魔界で最も大きな城。その長い長い廊下。
「あれー? 珍しいね、キミとこんな所で合うなんて」
唐突に掛けられた声に、長身の悪魔は顔を上げて足を止める。
少年の姿をした同族……しかも同じ上級悪魔の姿に、目を眇めた。
「カッツェ……久しいね」
「元気そうじゃない、リコリス。中々いい雰囲気まで出してさ」
カッツェと呼ばれた悪魔は子供のように無邪気に笑い、子供らしからぬ洞察眼でそうリコリスを揶揄した。
いつものように、きちんと着こなされた見るからに上質の衣服。頭上で一つに纏められた長い豊かな髪に乱れた様子は無い。
だが、鬱陶しげに前髪を掻きあげる仕草は何処か気だるげで、全身からは拭いきれない淫靡な色香が漂う。
微笑むその表情は穏やかだが艶やかさがあって、冷めた視線を放つ橙金と青銀のオッドアイには濡れた色が残っていた。
聞かなくとも、何があったかは明白だ。
「ねぇ……折角だし、ボクとも遊んでよ」
目の前の悪魔の、普段は滅多に見られない色気ある姿に挑発されたのか、性欲を司る悪魔は目を輝かせて擦り寄ってくる。
それをそっけなく手で追い払い、リコリスは嗤った。
「冗談。ライオンの相手したばかりで、子猫と戯れる気にはなれないよ」
「ざーんねん」
カッツェも分かっているのだろう。肩を竦めるだけで、それ以上強要はしなかった。
この城の王……魔界を統べる王の相手をして、直ぐに他の悪魔の相手をしようなど、たとえ淫魔の王と呼ばれる彼でも難しい。
それほど、魔王の情事は激しく、体力と魔力と精神力を要求される。
尤も、それに応える見返りも十分にあるのだが。
「元気が有り余っているなら、彼の所に行くといい。
まだあちらも元気そうだったからね」
微笑むリコリスの言葉に、カッツェは声を上げて笑った。
何がそこまで受けたのか、腹まで抱える始末。
「あの方が枯れるなんて、想像も出来ないよ!」
「ふふ。違いない」
愉しげな様子につられて、リコリスも笑いを零す。
ひとしきり笑うと、カッツェは目尻の涙を拭って言った。
「あー、暇だし、顔ぐらいだそうかなぁ」
「お好きなように」
自分は興味がない、と冷笑を見せ、リコリスは再び足を踏み出す。
雑談を交わした悪魔の横を通り過ぎ、少し行った所で、不意に呼び止める声を耳にした。
「あぁ、そうだ、リコリス」
「なんだい?」
呼ばれ、律儀に振り返ったリコリスが見たのは、まるで獲物を吟味する獣のような表情をした悪魔の顔。
今にも舌なめずりをしそうなその顔は、見るものに嫌な予感を覚えさせる。
「最近キミ、小鳥がお気に入りなんだって?」
案の定、だ。
リコリスは不機嫌な色を隠しもせず、薄く笑って冷えた氷のような視線を無邪気な大悪魔に向ける。
「……それが、どうかしたのかい?」
「知ってるかい? 猫は、鳥が好物なんだ。
ちゃぁんと檻に入れておかないと、狩られちゃうよ」
笑みの形に歪む唇。チラリと覗く、小さな獣の牙。
中級悪魔でも竦みあがりそうなその濃い闇の気配も、同じ上級悪魔のリコリスには不快なだけで、特に感慨は覚えない。
そう、不快……不愉快なだけで。
「なら、不穏な動きをする猫は今のうちに駆除しておかないとね」
深まる笑み。
だが、その体からは明らかな殺気が湧き上がり、目の前の悪魔を威嚇する。
下級悪魔なら、一瞬で消滅してしまいそうなほどの、威圧感で。
リコリスの本気を感じとり、カッツェはすぐさまいつもの軽い調子で両手を上げた。
「冗談だよ、冗談。
こんなところでやりあったら、魔王様に殺されちゃう」
これ以上視線も合わせたくないと、リコリスは無言で身を翻す。
「もう一つ、教えてあげるよ」
再び掛けられる声。
足こそ止まっていたものの、今度は振り返らなかった。
そんな事を気にもとめず、カッツェは言葉を続ける。
「ライオンも、猫科だからね」
掛けられた言葉。
その重さが、胸に圧し掛かる。
「…………忠告、感謝するよ」
ようよう平静を保ってそう返したリコリスは、再び歩き出す。
今度は止めることなく、カッツェは面白そうに嗤いながら、同族の背を見送ったのだった。
end...
【 BACK 】