= heaven in the womb =
今年は随分と冷える。
ジュレクティオは雪に足をとられないよう、急ぎ足で道を歩く。その服装は、お世辞にも優美とはいえない上に、この寒さにはいささか不向きな薄いものだ。コートでも羽織ればよいのだろうが、生憎とそんなものを買う余裕などない。精々、自分達で作ったマフラーを申し訳程度に首に巻く程度だ。
貴族のものと思われる華美な馬車が、雪のせいだろう、ゆっくりと道の真ん中を走り抜けていく。
彼は道の端に寄って、車輪が飛ばす飛沫を避けた。いくら薄汚れて古びた服だとて、無駄に汚すわけにはいかない。
無事に見送ったことに安堵の溜息を零して、少年は再び歩き出す。
聖誕祭が近いせいで、煌びやかな虚飾に彩られている街。
だが、今年はその虚飾に心浮かれるような余裕は、彼の中にないに等しい。
悪いことは続くものだ。
自分達を守り育ててくれた司祭が『病気で』亡くなったのは、今年の春。
その後、新しく派遣されて来た司祭は、決して悪い人ではないが、『仕事』が出来る人ではなく。今まで貰っていた『寄付』は、ごそっと減ってしまった。
司祭が生きていた頃のように、大手を振って仕事をするには、自分はまだ幼すぎて信用がない。
しかも、今年は近隣地域を襲った飢饉と疫病のせいで、物価が高騰している。
疫病のおかげで、今年8歳になったばかりの自分でも出来るような、簡単な仕事が多少回ってはきたけれど。
今までどおりに孤児院の運営資金を潤すには、とても至らない。
ジュレクティオは暗い方向に向きがちな思考を無理矢理断ち切り、仕事に関する遣いを済ませて仲間のところへと急ぐ。
真っ先に向かうのは、もうすぐ5歳になる、つい最近孤児院にきたばかりの少女のところだ。両親を疫病で亡くし、身内も見つからなかったために引き取られてきた。
街に物売りに来たのも今日が3回目で、しかも、今日は初めて一人で売りに出ろと最年長のリーダーに言われていた。
「ディアナ!」
「お兄ちゃん……」
「どうだ、売れたか?」
呆然と街頭に立ち尽くす少女に、ジュレクティオは声をかけて近づく。
気の弱そうな子だったので、やはり売れずに立ち往生していたのだろうか。そう思いながら、彼は少女の持つ籠を覗き込んだ。
「……あの、少しだけ……」
その籠には、まだ沢山の手袋が残っている。それでも、わずかばかりの銭が入っている所を見ると、確かに『少し』は売れたようだ。
申し訳なさそうにうつむく少女の頭をぽん、と叩くと、ジュレクティオは笑みを見せた。
「売れてるだけ、上出来だ」
誉められて、僅かに頬を染めてはにかむように笑う少女。
こうしてみれば、愛らしい普通の女の子だというのに。往来を、両親に手をつながれて歩く同い年の子供と、一体何が違うというのか。
親が居ないというだけで、こんなにも苦しい生活を強いられている。
あぁ、なんてこの世は不条理に満ちているのだろう。
「……あの……これ……」
少女は、大切そうに両手で包んでいたものを、ジュレクティオの前におずおずと差し出した。
何か拾ったのだろうか?そう思って覗き込んだ彼は、手の中のものに目を丸くする。
一点の曇りも無い澄んだ鮮やかな緑の石。どうやらブローチ状の装飾品になっているようだ。
受け取ってまじまじと確認すれば、やはりそれはどう見ても本物の……。
「翡翠じゃないか!どうしたんだ?」
「ひすい……?」
「宝石だ」
魔よけの石として、貴族の間で昔から人気のある石だ。これは随分と小ぶりで、装飾品としても、『本物の』魔よけとしても価値は低そうだが、それでも売ればかなりの値になるだろう。
勿論、買い取ってもらえれば、の話だが。
孤児院の、しかも街頭で手袋を売って資金を確保するような子供が、何の証書も無く質屋に宝石を持っていっても、盗品と見られて追い返されるか、最悪役所に連れて行かれかねない。
「ディアナ、これを、どうやって手に入れたんだ?」
「えと……お兄ちゃんぐらいの、きれいな男の子が……これで、かってくれるって……」
「手袋を?」
手袋ひとつにこのブローチでは、あまりに価値が違いすぎる。勿論、ブローチの方が高価だ。
しかし、問われた少女は首を左右に振った。
「あわれみ?……を、かうって」
憐み。言われてジュレクティオは眉をひそめた。
恐らく、少女にこれを渡したのは、貴族の子供なのだろう。
それが、何の気まぐれか、こうして自分達に施しをしたらしい。
同情か、慈悲か。しかし憐れみを買うとは、なんという傲慢で贅沢な物言いだろうか! しかも、自分と同じくらいの、子供だというのだ。
ジュレクティオは、湧き上がる感情のままに唇に笑みを浮かべると、少女に言った。
