癖
夜神月の交友を調べろと言う私の指示にワタリは瞬時に応えて結果を出した。
指示した翌朝にはワタリから報告書が手渡される。
そこに書かれた名前の羅列を一気に脳に叩き込もうとする私を見ながらワタリが言った。
「ほぼ調べ尽くしたと思います。夜神月に関して口を噤んだのは彼らです」
ワタリの示した資料を手に取る。夜神との関係は中学時代の友人、塾のクラスメイト……
「共通点は?」
「夜神月と深い関係だったようですね」
ワタリの言葉は予想の範囲内だったがそれでも心中穏やかにはなれなかった。
私は夜神の相手だった男達のリストを眺めると、ワタリに問題なしと判断された資料から一枚を抜き取った。
「彼はどうです?」
データが指し示す名前は寺椅だ。
ワタリはやはりといった表情をしていた。まるで私が寺椅の事を聞くのだと分かっていたかのようだ。
「夜神月との関係はありきたりな……それもあまり親しくない友人でしかありません」
そのワタリの言い方に何か含むものを感じた。
まるで夜神月以外においては普通ではない、何か特筆すべき物でもあるかのようだ。
「どんな人間だ?」
「別に彼の親類縁者に名の知れた大物がいるとか、そういう話もありません。ごく普通の方ですが、大変な社交家のようです」
寺椅が社交家であるというのは少ししか接した事のない私でも分かる事。
また、彼の性格も人好きがし易そうでたくさんの友人を持っているだろう事も容易に想像できる。
しかしこのワタリが『社交家』だと言うくらいだ。おそらくそれは一般の社交的な人間の範疇にはいない。
社交的であること自体がすでにひとつの能力として完成されているのだろう。
「財界、政界、芸能界から裏社会まで一通り大なり小なりのコネクションを持っています。
もちろん東京近郊に限定されますが、あの年齢では十分すぎるほどでしょう」
芸能界や裏社会はまだ良い。出るのは兎も角、介入するのがたやすい世界だ。
しかし財界や政界は生まれが影響する。目の前のデータを見る限り、寺椅はそれを伴っていない。
おそらく最初は裏社会から。そのコネをもってして財界等に乗り込んだ。大っぴらにはできなくとも、彼らはそれを欲している。
寺椅は実に都合の良い仲介役だったのだろう。
「彼に頼めばある程度のことは無償でできるんですよ。『飽くまで』寺椅は他の友人に頼んで友人を助けているだけなので」
「本当に都合の良い……」
吐き捨てるような私の声音に一瞬だけワタリが眉をひそめる。
それは何か特殊な技能を持った人間に対して褒める事はあれ、完全に否定する事が少なかったからだろう。
そう、確かに社交をそこまでのレベルに持っていったのは賞賛に値するのかもしれない。
しかしそんなものを吹き飛ばすくらい、私は寺椅が嫌いだった。
「大学に向かいます」
資料を机に放り投げて私は立ち上がった。
近付いたワタリがそれを整えて置き直す。私は部屋を出る前にさまざまな物が雑多に置かれた一角からひとつの物を引っ張り出した。
黒い小さなそれに引っ付いたコードをぐるぐる巻きにしてまとめてポケットに突っ込む。
「ワタリ。それだけの交友を持った人物なら、大学には当然大量に言う事を聞く奴がいるだろうな」
「いるでしょうね」
「誰かを尾行してくれるような奴も簡単に見つかるだろう……」
大学でのあの視線を思い出す。常に存在した好奇心ではない悪意ある視線。
常にともに入る夜神が違うのであれば、それを行っているのが単独だとは時間的にとても思えない。主犯と、そして共犯がいるはず。
夜神月も同じように見られていた。そして彼のストーカー被害。
寺椅が行ったなどという証拠はひとつもない。
しかし私は寺椅の『悪意』の証拠を知っていた。
とても小さく黒いポケットに詰め込めるくらいの悪意だ。
寺椅も夜神も一見とても善い人間なのに実際は決してそんなわけではない。
悪意を持っていた寺椅とキラである夜神。
いや、夜神に関して言えばそんな事以上に目の前にある彼の関係者の資料の方が堪える。
「ワタリ。人間の醜さと無縁な人間なんている訳がないんだろうな」
本当にそんな人間がいたらいいのにと自分のことを棚に上げて思う。
醜い人間ばかりと接していて、そして自分自身の人間としての汚さを理解しているからこそ求めているのかもしれない。
そんな理想的な人がいれば……
無意識に浮かんだのはキラという名前だ。
そんな自分にほとほと呆れるがそれでも思ってしまった。
キラが夜神でなければいいのに。
それでも私の中で夜神ただ一人がキラで有り得る人間だった。
大学に着くと遠くで夜神と寺椅が話しているのが見えた。
夜神は寺椅の心配をしていたから彼と一緒にいるのはごく自然な事だ。
