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邂逅
 ごろりとベッドに転がると見知った天井が広がっている。
意味もなく寝返りを打っている僕を真上から真っ黒な死神が不思議そうに見ていた。
 既に大学の講議も終えて自分の部屋に帰ってきている。デスノートに適当な犯罪者の名前も書いてしまったので、僕は珍しく暇を持て余していた。
 そう。それだけの時間が立っているのにも関わらず、口の中にまだあの苦みが残っている様な感覚がした。ただの錯覚だろうけど。
「なんかぼーっとしててライトらしくないぞ」
 頭上から掛かる声に僕はのろのろと起きあがった。
実際僕の頭の中は霞がかかったようにぼんやりとしている。
「リューク。僕は今すごく不思議な気分だ」
 今でも明確に思い出せる。
校舎の影、戸外の密室に響く流河の拒否する声。皮膚を通して伝わった興奮する熱。
それらは現実であったはずなのにまるで夢のように掴む事が出来ない。
「リューク……」
「どうした?」
「流河ってさ、ご飯食べるんだよね」
 脈絡のない僕の言葉にリュークは呆れたようなジェスチャーをとった。
「いつもケーキ食ってるし、コーヒーだって飲んでるじゃないか」
 あぁそうだ。リュークの言う通りに確かに流河は甘いお菓子を好んで食べていた。
コーヒーも飲む。ただしものすごい量のミルクを入れているから、初めて見た時はとても驚いた。今なら当たり前の事として考えられる。
 そういうふうに相手の趣向が分かるくらい食事やお茶を一緒にとった事がある。
それなのに僕にとって飲食をする流河というものはとても違和感がある。
食べている姿は思い描けるけれど、それがエネルギー摂取の為の生命活動であると言うイメージが無いのだ。
「食事をするんなら当然排泄もする。
リューク、想像できるか?あの流河がトイレに行くんだ」
「そんなの当たり前だろ?人間なんだから」
 呆れたようにリュークは言っているが僕には流河がトイレに行っているところなんて想像出来ない。
 食欲、睡眠欲、性欲……生きる為に必要な欲求のどれもが流河には似合わない。
そんなもの必要無いんじゃ無いかと思えるくらい流河は淡白で浮き世離れしていた。
 今日大学で僕は初めて流河にも性欲と言うものがある事を知った。
人間なら当然持ち得るそれが流河にもあると言う事が僕には不思議でならなかった。
 初めて見てしまった流河の欲を僕は引き出したくて強引に動いた。
そういえば流河に性器があったのもをこの目で確認した時も不思議な感じだった。
別に女と思っていた訳じゃない。そういう生々しく肉のある生物として流河を考える事が出来なかったからだ。だからこそ排泄するイメージすら湧かないんだろう。
 そういう現実の肉を伴わない、まるで神話の中の登場人物の様な男を僕は人間に堕とした。
とても気分が良かった。
神になる僕の前に立ちふさがった神の様な男も結局人間でしかなかったのだ。
その事実を引き出せたことが楽しくて仕方がなかった。
 それなのに頭の中にしっかりと記憶された流河の苦渋の声だとか、嫌がる様子だとかが僕の気分を害す。
 流河は僕に欲を引き出される事を嫌がっていた。
だから流河の中では性欲とかは下賤なタブーの様な存在としてあったんじゃないだろうか?
じゃあそれを引き出した僕は?