「これは、手袋じゃなく、お前の憐み……お前の一部と引き換えに、手に入れたものだ」
もっとも、買われたからといって、何かが減るわけでもないのだが。
一時の憐みがこの宝石一粒と同価値かと聞かれれば、ジュレクティオは否と答える。だが、恐らくその貴族にとっては同価値のものだったのだろう。
人の価値観など、万人の分だけ違いがある。深く考えるだけ無駄だ。
「だから、これはお前のものだし、お前が好きにして良い」
「もっていても、いいの?」
少女の目が輝く。5歳とはいえ、立派な女の子だ。宝石やキラキラしたブローチなどは、やはり憧れがあるのだろう。まして、親が病に伏せるまでは、多少貧しくとも幸せに暮らしていたのだ。そうした憧れに触れる機会は、孤児院育ちの子供達より多かったかもしれない。
ジュレクティオは、笑みを浮かべて頷いた。
「これは、魔除けとして人気のある宝石なんだ」
その言葉に、ますます少女の顔が輝く。その顔に、彼の脳裏に夜、小悪魔を見て怖いと泣いていた彼女の顔が思い浮かぶ。
はっきりと姿が見えているわけでは無いようだが、闇夜の部屋の隅で蠢く人ならざるモノを指して怯えていたのだ。
思春期前の子供特有の現象かもしれないが、思わぬ同士に嬉しくなったのも確かで。
「そうだ。折角だから、魔除けのおまじないをしよう」
夜中のトイレのお供ぐらいにはなる。と、ジュレクティオは笑いながら少女から宝石を受け取ると、懐から使い込まれて擦り切れた小さな革張りの聖書を取り出した。
亡き師匠の形見。ほんの短い間、死者に思いを馳せた少年は、しかし想いを振り切るようにその上に宝石を乗せる。
聖書と手の平で宝石を挟むように固定すると、瞼を閉じて小さく聖なる言葉を呟く。
神の子羊、世の罪を除きたもう主よ、
我らを憐れみたまえ。
神の子羊、世の罪を除きたもう主よ、
我らに平安を与えたまえ。
その時、力あるものならば、確かに見えただろう。
まだ齢10にも満たない少年の言葉によって、天より導かれた光が聖書に、石に降り注ぐのを。
キラキラとまるで粉雪のように光が舞い降り、その光を浴びる守り石は、確かに今、魔を除ける石へと変化したのだ。
その様子を、僅かばかりの力を持つ少女はうっとりと、まるで天使を見るような目で眺めていた。
「お兄ちゃん、ありがとう!」
「どういたしまして。さぁ、早く残りの手袋を売って、皆と合流しよう」
祝福によって力を得た守り石を見えないように麻袋に入れ、少女の懐に仕舞ってから、二人は場所を移動する。
思わぬ拾い物をした少女が、嬉しそうにしきりに懐を気にするのを見て、少年は苦笑した。
「気になるのはわかるけど、あまり他の子には見せないように」
「どうして?」
「皆が欲しがるだろ」
この『本物の』魔除け石の価値を見抜ける人物は、今の孤児院には居ない。だが、貴族が持つような宝石のついたブローチは、皆の羨望の眼差しを受けるだろう。
尤も、それが本物の宝石かどうかすら、見抜ける子供はいないだろうが。
ジュレクティオは仕事柄、何度か魔除けの石として目にすることがあったから、直ぐに気付いただけだ。これが翡翠ではなく、別の宝石であったら、気付けた可能性は低い。
「わかった。気をつける」
そう言いつつも、少女の顔が綻んでしまうのは仕方が無いのだろう。
ジュレクティオはそう諦めながら、手袋を道行く人々に勧める仕事に戻る。
そのとき、ふと、大きな鳥の羽ばたきを耳にして、彼は空を見上げた。
今にも雪が降ってきそうな厚い雲に覆われた空。そこから、一枚の羽が落ちてくる。
ふわり、ふわりと落ちて来るそれに手を伸ばすと、その羽は手をすり抜け、地面に触れる瞬間に霞と消える。
「天使?」
こんな煌びやかな街中で、珍しい。
まるで、何かを予言するような、そんな神秘的な想いを抱かせる。
そんなことを思いながら、再び空を見上げると。
「げ。」
思わず、はしたない声が漏れた。
「お兄ちゃん?」
「降って来た……今日はここまでだな」
舞い降りてくる雪に、ジュレクティオは肩を竦めて店じまいを宣言する。
この街は、孤児院から少し距離がある。雪が本降りになる前に帰らなければ、皆凍死してしまう。只でさえ、皆コートの無い薄着で寒い思いをしているのだから。
他の仲間達がどの程度売り捌いたかはわからないが、残った分は、帰りの道すがら、売るしかないだろう。
少年と少女は、ぬくもりを分け合うように手を繋ぎ、街に散った仲間を探しながら、雪の中道を急ぐ人々の波に紛れて雑踏の中へと消えていった。
end...
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