私はそれに恋をしていた。
恋に恋する
火口に代わり夜神月を新たな所有者に迎えた私は、彼に従いキラ事件の捜査本部にいた。
その夜神は今は席を外している。
私はこの捜査本部の人間を騙すため夜神月にではなくノートに取り付いている事になっていた。
だから私は夜神月とではなく目の前のノートを持つ男と共にいる。
竜崎という仮初めの名で呼ばれる男。
これが私や月、そしてミサの敵である人間と知った時は驚いた。
この男は大学で夜神と一緒だった。
月の友人として、ミサの一ファンとして陽気に振る舞っていた男がまさか敵だとは露にも思わなかったのだ。
この竜崎と呼ばれる目の前の男は食い入るようにデスノートを見つめていた。
その様子は死神である私が異様に感じる程だった。
恐ろしい程の執着を感じる。
だが暫くしてそれ程の執着を見せたデスノートからあっさり視線を外し、今度は私の方をその異様な瞳で見つめた。
しかしもちろん私を見ている訳ではない。視線は私をすり抜けて後ろのテレビに向かっていた。
何をみているのだろうか?疑問に思った私もそちらを見る。
そこには月とミサが玄関先で逢っている様子が写し出されていた。
監視カメラの映像。
それを見つめる視線の強さはデスノートに向けるものと同じ。
ふと私はこの男が只ひたすら月にのみ着目している事に気が付いた。
画面に映るのは2人なのにあくまで目に入っているのは夜神月だけなのだ。
椅子に背中をまるめて座りながら、じっと1人の人間を見つめる男。
その様子に私は既視感を覚えた。
ジェラス。
彼は私の友人だった。
親友などという言葉は使わない。そんなに親しくもない。
それは他の死神達にとっての賭博仲間と似た様なものだ。
同じ時間を共有する同じ場所にいる死神。その程度の存在。
私は賭博に興味を覚える事はなかったし、つるむのがそんなに好きではなかった。
死神達ほとんどが人間に干渉する事を止めてしまったので、誰も近付く事がなくなった人間界を覗く『穴』。
その近くで、私は誰にも邪魔されずに思考を重ねるのが好きだった。
ジェラスはというと今どき珍しい死神の仕事をきちんと行う真面目なやつで、よくその『穴』に現れてはデスノートに名前を書いていた。
彼は時々私に話しかけた。
それは真面目に仕事をする彼を私が馬鹿にしたりしなかったからだろう。
話しかければ答えると言う場を共有するもの同士の在り来たりな関係。
それが私とジェラスの関係だった。
いつしかジェラスが人間に、ミサに恋するようになった。
私はそれを見ながら、たかが人間に恋をするなんてなんて愚かなのだろうと思った。
人間は私達が生きる為の糧だ。
そんな存在に死神が恋をするなんてどうかしていると思った。
そして恋をしたジェラスはあっさり死んだ。
愛した人間を救ったが為に砂塵と化し、死神ではなくなったのだ。
残された砂と錆とデスノートを見て私はこの物珍しい死神を哀れに思った。
餌に恋をした挙げ句に死ぬなんて不遇もいい所だ。
私はそうして哀れなジェラスのことをミサに伝えるべく人間界に降り立った。
なんてことはない。同じ時間と場所を少し共有した友人への餞だった。
結局ジェラスの事を知ったミサはそれを嬉しく思った様だが(死ぬ所を救われたのだ。感謝するのは当然だろう)、結局ジェラスを愛する事はなく両親の仇をうった夜神月に恋をした。
私はますますジェラスが哀れに思えたものだった。
そのジェラスにこの竜崎と呼ばれる男は似ている。
夜神月を見つめる一挙一動。眼に宿る熱。見つめる執着。
私は無意識に呟いていた。
「恋をしているんだな」
その一言にやっと監視カメラから(というより夜神月から)男は視線を外した。
始めは驚いたように私を見ていたのだが、やがて不機嫌そうな表情になる。
「私は弥に恋なんてしていませんよ」
ミサに恋したと思われた事が不愉快だったらしい。
私の眼は節穴じゃない。お前がミサを視界に置いていない事などすぐ分かる。
「そんな事は分かっている」
私が指しているのが夜神月だと気付いた竜崎はしばらく黙り込んだ。
やがて自嘲するように口端だけで笑う。
「気色悪いでしょう?彼は男だ」
「別に……珍しい程度の事だろう」
長い間生きてきたレムには本当にその程度の事でしかなかった。
いつの時代もある程度の人数そういう人間はいた。その中の1人でしかない。
「まさか死神にそう言われるは思いませんでした」
そうやって皮肉気に笑う男に、もしかしてこれは良いチャンスなのではと私は考えた。
この男の感情を利用すれば容疑から外れるのではないか?
