crazy(for you)に係る装飾語

 目が覚める。
 ぱちりと開いた瞼。視界は真っ暗。
 少し意識を集中すれば、脳が認識した映像は、純白の髪を持つ同族の寝顔。
 瞬間、さざ波のように胸を過ぎる愛しさ、喜び。

 あぁ、『私』が反応している。

 このままでは、何時までも動かず、一晩中この寝顔を眺めかねない。
 幼い智天使は胸の奥でざわめく感情を振り払うように、己の周囲を覆う腕からそっと抜け出した。
 本来なら、役目重視で行動するべきなのだが、起こしてしまわないように……と無意識に細心の注意を向けてしまう。
 本当に、この白い智天使の前では、ペースが乱される。
 小さな黒髪の智天使は、無表情のまま、金と銀の瞳を眇めて眠る天使をひと睨みし、ベッドから降りる。
 そして、床に絶つと静かに瞼を閉じた。
 瞬間、足元から音もなく湧き上がる、黒い炎。
 その炎に舐めるように包まれ、幼い体が焼かれ分解される。
 直ぐに炎の勢いは沈静化し、再び床に吸い込まれるように鎮火した後に現れたのは、黒い犬……ではなく、狼。
 普段より小型なのは、変化前の姿が子供だったからだ。
 とはいえ、人間の街を駆けるのに、闇夜に紛れるこの体色と大きさは便利だ。
 一度子供の姿のままで狩りに出た時、人間に見つかって大騒ぎになりかけたのは記憶に新しい。
 狼は体を震わせ毛並みを整える。

「お役目かい、ユーデクス?」

 何時の間に起きたのだろう。
 声に反応して視線を向ければ、上半身を起こし、穏やかに微笑む、美しい純白を携えた智天使がいて。
 再びざわめく胸の内に、黒狼となった智天使は苛立たしげに尾を振る。
 そっと伸ばされる白い手。
 狼は、手が触れる直前に身を翻して音もなく床を蹴り、ひらりと窓際まで移動する。
 まだ肌寒い季節だと言うのに、開け放たれたままの窓。
 眠る前に、『私』が開けておいたもの。眠るあの智天使が、音に反応して目覚めぬように。
 もっとも、それは毎回こうして無駄に終わっているのだが。
 とはいえ、わざわざ開ける必要がないのは、時間の短縮になっていい。

「気をつけて」

 背後から掛けられる声。
 黒狼は、僅かに首をむけ、青銀の冷たい色を湛える瞳を向ける。
 微笑む優しい視線は、それだけで心が高揚し、力がみなぎってくる。

 黒狼は、先程までの苛立ちとは違う感情をその胸に抱きながら、返事の代わりに尾を一振りする。
 そして、窓枠を蹴って魔物の巣食う闇の街へと駆け出した。


 別に、嫌いなわけじゃない。
 双生の同族だけあって、あの智天使から分けられる力は体に馴染むし、触れ合って眠るだけで、力も傷も回復が早くなる。

 ただ、役目の前は、困る。

 離れがたくなるから。

 黒狼は、獲物を探して高く高く跳躍する。
 見上げた視線の向こうには、白く輝く、美しい月。
 見るものによっては冷たく感じるそれは、今のユーデクスには暖かく慈愛に満ちた光に見えて。

 脳裏に浮かんだ微笑に返すように、闇を狩る狼は、小さく、哂った。



end


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