賛美歌の106番を歌うように

 耳に心地よいピアノの音が、聖歌の主旋律を柔らかく奏でる。
 ミサで聞くような荘厳さはないが、天使の休息を思わせる軽やかで気さくな調べは、日々の激務に疲れた心を癒してくれる。
 幼少の頃少しだけ習ったという割には、上手い方だと思った。

「…………」

 昔から、聖歌が好きだ。
 歌を歌うのはあまり得意ではないが、何か気分が沈む事があると、気づけば口ずさむ程度には、馴染んでいる。

「レッティ?」

 不意にピアノの音が止む。
 そこで漸く、俺は自分が音にあわせて口ずさんでいた事に気付く。
 不思議そうに凝視してくる友の顔に、羞恥がこみ上げた。
 まともに顔を合わせられない。

「何処の国の言葉? それ」

 慈愛というか、ほくそ笑むというか。
 そんな微笑みで聞いてくるコンスタンスの顔から視線を逸らして、俺は答える。

「何が?」
「聖歌。僕が知らない言語だったから」

 言われて俺も首を傾げる。
 聖歌自体は様々な言語で歌われている。
 学院出身の聖職者は、主な教会支部がある全ての国の言語の聖歌を教えられている。
 ミサならともかく、俺が口ずさむ時は気分で言語も変えるので、正直、歌っていた言語は記憶にないのだ。
 ただ、同じ学院出身のコイツも聞き覚えがないとなると、おそらく……。

「多分……天使の歌、じゃないか?」
「天使?」
「たまに、アイツが唄うから」

 良く俺の傍にいる天使。
 殆どの人間は、まともにその姿を視界に入れる事はできない。が、目の前の友は俺と同じようにはっきりと見、声も聞ける。
 数少ない、俺の仲間。
 俺と同じ、人間。

「なるほど。だから少し光ってたんだ」
「光?」
「無意識に、力を使ってたんじゃない? ほんのり光って見えたから」
「祝福の力か」

 綺麗だったよ。と賞讃するコンスタンスの笑顔はとても穏やかで、見る者を安心させるような包容力を感じさせる。
 こういう笑顔に、女性は弱いのだろうか。

「ねぇ、もう一回歌ってよ。
 レッティの唄が聞きたいな」

 そう、普段なら一蹴するようなおねだりを、きいてやっても良いか、と思う位に。
 いや、俺は女じゃないが。

「歌えと言われて、そう簡単に歌えるわけがないだろ。
 ……まぁ、お前がもう一度弾いたら、唄えるかもな」
「わかった」

 渋るかと思いきや、アッサリと頷いてもう一度弾き出すコンスタンス。

 そんなに仕事に戻るのが嫌か。

 鍵盤に指を滑らせながら、チラチラと期待の眼差しを向ける友に、俺はため息をつく。

 まぁ、たまにはいいか。

 観念して、俺は。
 友の伴奏に、何処か懐かしさを感じる言葉の唄を、そっと乗せたのだった。



end


BACK