逆転する言葉と行動
私は謎を解くのが好きで得意でした。
難解な事件を解決してきた私は世界一と言う賛辞を受ける程でしたし、その賞賛を受けるに値する程度の力があると自負していました。
しかし世の中にはたくさんの謎が存在します。
私は非常に難解で魅力的なキラと言う存在を追うにあたって、それ以上に難解な、しかしとても解きたいと言う意欲が湧かない不思議なものを2つ知ってしまいました。
不思議なものの1つはこれ以上に無いくらいとても身近なものでした。
この私と言う人間です。
肉は普通の人間ですから問題なのは精神です。
私は私の考えている事や感じている事がさっぱり分かりませんでした。
自分の事なのに分からないとはさぞかし滑稽な話でしょう。
しかし私は実際、自分というものがさっぱり掴めなくなっていました。
もともと知的好奇心が強い人間ですから、まず最初に知ろうとしたのは自分の事だったのです。
私は幼い頃から自己を分析していて、積み重なれたデータから自分の思考や行動のパターンを知っていました。
自分の事であるのにまるで他者のように記録をとっていたのです。
つい先日まではしっかりと把握していたはずの自分の精神を、最近の私はちっとも理解出来なくなっていました。パターンから外れて思いも寄らない行動に出ます。
例えば今現在の自分の状況等がそれ。
今私はたった一杯の紅茶を自分が飲む訳でも無いのに美味しく入れようと苦心しています。
たかが茶に何の努力をと思う人が多数でしょうが、一般的な生活からは離れきった生活をする私には一杯のお茶も大事業でした。
目の前では1人の青年が私の大事業を見つめています。
彼の名前は夜神月と言います。
名は体を表すと言いますが本当に夜に輝く月のように美しい青年です。
このような陳腐な表現を思い付くようになったのも私のパターン外れの1つにあげられます。
彼は私が苦労して茶を入れるのを笑いながら待っています。
けして馬鹿にしている訳ではありません。見守るように穏やかな目で私の作業を見ているのです。
そうして私が苦労して入れた一杯の紅茶は彼の口に運ぶ為のもの。
何故私がそんな事をするか。それは紅茶を口に含んだ瞬間の彼の表情を見る為です。
穏やかな嬉しそうな優しい彼の笑みは私の心を穏やかにします。
私の心はいつも平淡としていて穏やかとも苛烈とも遠い存在でした。
それなのに彼の表情1つで簡単に変わるのです。
こんな事今まで無かった。私は明らかに変化しています。
それにしても今日の紅茶は出来の悪いものでした。なんというか、渋い。
私はあまり器用な人間では無いらしくこういう事に関しては失敗してばかりです。
しかし夜神月は私のいれた紅茶が明らかに出来の悪い時でも嬉しそうに飲みます。
それも砂糖やミルク等まったく入れません。
彼は甘いものが好きではありませんが、全く入れない訳ではないのに。
私だったら常に人並み以上に砂糖やミルクを入れてしまっているから、特に出来の悪い時は味を誤魔化す為にいつも以上に入れてしまうでしょう。
けれど彼は私が一生懸命入れた紅茶を全てそのままの味で味わいたいのだそうです。
そんな風に言われると彼が紅茶を入れてくれた時には私もそのままで飲まなければいけない様な気がしますが、彼は私が極端な甘党だと言う事を知っているので先に砂糖やミルクを入れてしまうんです。
それも踏まえて彼の入れた紅茶なんだそうです。
そういう所を私は素敵だと思います。優しいと……
彼は優しい人です。
私のたわいない話を興味深そうに聞いてくれます。
私が嬉しい時は一緒に喜んでくれます。
辛い時は慰めて、苦しい時はそれを取り除こうと苦心してくれます。
あまり寝ない私を心配なんかして寝つけるまで傍に居ようとしてくれた事もあります。
私は元々寝つきが悪いのでその時は中々眠らなくて彼を困らせました。
結局私が寝れたのは彼に幼子にするように頭を撫でてもらっていた時にです。
ちょっとした冗談だったんですけどね。しかし本当にやる辺り彼はなかなか侮れません。
あの時は本当に良く眠れました。
容疑者であるはずの夜神の前で深い眠りにつけるなんて思いもしませんでした。
こういう所が私が私を分からなくします。
いえ、本来の私ならそもそも彼の前で寝ようとはしなかったはずです。
私は本当に自分の事が分からなくなっていました。理解が出来ない。
「竜崎?どうしたんだ」
思考に没頭しているため虚空を見つめながら惚ける私を不信に思ったのか、夜神月は少しだけ眉を寄せて心配げにこちらを見てきました。
こうして彼に優しさという施しを受けると私の心はとても穏やかになります。
しかし同時に熱い熱も持つ。
夜神月からの感情や行動をただ受け取っているだけだったのに、夜神月を欲しいと思ってしまうのです。
欲しいとはどう言う事でしょうか?
