから離れない。たとえ怯えていても、いや怯えているからこそ完璧に従う。
ライトが好意による隷従ならエルは恐怖による服従だ。
「ほら、私のほうが悪魔的でしょう?」
 口端を歪めて笑うような表情を作ってエルは馬に乗り上げた。馬上で今度はライトに手を差し伸べる。
「どうぞ」
「一緒に乗るの?」
 見回せばワタリとニアが二人で、メロが一人での組み合わせで既に馬に跨っている。
「メロはまだ2人を乗せるほどの技量がないんです。でも手綱を持ちたがるんで・・・・・・」
 どうやらメロは詩以外にも乗馬にも興味があるらしい。
「多趣味なのはいいね」
 そう呟いてからライトはエルの手を取って馬に乗り上げる。掴まられた手をエルはライトが放した後もじっと見つめていた。
「おい行かないのか?」
 ライトに促されて漸くエルが手綱を操り馬を動かす。ワタリやメロ達とはワンテンポ遅れての出発となった。
馬の背に揺られながらライトは目の前のエルの背を見つめていた。
馬を服従させた時の格好良さはそこにはなく、ただ猫背でくたびれた老人のような体勢の男がいる。
この一週間でエルの姿勢がとても悪い事はよく分かっていたが、なんとなくむなしい。
そう思うのは寝ている時の体勢と似ているからだろう。あの獣が警戒するような態勢はそれなりに仲良く生活しているように思っていても一枚の壁を感じてしまう。
「エル」
「はい?」
「最近眠れてる?」
 愚問だな、と質問しておいてそう思った。エルには寝不足からか濃い隈がべったりと張り付いている。それが次第に濃くなってきている事をライトは知っていた。他者である自分がベッドに潜り込むから神経質なのだろうエルは寝れていないだろう。それなのに自らライトを自分のベッドに招き入れるのだから相当変わっている。
「寝れていますよ。ライトくんのおかげです」
 あからさまな嘘に溜息が出る。
もし今ライトに夢魔としての能力があればエルをどこまでも深い眠りへと誘えただろう。


彼に心地よい眠りという安らぎを約束する能力。



ライトは長い生で初めて己の生命活動の為でなく他者の、エルの安らぎのために淫魔の力を欲した。

想定している話のやっと半分来たところ…って
これ淫魔でやる意味あったんだろうか?(今更な話)



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