この男は月に恋をしている。愛している。
それならばその感情を利用してしまえば良いのではないか?
もちろん本気で月とこの男を結ばせるつもりはない。月はミサのものだ。
そこまで考えて私は心の中で笑った。
私はミサの純粋な恋心を利用する月をなんて悪辣な人間かといつも思っていたのに、今目の前にいる男の純粋な恋心を利用しようとしている。
こうして夜神月は歪んでいってしまったのだろうか?
今の月は多量に演技をしている。それはつまり記憶を失った『夜神月』の演技であり、キラでないあの男の本来の姿を垣間見ることが出来た。
それを初めて見た時はあまりに私の知る月の姿と違うので、とても白けた気持ちになった。
しかしあれが本来の姿なのだとしたら、やはりデスノートを持ったものが不幸になると言うあの話は真実だったと思わざるを得なかった。
心優しく、高潔で、正義感の強い夜神月。
月は気付いているのだろうか。
演技をしていると言う時点で、すでにそんな人間ではなくなってしまっているのだと言う事に。
「しかしよく分かりましたね。夜神さんとか未だに気付いてないのに」
そう言いながら遠めに仕事をしている警察官達を竜崎は見た。
私もそちらをちらりと見つめる。
てきぱきと部下達に指示を伝える月の父親は、自分の息子が己の上司に恋愛面で迫られているなんて思いつきもしないのだろう。
「……始めは容疑者だから見ているのかと思ったが」
「今でも容疑者としてみてますよ」
竜崎は己の紅茶に砂糖を摘み入れて優雅に飲み始めた。
どうやら己の感情を知りながら差別意識の様なものを抱かない私に多少警戒心を解いたらしい。
その様子は私にますますジェラスを思い起こさせた。
「愛してるのに容疑者か」
「愛していても容疑者です」
竜崎は断言した。そこに容赦の感情は見えない。
今更だがこの男の恋情を当てにするのは危ういように思えた。危険だと思える。
「レムさん。容疑者に恋した私を哀れんで、真実を教えてくれませんか?」
私を上目使いで覗き込んでくる竜崎の寂しそうな表情。
一瞬だけ同情を見せそうになったが、その私の感情の動きに直感した。
これは『演技』だ。
この男は月と同種の人間。油断してはならない。
「お前は哀れだが、私は真実を知らないから教えられない」
私の拒否の言葉にあっさりと竜崎は元の表情に戻り「神も万能ではないんですね」と当たり前のことを言った。
当然だ。万能ならば私たちは恋をしない。
私は何とか竜崎を夜神月の容疑を晴らさせる方向に誘導出来ないものかと考え、言葉を紡いだ。
「愛しているのなら見逃してやれば良い」
私の言葉に瞬時に竜崎が鋭く視線を送る。
「それは彼がキラだという事の肯定ですか?」
「……違う。私は真実を知らないと言ったはずだ。
愛してるのだろう?なら何故信じてやらない?」
月は主張したはずだ。自分はキラではないと。
「彼は嘘つきですから」
さらりと竜崎は言い切った。
その言葉を私は違うと言いたかった。
確かに夜神月はキラだが、私が火口に憑いている間は記憶を失いキラではなかった。
ミサの話だと月は記憶を失っている間この男とずっと一緒だった。
その時の月の主張は?