僕は無性に自分が薄汚い人間のような気がした。
真っ白な紙を汚してしまう黒いインクだ。
僕が触れたところから黒が蝕まれて、流河はLの真白い神聖性を失ってしまう。
 そこまで考えて僕はこれじゃいけないと頭を振った。
僕は神になりたいのだから自分を汚れている人間だなんて思ってはいけない。
いや、神になるのだと決めたのだから、この薄汚い人間の肉を失わなければ。Lの様に。
 混乱した僕の思考を止めてくれたのは僕の意志でなく、唐突な携帯の着信音だった。
部屋に響くその音が普通の着信メロディであることに少し安堵する。
それは相手が流河ではない事を示していた。
僕の携帯は基本的には着信メロディを利用していたが、流河の番号だけにはシンプルな着信音を設定してある。
 携帯を取りディスプレイの表示を確認すればそこには寺椅の文字があった。
彼から連絡を貰うのは初めてだ。何の用事なのか不審に思いながらも電話をとる。
「もしもし。寺椅?いきなりどうしたんだ」
「なぁ夜神ー、今日暇?暇だったら遊ばね?」
 なんて事はない用件に僕は気が抜けた。
考えてみれば寺椅からの電話など流河のそれと違って身構える必要などない。
 唐突な招待は僕にとってはなかなか良い話だった。
入学してからの僕は常に流河と共に行動していて大学の人達と疎遠になっている。
今日は予定もないし、これを期に交流を深めるのも良いだろう。
 特に寺椅は打算で動くタイプだから便利な友人が多い。
その中に入る事は僕にとってもプラスになる。
「良いよ。じゃあどこで落ち合おうか」
 了承の返事に寺椅は待ち合わせの時間や場所を指定してくる。
久しぶりの流河と関わりのない外出に僕は少しだけ気分が高揚した。
どうせなら思いっきり楽しんでしまおう。
そして僕を悩ませる流河も視線も穢れた肉をも忘れてしまおうと、僕は珍しく現実逃避の様な事を考えていた。





 夜の暗闇を鮮やかなネオンに彩る街は、その華やかさとは裏腹にごみごみとしていて汚かった。
道路では学生やサラリーマンがそれぞれの目的地へ向かって波のように歩いている。
それらを遠目に眺めながら、駅前の人込みの中で僕は寺椅を待っていた。
 リュークはと言えば物珍しそうにそこらを子細に観察している。
思い返してみればこんなに賑やかな街にリュークを連れてくるのは初めてだった。
高校の時はキラとしてはまだ不慣れでそんな暇はなかったし、大学に入ってからはキラには慣れたが流河に付きっきりだった。
流河と出かけるにしてもこういった場所は候補にもあがらない。
あいつは静かな場所が好きらしい。
僕も賑やかさよりは落ち着ける方が好きなのでそういう所は気があった。
「夜神!待たせた!」
 駅で待つこと15分。
約束の時間から10分遅れで寺椅は僕の前に現れた。
「遅いよ」
「悪い。ちょっと野暮用」
 軽いごまかしの笑みを浮かべている寺椅には反省も悪意も見られない。
僕は軽く溜め息を付いて寺椅に細やかさを望んでも仕方ないと諦めた。
 それにしても……現れたのが寺椅だけとはどういう事だろう。社交家のこの男ならかなりの人数を引き連れて来ると思ったのだが。
「今日のメンバーは寺椅だけ?」
「あぁ、実はどーしても夜神と2人で行きたい場所があって……」
 その言葉に僕は軽く疑問を覚える。
僕は寺椅とこうして出かける事自体初めてだった。
それなのにいきなり2人で行きたい場所があるなんて意外も良い所だ。
 僕は自分では社交的な親しみやすい人間を演出していたけれど、容姿のせいかどうしても人に近寄り難い印象を与えてしまう。僕と親しくしたい人は多かったけど、慣れていないと2人だけでいるのにすら居心地悪くなってしまうらしい。
 寺椅もまた、僕とは慣れていない人間の筈だった。
出会ってからは長いが交流は浅い。それでも僕と2人でどこかへ出かけようとするのだ。
気にしない質なのか、度胸があるのか。
どちらの理由も違和感があった。
「夜神!行かねーの!?」
 催促の言葉を掛けられて僕は自分が俯いて考え事をしていたのだと初めて気が付いた。
反射的に寺椅の元へと駆け寄り、どこへとも知れない寺椅の行きたい場所に素直に付いて行こうとしてしまった。
 しかし歩いて行く内にそう考えなく寺椅に付いて来てしまった事を酷く後悔した。
寺椅と僕の足が進むに連れて周囲の人間の雰囲気が変わって行く。
楽しそうに遊ぶ学生や疲れを飲む事で吹き飛ばそうとするエネルギーに満ちた会社員から、倦怠的で淀んだ空気を孕んだ何の職かも分からない人々に。
ネオンと街灯で明るく彩られた広い道は狭くて汚れた暗い道へと変化して行く。
 日本にだって少し裏道に入ればこういう治安悪い場所はある。
しかし僕を不安にさせたのはこの道が世間に潜む裏の世界の一部だったからではない。
この汚らしい世界が僕の記憶の中にしっかりと存在するからだ。
「夜神、この辺懐かしーだろ?」
 たわいない思い出話を語るように寺椅は言った。
僕は目だけ動かして周囲を見渡す。
汚らしい道路、汚らしい人々。白を汚す黒いインクを身に纏う人々。
「中学後半から高校の前半までだっけ?