私は二人の間に割り込もうと足を早めたが、私がたどり着く前に二人は別れ寺椅がこちらを向いた。
私に気付いた寺椅がこちらに向かってくる。私はポケットの中に手を入れてホテルから持ってきた物を掴み取った。
「流河も無事だったんだな」
私の前に立つなり開口一番にそう言った。
一昨日のあの事件についてこうも普通に話している事に、白々しいとあの日の寺椅の行動を知った私は思った。
彼はあの日、私達があんな目に会うことを知っていた。
あの場所で取引があるという情報を警察がどうやって見つけたのか。調べてみても一向に出所がつかめない。
その代わりにあの捜査に関わった者の中に寺椅の『お友達』は見つけた。
その上私達が薬物を見つけたすぐ後に警察が踏み込んだというタイミングの良さも寺椅と私の手の中にある物の存在だけで説明できる。
私は寺椅を睨んだ。
びくりと寺椅の身体が一瞬震えて、怯んでいるのだと知って胸がすいた。
結局のところ寺椅自身には何の力もない。小物だ。
「寺椅くん。今後一切、夜神くんには近づかないで下さい」
断言すると寺椅は何を言っているんだと呆れているようなポーズをとった。
内心焦っているのが分かる。私がズボンのポケットから掴んでいたその物を取り出してやると寺椅の表情は一気に変わった。
寺椅が脂汗をかきながら手を伸ばして受け取ろうとする仕草をしたので、私は伸ばされた先の掌にその黒い物体を落とした。
盗撮に使える小型カメラだ。
受け取った寺椅は観念したというように両手を挙げてため息をついた。
「おかしいと思ったんだ。夜神が相変わらずだから。流河コレの事話してないな?」
「えぇ、不安を煽る事もないでしょう?」
これは一昨日、あの取引の会った部屋で見つけた。
壁の亀裂の中に仕込まれていたそれはちょうどベッドに向けられていた。あの状況下、何を撮ろうとしていたかは明白だ。
このカメラについて夜神に何も話さなかったのは、寺椅に対しての夜神の感情を壊したくなかったからだ。
寺椅がどんな人間だとしても知らなければ問題はない。
知れば夜神は傷つくだろう。もし傷ついてもそれで何か彼に影響するなら良い。
それなら私は率先して彼を傷つけるために徹底的に寺椅の事を洗いざらい夜神に教えるだろう。
しかし寺椅の裏切りも夜神のキラという性を変化させることはまず出来ない。
どんな醜さに触れさせたとしても、それに傷つき悲しむことこそすれ自分には結びつけて考えない。
人は誰もが醜さを持っているのだから表面に出ている犯罪者だけを消しても意味がないと解ることが出来ないのだ。
それなら意味もなく傷つけたくない。それも寺椅などという人間を理由に。
「過保護だな、流河は」
寺椅のコメントに確かにそうかもしれないと思わず同意してしまった。
過保護かもしれない。私のLという立場を考慮すれば寺椅の想像をはるかに超える過保護だ。
「で結局夜神とはやったの?逃げ切れたみたいなのに昨日家にも帰ってないみたいだから怪しんでるんだけど」
家に帰らなかった。大学を休んだからではなくそこで判断するなら夜神の家に人をやってるのだろう。
そして監視などという真似をしている事を隠すつもりはないらしい。
「そんな事を聞いてどうするんですか?」
「流河は思いを遂げられたのかなと思って」
「……邪魔をしたのは貴方でしょう?」
暗に警察を呼んだのはお前だろうと指摘した。
すると意外にも寺椅はぱっと表情を明るくさせて純粋に賞賛する様に笑った。
「なんだ全部解ってるんだ。流河はすごいな」
ますます友達に欲しいと彼は言う。
友達とは自分のネットワークと言うことなんだろうが、あぁいう言い方では友人を能力で選んでいるのがあからさまだ。
私の疑問を感じ取ると寺椅はにっこりと営業のビジネスマンの様な笑みを浮かべた。
「友達は選んでるって教えた方が友達になってくれるんだよ」
自分は利用しているからお前も利用して良いのだという安心感を与える言葉。
彼の友人関係はビジネスそのものだ。そしてセールスマンの売り文句の様に自分を売り込む。
「残念ですがお友達になるのはお断りします。あんな真似されて友人にはなれません」
まっすぐに彼の手の中のカメラを指さした。私の当然の指摘に「あ、やっぱり?」などとふざけているとしか思えない惚けた言葉を口にする。
「まぁカメラの映像に関しては流河には迷惑かけない気でいたし、例の警察のは流河達が途中で辞めちゃうからさぁ……」
ぐだぐだと言い訳をする寺椅に呆れる。
それにしても『私には』迷惑を掛けないとはつまり夜神についてはどうしたいのか。
寺椅は私と夜神両方を仲間内に引き入れたいのではないのだろうか?
