「貴族も大変なんだな」
オーギーが呟く。
俺は暖かいココアを差し出して、苦笑した。
「今頃分かったのか」
確か、昨日の夜はとある貴族が主催するパーティに、実践授業の一環として護衛で参加していたはずだ。
もしかしたら、そこで何か良くないモノでも見たのかもしれない。
「貴族ってのは、いつも、ああいう事をするのか?」
「ああいう事?」
ココアに手をつけようとせず、思いつめた顔でこちらを見るオーギーに疑問しか出ない。
ああいう事と一言で言っても、後ろ暗い……人には言えない取引きは何種もあるからだ。
「……身売り、みたいな……」
「あぁ……」
歯切れの悪い親友の言葉に、嘲笑が零れた。
バカにしている訳じゃない。その純朴で潔癖な心に、眩しさと……俺の穢れきった心を自覚して、だ。
言われて初めて、普通じゃないと認識するほど、あの手の噂話は耳にしてきたから。
「珍しい話じゃないな。
色気だろうと、頭脳だろうと、上流貴族の覚えが良くなれば、社交場での待遇も良くなる。
下流貴族ならなおさら。あわよくば、婚姻を結んで、後ろ盾を得ようとする家もあるだろうしな」
もしくは、愛人か。
どちらにせよ、上流階級の主人に可愛がられているうちは、家は安泰だ。
ヘマをしなければ、だが。
「ロイも……あるのか?」
ある程度予想していた問いに、俺は肩を竦めて笑うしか無い。
気まずさを誤魔化すように口にしたココアは、甘いがほんの少し苦味を舌に残す。
「……まぁ、誰にでも、初めてはあるだろうさ」
言ってから……後悔した。
顔を上げた先、真っ直ぐに俺を見つめるスミレ色の眼差しが、いつになく真剣で。
そこにあるのは、後悔と、苛立ちと、悲しみ……だろうか。
悲鳴のようなその視線に耐えきれず、俺は絞り出すように言い訳を考える。
「……冗談、だよ」
微かに震えてしまう声に、気づかれなかっただろうか。
「今は家も落ち着いてるし、そんなことに手を出すほど上を望んでる訳じゃない。過ぎた欲は身を滅ぼすというしな。
それに、今は院生でそんな暇なんてない」
だから、大丈夫だ。と。
これ以上突っ込んでくれるなと、祈る気持ちが通じたのだろうか。
オーギーは何か言いたげな表情をしただけで、それ以上その話題を続けようとはしなかった。
硬い表情に申し訳なさを覚えつつ、俺は無理やり笑みを作る。
「ほら、冷めるぞ。ココア」
「あぁ……悪ィ」
慌ててカップを口に運ぶその姿を眺めながら、俺はもう一度、心の中で呟く。
大丈夫だ。
万一、親からそういう話が持ち上がっても、俺は受ける事は無いだろう。
家よりも大切な、優先すべき物があるから。
過去は変えられないが、せめてこれからは、堂々と並んで居られるような潔白さを身に纏っていたい。
俺の心を知ってか知らずか、甘いココアに舌鼓を打ち、ホッとしたような色を見せる親友の顔。
その表情をじっと眺めながら、俺は静かにそう決意する。
そして、痛む胸から意識を逸らすように、とろりと濃厚なココアを咽喉に流し込んだ。
end
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