お前みたいな優等生がそんなガキのころにこんな所に出入りしてたなんて……吃驚した」
 世間話でもするように寺椅は言う。実際こいつにとっては世間話なのだろう。
御自慢の広い交友網を使ってどこからか僕の『昔の話』を手に入れた。
それをただ話しているだけ。
「おっ、ここだ」
 寺椅が1つの建物を指し示した。汚れた壁で構成されたビル。
それが僕の中の記憶が揺さぶった。ここは昔に馴染みだった。
 寺椅が僕の手を引いてその建物の中に当然のように入ろうとした。
それに僕はゾッとして掴まれた腕を強引に外す。
乱暴な行動に寺椅はどうしたかとでも問う様なきょとんとした顔を見せた。
「なんだよ?夜神」
「寺椅、ここがどこだか分かってるのか!?」
 小声ではあったが強い口調で咎める。
もしこのビルに僕が出入りしていた頃と同じ店が入っているのなら、僕は絶対に入りたくなんてなかった。
拒絶する様な態度の僕を寺椅は不思議そうに眺めている。
「分かってるって。ていうかなんでそんなに嫌がんの?常連だったんだろ」
「常連なんかじゃ……」
「まぁ常連じゃなくても良いけど、別にここに来るのは初めてじゃない。そうだろ?」
 なら良いじゃないかと平然と言う男に僕は怒りを感じた。
確かに僕が以前ここに出入りしていたのは事実だった。
しかし今は違う。神となるべきこの僕にこんな場所はもう必要無い。
いたくもなかった。
「嫌なんだ。もう興味もないし」
「本当にか?」
 否定の言葉を吐く僕の目をしっかりと見つめながら寺椅は聞いて来た。
真実を問いただそうとする目は一瞬だけ流河を思い出させる。
しかし寺椅と流河じゃ迫力とかが根本的に違っていた。
流河の言い知れぬ威圧感は正に世界を相手取った男の物で、僕は正面からそれを全力で受け止めなくてはいけなかった。
 たかが一般の大学生に過ぎない寺椅にそんなものはない。
しかし何か含む所がありそうな寺椅の言葉に僕は屈してしまった。
いや、屈したと言うよりはどうでも良くなってしまったのかも知れない。
 寺椅は昔の僕がどういう風な事をしていたかを知っている。
それに僕は今日、少なくとも表面的には友人であったはずの流河の性器を口にくわえこんだと言う事実があった。
 この古びたビルの中には小さな部屋が無数にあって、ビルの主人はそれを貸す事で金を稼いでいた。
貸し時間は大体数時間から1日。なんにでも使って良いが大抵の人間が女性を連れ込んだりするのに使っていた。
出入りしていた頃の僕もそれが目的だった。
最も相手は女じゃなかったが。
 ここの主人は部屋を借りた人間がどんな人間でも気にしなかった。
例えば連れ込まれている女が明らかになんらかの条例にでも引っ掛かりそうな子供であっても気にしない。
そういう場所なので明らかに子供の僕が入っても構わないようだった。
 いや、それはただ単にこのビルが一時的に部屋を貸す場所であって、飽くまでラブホテルの様な場所ではないと言う屁理屈めいた理屈だったのかも知れない。
金さえ払えばどんな人間が借りて行っても主人は気にしない。そういう場所だった。
 寺椅は屈してしまった僕を引き連れてビルの中に入って行った。
カウンターで金だけを待つビルの主人は僕が通りかかる所で僕を眺めた。
「もうこういうのは止めたと思ったよ」
 詮索をしない所が良いと思われていた主人がぼそりと言った。
僕を覚えていたのか。
こんな場所を経営している癖にまるで心配するかの様な口調が可笑しかった。
 ここの主人や寺椅に教えた奴、思ったより僕の昔を知っている人間がいる。
自分の過去についてはどうでも良いがそれを流河に知られるのが嫌だった。
また一歩あいつの中でキラ……犯罪者に近付くかも知れない。
それは困る。
「寺椅は……僕とやりたい訳?」
「やる目的以外ではあんまり借りる場所じゃないんだろ?ここって」
 遠回しな肯定の言葉。