「夜神くんをどうしたいんですか、君は。少なくとも友人になる気はないようですが」
尾行をつけたりカメラを設置したり、とても好感を抱きそうにもない事を続けている。
私も同様であったが彼に比べればまだ配慮をしてるといった感じだ。
「流河とは友達になりたいけどね」
曖昧な言葉だったが寺椅は夜神を人と区別している事を肯定した。
何が寺椅にそうさせるのか。私と夜神はそう変わらない。
能力もLの事情を隠しているのでコネクションも。
他に思い至るのは個人的な恨みなどだが寺椅は夜神と親しくなどない。恨みができるほどの接触がない。
「私と彼で一体何が……」
「流河って猫背だよな」
話題のいきなりの方向転換に何を言っているのかと訝しむ。
「座り方変だし、偏食。へんな癖が多いし人の話も聞かない」
とりあえず褒められているわけではない事は確かだろう。
それが一般的には褒められた事じゃないと自分でも分かっている。
「夜神は完璧だろ。だから友達にはなろうと思わないんだ」
寺椅の言葉を聞いているとどう考えても友人にするなら夜神の方がいいに決まっている。
それなのに私は良くて彼が駄目な理由はなんだ?
寺椅の友人の選び方を考えれば優秀であればあるほど良いのではないのだろうか。
「とにかくね、俺は夜神に付きまとうのはやめないよ。まぁこーしてバレたから自粛はするけどね」
「私が君をストーカーとして警察に突き出したらどうするんですか?」
「実行犯は俺じゃない。ていうかすごいたくさんいるから無理だと思うよ。訴えるの」
たくさんいるという事はその場その場で違う人間が私達を見ているだけということか。
廊下を歩いている時にはすれ違う相手が寺椅の手駒で、講義を教室で聞いているときなら一緒に聞いている人間が寺椅の手駒だ。
いっそ馬鹿馬鹿しくなるほどこの男には持ち札がある。対して私はこの大学で身一つしか対抗策がない。
寺椅は唐突に携帯電話を取り出した。一応私と話している身でありながらなんて奴だ。
二、三話した後に電話を切り私に向けて笑みを見せる。
「夜神、いつもよりきょろきょろしてたって。お前を探してるんじゃないのか?」
監視をしている相手に聞いたであろう事実をひけらかす男に酷く腹がたった。
こんな奴と無駄に話すより夜神の所に向かわなければ。あんな男の監視の目に曝した儘には出来ない。
夜神の元に向かおうと振り返る私を留めようとするかの様に寺椅がぽつりと言葉を発した。
「過保護」
その言葉に足を止めて寺椅を睨み付ける。
寺椅にとっては想像通りの反応だったのだろう。にやりと笑う。
「別に気にするなよ。流河だけに言ったんじゃない。皆そうだった。夜神に過保護でさ。取り立てて流河が珍しい訳じゃない」
そう言うと今度は寺椅の方がくるりとこちらに背を向けた。
歩き出す寺椅を一瞥して私も夜神の元に向かった。
教室に入ると既に講義は始まっていた。
そこそこに人のいるこの教室のどこかに何人寺椅の駒がいるのだろうか。
探ってもきりがないが警戒は怠れない。
しかし私が只監視する者を牽制しているだけでは解決には至らない。私は夜神に一刻も早く寺椅への警戒を求めたかった。
煩わしい講義を終えて人が去るのを待つと私は夜神に今から話せないかと打診した。
内緒話に指定された校舎裏は正直行きたくない場所だったが、私が行きたくないと思うからこそ寺椅もそこにまで人を用意していないだろう。私は夜神とともに校舎裏に行った。
校舎裏はついこの間着た時とまったく変わらない。私と夜神の状況はずいぶん変わってしまっていたが。
以前は座って話したなどと思い出して気分が暗くなる。今度は立っていようと意味もなく思った。
「流河、話って?」
「はい。単刀直入に言います」
夜神の質問に言いたくて仕方のなかった言葉を吐き出す。
「今後一切寺椅に近付かないでください」
夜神にとってはあまりに唐突な言葉だったのだろう。表情は唖然としていた。
仕方がないだろう。彼にとって寺椅は未だ友人でしかない。
「どうして」
「どうしても何もありません。直接会うことはもちろん電話等で連絡を取る事も禁じます」
当然の疑問だったのに私は彼に話すのを拒んだ。
寺椅との関係を崩さないように寺椅との関係を立たせる。
