白雪のピューパ


 昨日の吹雪が嘘のように晴れた、とある日の朝。
 いつものように朝早く出勤し、己に宛がわれた執務室で雑務に勤しんでいたユーデクスは、賑やかな子供達の声にふと顔を上げた。
 どうも、窓の外から聞こえるらしい。だが、執務室に備えられた窓は校舎の裏側……所謂裏庭に面していて、人がくる事は滅多に無い。
 不思議に思った彼は、椅子から立ち上がると窓に近づく。
 三階から見下ろす先には、初等部と思われる幼い子供達が、我先にと競うように、真新しい白い雪へ足跡を付けていた。その楽しそうな様子を、ユーデクスは穏やかな微笑みを浮かべて暫く眺めていた。
 しかし、ふと思い立ったように彼は窓に背を向けると、椅子にかけてあったショールを手にする。そして、ふわりと己の肩に羽織って、静かに、だが軽い足取りで執務室を後にしたのだった。

 朝のHR前。すれ違う教師と挨拶を交わしながら、ホーリィは廊下を急ぐ。
 この書類を届ければ、後はHRまで自由だ。急げば、お茶とまではいかなくても、少しくらい、ゆっくり友と会話する時間が取れるだろう。学園内では、天界以上に人目が多い。身分を気にせず会話できる数少ない機会への期待に、知らず彼の足取りも軽やかになる。
「失礼します」
 一枚板で作られたであろう重厚な造りの扉をノックをし、断りを入れてゆっくりと押し開く。しかし、部屋は静かで、期待した姿は何処にも見られない。
 ホーリィは、僅かな驚きと否定できない落胆に、静かに瞼を伏せた。
 天使としても、学園内の立場としても忙しい人だ。今も所用で席を外しているのだろう。
 そう自分に言い聞かせ、大人しく書類を机において教室に戻ろうとしたホーリィの耳を、カンカンッと軽やかな音がノックした。
「?」
 音のした方は、室内に唯一造られた窓。そのガラスを、小さな純白の鳥が懸命に嘴で叩いている。近づいて窓を開けると、小鳥は部屋に入ろうとはせず、その小さな翼を羽ばたかせて地上へと下降した。
 その軌跡を目で追った彼は、先に立つ人物を見て、あ、と小さく声をあげた。
 緩やかなカーブを描く長い黒髪が、銀世界に映える。オッドアイを細め、穏やかな微笑みを浮かべた彼の人は、こちらに向かって緩く手招きをしている。
 呼ばれた側は逡巡し、踵を返して駆け足で昇降口へ向かった。

「おはよう、ホーリィ」
「何をしているのですか? こんなところで」
 息せき切って現れた愛しい友の顔に、ユーデクスは思わず喜びに頬が綻ぶ。
 できることなら、この場で仕事を放り出して、二人で雪遊びや会話に花を咲かせたいと願う。勿論、真面目な彼がそんな事を許すはずもないし、ユーデクスもそんな事をするつもりも無いのだが。
 それでも、朝の短い時間、こうして顔を合わせるだけで、今日一日気分良く過ごせると確信できる。それくらい、嬉しくて仕方がない。
 出来ることならば、敬語を止めさせて親しく言葉を交わしたいところだが、いつ人が来るか解らない状態で彼にそれを強いるのは難しいだろう。
 ユーデクス自身は気にしないが、ホーリィはそういう上下の礼節を大切にする、天使らしい真面目さがあるのだ。
「仕事をしていたら、子供達の声が聞こえてね。一緒に遊んでいたんだよ」
 ユーデクスの答えに、ホーリィは周囲を見回す。沢山の小さな足跡や雪だるまがそこにはあって、かなり楽しい時間を過ごしていたであろう事は容易に想像できる。それを少し羨ましく思いながら、再び視線を上げた彼の目に飛び込んだのは、自分をここまで導いた全身真っ白な小鳥だった。翼だけでなく、嘴から足までその全てが真っ白だ。
 空中で羽ばたくそれに手を差し出せば、小鳥は静かに彼の手にとまる。だが、手に乗せていられたのは、ほんの数秒。
「冷たっ」
「ふふ。雪でできているからね。暫くすれば溶けてしまうよ」
 楽しそうな様子で説明するユーデクスの肩には、小鳥と同様に、全身真っ白な一羽の鳥。こちらは丸っこく、やや大きめだ。羽や羽毛の一本一本まで丁寧に描かれていて、一見すれば本物のような精巧さだ。
「それも、雪ですか?」
「そう。雪で出来た梟だよ。我ながら、良くできたと思うのだけれど、どうかな?」
 ユーデクスは、肩の白い梟に視線を向けてそう自慢する。
 その視線は、誇らしげと言うよりも、慈しむような、愛おしむような、どこか切ない物を含んだ物で。
 ともすれば、頬を摺り寄せような様子に、ホーリィは複雑な思いを抱く。
「まるで、生きているみたいですね」
「ありがとう。でも、魂は入れてないから、生きてはいないよ。
 私の力で動いている、ただの雪像だ。今にも動き出しそうだと言われたから、少しこうして遊んでみたんだよ」
 朗らかに笑うユーデクスに、ホーリィは胸の内に不可解な塊を飲み込んだまま、その顔にただ穏やかな笑みを刷いたのだった。


end.


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