こうして、酒を交わすのは初めてじゃない。
 目の前で絶えない無邪気な笑みに、仄かに朱に染まる頬に、グラスに触れる唇に、アルコールの混じる吐息に、目を奪われるのも初めてじゃない。
「……ロイ……?」
 ただ、気がついたら、触れていた。
 その甘そうな吐息を、掬うように、長く。
 理性を失う恐怖に怯えるように、浅く。
「…酒の味がする」
 溺れるような、酩酊の味。
 自分が自分で無くなる恐怖を覚えながらも、何度も味わいたくなる、幻の酒のような魔性の味。
 そんな良い酒を、飲んだ覚えはないんだがな。
「どうしてキスしたんだ?」
 アルコールの所為に違いない、いつもより少し掠れた声。
 あぁ、こいつはこんな声も出せるんだな、と他愛も無いことを考えながら、俺は思いつくままを口にする。
「わからない」
「なんだそりゃ」
 苦笑するオーギーに少しムッとする。
 いつだって、そうだ。なんでもないように、お前は俺の傍にいる。
 傍に、いてくれるんだ。気付かない振りをして。気付かないまま。
「……じゃあなんで受け入れたんだ、お前は」
 逆に問いかけてやる。
 返るのは、沈黙。
 その沈黙に、淡い期待を抱いてしまうのは、もはや染み付いた習慣なのかもしれない。
 そのたびに、期待に裏切られているというのに。
「わかんねえよ」
 ほら、な。
 俺は苦笑して、その場に膝を付く。
 あぁ、視界が揺れる。見上げれば、笑う『親友』がいて。
 体の要求するままに、その胸に頭を預ける。
「なんだよ、もう酔ったのか。疲れてんじゃねえの?」
「……そうかもな」
 見合い話に、親の催促。上司の小言に、提出されない山の書類。
 そして、昇華されないまま、何年も居座る感情。
 休まる暇など、少しもありゃしない。
 拒否されないことを良いことに、俺はそのまま動きを止める。
「おい、こんなところで寝るなよ」
 再度苦笑する声。本気で寝るとは、微塵も思っていないのだろう。
 俺が、お前を困らせることなど出来ないのだと、信頼して。
「しょうがねえな」
 ため息が、俺の髪を刺激して、少しくすぐったい。
 先ほど味わったばかりの、甘い幻の味を思い出しながら、俺は黙って瞼を閉じた。



 触れたって、まぼろしはまぼろし


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