人の心はその人の物です。もちろん器である骨や肉もその人の物です。
他者が手に入れてはいけないものだ。
しかし私は骨も肉も心も自分の物にしたいと思います。
手に入れてどうするのでしょう?
肉は食しますか?人肉はあまり美味しそうではありません。
ですが夜神月なら美味である可能性もある……ような錯覚を感じます。
骨でしたらやはりオブジェでしょうか?彼の骨格でしたら普通に美しい様な気がしますね。
でもそうしてわざわざ分離させてしまうより、一番良いのはこのままの姿です。
余す所無く見て触れてみたい。
これはただ造型に優れた人間に対する好奇心でしょうか?
そういうものとは違う気がします。もっと生々しく本能的な感じです。
私も所詮ホモ・サピエンスという動物だったと言う事でしょうか。
だからといって動物的だと感じるだけで動機やらはさっぱり分からないのですが。
物理的に接触できるものなら欲しいと言う感情も分かりますが、心は見えないし触れません。
それを手に入れたいという事は彼の精神を支配したいと言う事でしょうか?
肉体と同じように余す所なく知り尽したいと?
なんとなくですが夜神月の器に対するそれも心に対するそれも、犯罪者の心理に似ている様な気がします。
本当に犯罪者になってしまえば願いを叶えるのも簡単な気がするんですけどね。
もっともそれでも心を手に入れるのは大変でしょうが。
しかし夜神月の心を欲しがるとは私も不思議なものです。
何故なら私の解きあかしたく無い難解な謎とは夜神月の心そのものだったのですから。
「竜崎?僕はどうしたって聞いてるんだけど?」
しまった。また思考に没頭して彼を無視してしまいました。
彼の顔が本当に心配そうに歪められ、その暖かくも柔らかい掌が私の肩に添えられます。
体調が悪いのかと問う様に撫でてくる。
彼は本当に優しい人です。
私が笑って欲しい時に笑ってくれる。
慰めて欲しい時には優しい言葉を掛けてくれる。
彼の行動は私の要求に的確です。
彼は私等より人の感情に敏感な人ですから私の感情を読んでくれているのでしょう。
私にとっては理解不能の私も他人にとっては意外と分かりやすいものなのかも知れません。
問題はどうして彼が優しいのか。
私の感情を知っているからと言ってその要求に答える必要なんて彼にはありません。
私に優しくするのは彼の気性から考えると外れた行動パターンですからどうにも変です。
何故外れた行動をするのか。
彼は私の心を察する事のできる人ですから、きっと私が彼の優しさを嬉しく思っている事を知っているでしょう。
私の心と感情を見抜き意図的に行動している彼の心。
そこに何の目的もないだなんて私には考えられません。猜疑心が強いのです。
そしてもし本当に目的があるのなら、彼の行動はとても残酷な気がしてならない。
私は真実を知りたくない。
夜神の心など知らないままでいたい。
どうしようもなく、怖いのです。
知りたがりの塊の様な私がそんな要求を持ったのは初めてでした。
「竜崎は本当にどうしたんだ?らしくないぞ」
彼がさらに声を掛けてくる。相変わらず優しいですね。
本当に何を考えているのですか?
こんな残酷な事をしていて恐ろしくは無いんですか?
そう思ったら「月くんに怖いものはないんですか?」と口に出して問いかけてしまいました。
「今何か怖いと思っているのか?」
まぁこんな事を言えば彼がそう考えるのも当然ですね。
しかし私は負けず嫌いなのでまさか夜神月を怖がっているなどと知られたくありません。
というか何かを恐れているなんて教えたく無いです。
私の心を簡単に悟った彼は待っても私の口から答えは出ないと分かったらしい。
自分の口を開いて私の問いに答えました。
「僕は竜崎が世界一の名探偵であるのが怖いよ」
それは彼がキラだからでしょうか?
ほぼ反射的な私の考えを顔を見ただけで知った彼はそれを否定しました。
探偵を恐れていると言う事は秘密が露見する事を恐れている事では無いのでしょうか?
夜神月にキラである以上の秘密など無いと思います。
「竜崎は頭が良いからね。本当は全て解っているんじゃないかって気がしてくる」
それはむしろ貴方の事では無いのですか?