それは真実の訴えだったはず。
「好いてる相手が犯罪者であることを望むのか?理解できない」
呆れる私を逆に不思議そうな顔で竜崎は覗き込んできた。
「死神ともあろう者が犯罪者か否かを気にするのですか?」
「一般論だ」
「死神に一般論を説かれるとは思いませんでした」
冗談であるかの様に頭を掻きながら竜崎は言った。
ひと口紅茶を飲んでから私に話しかけてくる。
「人間の世界には法という規則があり、キラはそれを破るというルール違反を犯しています。
違反者には罰を与えなければなりません。それは分かりますか?」
「あぁ」
竜崎の口調はやけにゆっくりとしていた。
まるで人間の親が子供に何かを教えているような。
どうやら竜崎は私に自分の理屈を理解させようと考えているらしい。
人間という生き物は多かれ少なかれ理解者を欲するものだ。私は長く生きそれを知っていた。
竜崎は自分の一般的でない気持ちを蔑まなかった私に理解を求めている。
私が死神で人間でないのも理由の一端にあるかも知れなかった。
子供相手の様な口調は少し気になったが、竜崎にとって私は死神という未知の存在。
仕方ないと諦める。相手は人間だから気にする必要もない。
「レムさん。ルールを破る……罪を犯したことは許されません。
しかしその理由まで否定する必要はないと思いませんか?」
竜崎の言葉にふと頭に浮かんだのはやはりジェラスの姿だった。
死神界にもルールがある。
死神が人間を殺す時のルール。
人間がデスノートを使う時のルール。
死神が死神である為のルール。
ジェラスはその掟を破った。
だからこそ死んだ訳だが、その死の原因であるミサへの恋情を否定する事は私には出来ない。
「キラの行動原理は犯罪者をなくす事。
人の幸せを望むそれ自体はとても良い事でしょう?」
だから月がキラである事を否定する必要はない。と竜崎は言う。
確かに他者の幸福を願うその精神を愛するのは容易い事だろう。
「だが、普通は犯罪を犯しているとは思いたくないんじゃないか?」
「また一般論ですか?」
やれやれと言った感じで男は首を振る。
一般論を語る死神とそれを否定して呆れる人間。なんと滑稽な姿だろう。
「私は彼の精神も行動も全てを知ったうえで愛してるんです」
本当に愛おしそうな口調で断言する竜崎の姿に私は目が眩む思いをした。
どうしてそこまで言えるのだろうか?
「キラなら殺されるのに?」
「彼に殺されるのならまたそれも一興。もちろん死ぬ気はありませんが」
淡々と話す竜崎の姿に『献身』という言葉が頭の中に浮かんだ。
ミサは夜神月を愛し、夜神月の為なら死を厭わない。
それと同じようにこの男もまた夜神月の為に死を厭わない。
あぁ、なんて羨ましい生き物なのか。
「何を話しているんだ?」
自動ドアが開いて奥からミサと、恐らくキラとしての打ち合わせを終えた夜神月が現れた。
私にちらりと目をやって余計な事を話していないだろうなと牽制している。
私は心得た顔で言ってやった。
「大した話しはしていない。あえて言うなら恋愛相談だね」
呆気に取られた表情を見せる月が少し面白かった。
竜崎の方もまさか私がそんな事を言い出すとは思わなかったらしい。
「レムさんは冗談を嗜む方ですか?」
「冗談だったのか?」
「いいえ。真剣に聞いて下さっていた様で感謝します」
小さくお辞儀をして言う竜崎を見て月はにこやかに笑った。
「レムは竜崎と仲良くなったんだね」
嫌みと牽制であろうその言葉。
心配しなくても私がミサを通し月の味方である事は揺るぎないと言うのに。
「では月くんも仲良くしましょう。一緒にお茶をどうですか?」
ティーセットを手にして言う竜崎に夜神はちいさく苦笑いを見せた。
「竜崎がいれてくれるのか?」
「……無理ですね」