寺椅は普通に女好きだと思っていたのに。
いや、あれだけ興味があると言った様子だったのだから一時の好奇心でこういう事をしているのかも知れない。そちらの方が寺椅のイメージにはあった。
 寺椅について歩きながら、もうどうでも良いと言う諦めが僕を支配していた。
適当にやってさっさと帰って眠って忘れてしまう。
僕らしくないと思って、しかしそれがついこの間までの僕らしいだった事を思い出した。
デスノートを拾う前の僕。酷い倦怠感に身をゆだねながら過ごしていた頃。
あの頃はいつもこんな感じじゃなかっただろうか。
「この部屋な」
 寺椅はドアを開いて僕を促す。
すでにどうでも良くなった僕は部屋に入ろうと一歩足を踏み出した。
 だがその瞬間寺椅の腕が僕の身体を掴んで強引に部屋の中に押し込んだ。
唐突なそれにバランスを崩した僕は部屋の中に勢い良く転がり込む。
そのまま床にでも倒れてしまいそうになったが、僕が床の冷たく固い感触を感じる事はなかった。
 倒れそうになった身体を暖かい柔らかい物が支える。人間の身体だ。
どうしてこれから寺椅と入るはずだった部屋に既に人が居るのか。
顔を上げ支えてくれた人間を確認しようとして、僕は息を飲んだ。
「……りゅうが」
「夜神くん」
 あまりに予想外の人物に僕は呆気にとられてしまった。
どこに居ても自分のペースを崩さない流河がいつも通りの顔で目の前にいる。
「寺椅!どういう……」
 流河がいる事に驚きながらも、事情を全て知っているだろう寺椅を振り返って見る。
寺椅は部屋に入らずにドアの前でにやついた笑みを張り付けていた。
「実は昼間色々見ちゃったんだよな〜。まさかそんな事になってるとは思わなかった。
でもまだ最後までとかいってないみたいだし、流河は夜神に興味あるっぽいし。
恋の後押しとか?」
 笑いながら話す寺椅を僕は睨み付けた。昼間の衝動的な流河とのやり取りを見られていた事に羞恥を感じない訳ではない。
そしてそれを見ただけで勝手にこういう風に行動を起こす所に怒りを感じていた。
何か抗議をしよう。口を開こうとしたがそれは流河の声に遮られてしまった。
「寺椅くん。私が夜神くんに興味があるなんて決めつけてこんな行動をとらないで下さい」
「興味あるだろう?いつも夜神のこと見てて……むしろ夜神のことにしか興味ないって感じだ」
「それは……」
 流河は監視だからという言葉を飲み込んだようだった。
流河は基本的に仕事で僕を見てるけどそれを寺椅に説明する訳には行かない。
「まぁゆっくり楽しんでくれよ。ちゃんと消えるからさ」
 そう言って寺椅はドアを閉めてしまった。僕が追い掛けようとドアノブを掴んだ瞬間がちゃがちゃと鍵が閉められる音がする。
「寺椅!閉じ込める気か!?」
 しかし鍵を掛けたところで内側から開けられない訳無い。
僕はサムターンを捻って鍵を開けようとしたのだが、それは異様な程に固く動かす事が出来なかった。
ドアを開けようと奮闘する僕に流河の冷静な声が掛かる。
「ドアに細工された様ですね。閉じ込められました」
 その言葉に僕は諦めてドアから手を放した。
振り向けば流河は閉じ込められたと言う事態を特に気にした様子もなく、飄々とそこに突っ立っている。
 流河旱樹、L。僕をキラを追う世界的な探偵。
世界を相手取る男には似合わないこの汚らしいビルの狭い一室。
人と人が混じりあう為のこの空間に僕と流河は2人っきりでいる。
僕は自分の血がどくどくと脈打つ音を聞いた。
僕の血は赤くない。真っ黒な、インクだ。
体中から黒いインクがしみ出して、また流河の白を蝕んでいるのだと感じた。



やっと更新出来た……
寺椅復活。そして今度は寺椅が奇行に走りました。
まあ寺椅はどうでも良いや。
次はもっと早く続きを書きたいです。




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