私の心の全てを理解して己の目的の為に利用しているのでは。
彼の目的。私の殺害。殺す為に近付く。
「例えばこの紅茶を飲む時。竜崎は笑うと嬉しそうにしてくれる」
私の入れた渋い紅茶を手にしながら彼は言いました。
その言葉にやはり私が喜ぶ事を知って笑っていたのかと失望めいた感情も湧く。
意図的だったという事実は残酷な真実に近付く。
「僕は君を喜ばせたいとそうしているんだけど、君は僕の行動のその先の先まで読んでいそうだ」
先の先とは一体どこの事ですか?
私は考える事を放棄していると言うのに。
いえ、ここはあえて考えましょう。
彼が私を利用しているとして、それを言う必要はまったくないのでは。
言ったら利用するのに不利ではないですか?
それを提示すると言う事は利用していると知られても構わないか、本当に利用していないのでその可能性を潰しているのか。
どちらでしょうか?
個人的には後者を望むのですが無理な話ですか?
「竜崎、僕は自分の事もよく解らなくて怖いんだ。今までの自分と違う気がする」
その告白は正直なものでした。
人の心を察するのは苦手でしたが、それに関しては絶対の真実だと解りました。
といってもこれは直感なのですけど。まぁ私の勘は結構当たりますから。
あえて根拠をつけるのならば自分が分からないなどという、弱味にもなりそうな告白を彼がする事自体『今までの自分と違う』と考えられるからです。
どうやら彼は私と同じ状況の様。
理解出来なくなった自分を恐れて相手を理解するのを恐れている。
ということは彼もまた私が彼の心を利用しているのではないかと恐れているのでしょうか?
「月くん、どうやら私達は同じ状態の様です」
「どういうことだ?」
「同じ感情を持っているのではないかと。飽くまで貴方の話が真実であることが前提ですが」
「つまり僕達はお互いにお互いを同じように思っていると?」
「そういうことです」
私の話を聞いて夜神月は真っ赤に頬を染めました。
私はそれをとても可愛らしいと感じました。彼がこんな反応をするなんて意外です。
しかしなぜこんなにも恥ずかしげなのでしょうか?
平然としている私にどうして普通にしてられるのかと彼は問います。
でもそれは仕方の無い事です。
彼は私の心理を知っていたのでそれが自分の心理として何故か恥ずかしがっている訳ですが、私は夜神月の心理を全く分かっていないので自分の心理もさっぱり謎のままなのです。
私がそれを説明すれば彼は心底呆れたようにします。
「竜崎は何も分かっていなかったんだな。名探偵の癖に」
言いますね。
この世には謎が多いんですよ。きっと私の解けない謎もたくさんあるに違いありません。
しかし夜神月と一緒なら世界中の謎も全部解けてしまいそうな気がします。
彼も頭が良いですし、この心と言う難解な謎を解けるのですから。
「教えてくれますか?私だけ分からないのは嫌です」
「ヒントはあげるよ。自分で探してくれ」
そう言うと彼は向いのソファから立ち上がって私のすぐ前までやって来ました。
ヒントは言葉では無いのかと不審に思う私の口に暖かく柔らかい感触が触れる。
少し吃驚しました。それがヒントですか?
むしろ直球の答えの様な気がしてなりません。
「分かったか?」
問いかける彼は恥ずかしそうではありません。
演技過剰で本当にくさいんですよ、貴方は。
気持ちを知った時とかよりこういう時に恥ずかしがって下さい。
……良いでしょう。恥ずかしいですが私も同じ土俵に立ちましょう。
私だって月のように美しいが自然と出るくらい恥ずかしい人間なんですよ。
「分かりましたよ、謎の答えは逆さまですね」
私は彼に顔を近付けました。
唇に触れる感触。さっきも思いましたが彼の唇は柔らかいです。暖かくて心地良い。
顔を見れば彼は今度は恥ずかしがっています。
自分でも似た様な事をしたんですよ?
それとも私がするのと自分がするのでは違いますか?
どうやら私が抱えた最大級の謎は解けたようです。
これ以上の謎は今後一生現われない様な気がします。
何か幸せな気持ちです。
穏やかで暖かい。
きっと目の前の彼も幸せなんだと思います。同じ感情ですからね。
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リクエスト下さった方本当に本当にお待たせいたしました。
遅くなり過ぎです。申し訳ない。
『月も含めて周りにそうと判ってしまうくらい、月への切ないほど好きで好きで好きな気持ちが出てしまっているのに自覚の無い竜崎』というリクエストでした。
すごい萌リクなのになかなか話を掛けなかった上にちょっとリクエストから外れてね?
って感じで心苦しいです。
本当に遅くなりましたが書けて楽しかったです。リクありがとうございました。