観察していた限りこの竜崎と言う男はどうにも一般的な生活能力に乏しいようだ。
とても茶を入れるなんて行為ができるとは思えないと、出会って間もない私ですら思う。
「自分で入れるよ」
「では私の分もお願いします」
一気に紅茶を呷って空になったカップを月に手渡す。
月はやれやれと呆れる様な仕種を見せたが竜崎からカップを受け取った。
柔らかい葉の香りが辺りに漂う。
月は紅茶を入れると竜崎の分のそれに言われなくても砂糖やミルクをたっぷり入れる。
当然のように竜崎も受け取る。
その砂糖の量が己の好みから外れているなんて事はないと考えているらしかった。
自分の紅茶を手にした月は竜崎のすぐ横に腰掛けた。
他にも空いている席はあり別にそこでなくてもいいだろうに、当然のように横に座る。
「お前達は仲が良い」
正直な感想であったのに、私がそう言うと月はそれを皮肉と受け取ったのか一瞬嫌そうな顔をした。
竜崎の方は逆に機嫌良く月の淹れた紅茶を飲む。
「えぇ。仲良くなければ手錠付きの生活などとても出来ません」
それは私に自慢するようであったので、その浮かれた様子に本当に殺す必要があるのかと疑問すら浮かんできた。
親しげな2人のやり取りは月のことだから相手を油断させる為の演技かと思っていた。
だが記憶を失っている間も仲が良かったのならそれは真実なのだろう。
敵として出会った男に月は真実の情を抱いていた。
キラとして月はこの男と鉄の壁を持って接していたはずだ。
その鉄すら通り抜けて生まれた感情とは一体どれほど深いものなのだろう。
月にとってそれはどれだけ大きな思いだったか。
しかし月はその竜崎を殺そうとしている。
月もミサも竜崎も私には理解できない。
理想は恋は愛はそこまでする価値のあるものか?
命や心をそこまで砕いて献身するほどのものか?
人間なんて虫の様に短い命しか持たないのに。
哀れだ。愚かだ。
死神という人間より高い存在として私は彼らを見下ろす。
だかその裏で私は確かに感じていた。
そんなものに憧れている私こそが
一番愚かで哀れな存在でしかない。
月の作った嘘のルールを竜崎が崩そうとしていた。
それの検証を防ぐため私はデスノートに名前を書かざるを得なくなった。
そうしないと月とミサが死ぬ。仕方のないことだった。
これは夜神月が巡らせた策略だったが、その事に恨みはない。
私が竜崎の恋心を利用しようとしたように、月も私のミサへの恋心を利用したに過ぎない。
恋心。というフレーズに私は咽奥で笑った。
体が小刻みに揺れたことで私の体の一部がぼそりと崩れる。
さらさらと砂が落ちる。
私は恋をしていた。
ミサの命を捧げるほど激しい夜神月への愛に。
月の己を捨て去るほど献身的な理想への愛に。
竜崎の報いを求めない一途なまでの夜神月への愛に。
私はそれに恋をしていた。
私はそれになりたかった。
ジェラスのように……
身体がまた音をたてて崩れた。
意識が遠のく。あと少しで私は死ぬ。それは私が死神でなくなったという証明だった。
死神ではなくなった私は『それ』になれたのだろうか?
願わくばミサの願いが叶うように。
願わくば月の理想が実現するように。
願わくば竜崎の想いが報われるように。
三人全員の望みが叶うはずない。
彼らの望みはそれぞせ相反している。それを私は知っていた。
それでも望みが適う事を願いながら、私は恋でもなく愛でもない只の塵芥と化して死んだ。
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誰が読むんだろうね、これ。
でも書きたかったんですよ。レムが好きなので。
自己犠牲に憧れを抱いているレムの話……です。
でもまだ私の中のレムをあらわし切れてない感じ。もどかしい。