おそらく夜神の事だ。寺椅に問題があると思う前に私がLだからと勝手に理由付けするだろう。
私が、ただ純粋に夜神のことを思って何かするなど考えにも至らないはずだ。
当然の事だがそれは酷く悲しかった。
「僕が誰と一緒にいようと君には関係ないだろう」
行動を制限された物として当然の主張を彼は言う。
私もあらかじめ用意した夜神の意向に沿っているだろうLだからという理由で説明する。
「ありますよ。私の知らないところで何か相談されては困ります」
「全部報告する。だったら?それでも駄目なのか?」
私はその言葉に黙りこんだ。
確かに全て嘘偽りない報告をされれば私が彼の行動を制限する理由を失う。
私が彼に関与できるのは私がキラ事件を捜査していること、彼がその容疑者であることに依存するからだ。
だが夜神をこのまま寺椅の監視下に置くのもはばかれる。友人になるつもりはないと寺椅は言うがならばあんな風に監視する必要はない。
明らかに彼は夜神から何かを得ようとしている。
夜神を放っておけば寺椅は確実にそれを手に入れるだろう。
夜神月は時に酷く甘い。
私の様に後から近付いた者は兎も角、自分が以前から知っている人間にならあまり警戒をしない様だ。
身を守るには親しいものや知り合いにこそ警戒しなければならないのに。
どうすれば良いのか。
私がここでそれでも寺椅と離れる事を要求すれば、この話はLとキラには関係のない話だと分かってしまうだろう。
そしてそれは私が言ってはならない言葉だ。
なら寺椅を捨て置くか?夜神なら寺椅の罠にみすみす掛かる事もないだろうか?
しかし夜神は寺椅を信じている。
どうするか悩み、やがて私は自嘲に溜息をついた。
私は寺椅の言うとおりほんとうに過保護だ。何故だろうか、夜神に庇護欲を感じている。
彼自身は庇護されたいなどと思っていないだろう。そして庇護されなくても生きていけるだけの才覚もある。
それなのに私は圧迫するLの立場を押し切りなんとか口を動かして、一言だけ発した。
「駄目です」
言ってしまった言葉。それを聞いた夜神は息をゆっくりと吐いて嬉しそうに小さく笑った。
何故、笑うのだろう。何か私の行動に満足感を得ている。
私にそれを言わせたことが嬉しいのだろうか。
「夜神くん、駄目ですよ」
念押しでそう聞いてみると彼はすっとその形の良い唇を歪めて、まるで毒を吐くかのように言い捨てた。
「嫌だね。僕の行動は僕が決める物さ」
彼は私に背を向けて歩き出す。まるで私の心を煽るように。
そして私はそれにまんまと引っかかっている。決して赦してはいけない心が彼の元に向かうのを止める事が出来ない。
私はキラよりも彼を優先してしまった。Lという立場を超えた要求は私の存在そのものを否定する。
キラと関係なく夜神を守りたいのだと思ってしまった。
そして彼を守りたいのは私だけではない。
寺椅が言っていた。誰もが夜神を過保護に扱うと。夜神は人に愛される。愛されるだけの物を持っている。
彼は美しい。容姿ではない。生き方や精神性がだ。
それだけ誰もを惹きつける力を持っていながら、彼自身はそれを拒絶するように振舞っている。
愛すべき清廉さを自らどぶ川に捨てる行為。
多数の人間と寝て、誘惑して、堕落させ、倦怠の中で生きる普段とかけ離れた彼には無理すら感じさせる。
彼の心は本来そういうものを許さないだろうと誰もが判る。
判るからこそ、そうして振舞うことは夜神の望んでいる事なのだろうと人は失望する。
だが夜神自身は感覚的なものだと言って憚らない。
ただしたいからしているだけだと、それも真実なのだと今は感じている。
もしかしたら夜神はどうしようもなく汚い存在に憧れを抱いていたのかも知れないと、漠然と思った。
あまりに感覚的な話だったが、彼の無意識の憧れが彼自身を汚したように感じた。
私がキラへの憧れから夜神を汚したくないと感じたように。
去っていく夜神の背中を見て身体を重ねた時の夜神の姿を思い出した。
悲しそうで、そして人間らしかった。
今も感じている。人間らしいと。
汚くなりたいと堕落した人間を装うとする行為そのものに人間らしさを感じた。
そしてそうして汚い人間なんだと自らが証明しないと人間らしさすら感じてもらえない夜神は
酷く悲しい生き物なのだと思った。