「――あ。終わったみたいだよ」
不意に、赤い髪のショートカットをした彼女が、そんなことを言った。
ミルクココアを飲んで寒さを凌いでいたショーコは、同じく横でおしるこドリンクを飲んでいたタダシと顔を見合わせた。
「今日も勝ったみたい。やっぱり、さすがだねー♪」
「ほ、本当ッスか。あんな、化け物に……」
「先輩……」
ショーコは、彼がいるであろう公園の方を見て呟いた。何もかも本当にあった出来事なのか、本当にこれが現実なのか、未だに実感は掴めない。
ただ、どっちにしても彼には帰って来て欲しい。
「――ん〜……」
「えっ!?」
ふと見ると、赤い髪のショートカットをした彼女は、ショーコの方を見ていた。姿だけを見れば、ショーコより年下だとしてもおかしくはないが――一応年上であるらしい彼女は、ニコニコ笑って言った。
「好きなんでしょ? 先輩さんのこと」
「えっ、ええっ!? 何ですかいきなり!!」
ショーコが咄嗟に否定するが、ショートカットの女の子はニコニコ笑って言った。
「ふっふ〜♪ 目が恋してるよ♪」
「おっ。意外に鋭いッスね」
「こら、バカタダシッ!! 余計なこと言うんやないッ!!」
ショーコは慌てふためく心を何とか落ち着かせて言った。
「そ、そんなこと言うたかて……姉さんがあの人と付き合ってるんやないんですか?」
「ん〜。そうなんだけどね〜……ボクもそのままであって欲しいし……」
ショートカットの彼女は、少し表情を曇らせていた。何か、思い悩むことであるみたいに……
「でもホラ、人ってどーなるか分かんないしさ。それにライバルが出来たとしても勝つだけだよッ!! ふっふっふっ……上履きを履く時は画鋲が入ってないかどうか注意するんだね♪」
「――何やねんっその一昔前のライバル関係ッ!!」
ショーコはついつい突っ込んでしまっていた。ショートカットの彼女もあははっと笑顔で言う。
「ま、冗談はさておき、ボクはそろそろ行くよ」
「えっ?」
突然の言葉に、ショーコもタダシも一瞬飲みこめなかった。
「な、何でですのん。せっかくここまで来たのに……」
「んーっと、ちょっと色々事情があってさ。今会うと喧嘩になっちゃうから」
「喧嘩って……」
どういう意味なのか良く分からなかった時だった。
「――ホラ、帰ってきたよ♪」
ショートカットの彼女に「後ろを見ろ」と促されて見ると――そこには。
「――先輩ッ!!」
ショーコは咄嗟に叫んでいた。
§
バニッシャー・バニーとの戦いの後、俺は「公園にたくさんの人が倒れている」と警察に電話してから公園から出た。
それからタダシ達が逃げたであろう方角の夜道を歩いていると、俺の耳に聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「――先輩ッ!!」
ショーコだった。
彼女は俺目掛けて全速力で近づくと、目の前で立ち止まって言った。
「良かったわ! 本当に無事でッ!!!」
「ああ。心配掛けたな……」
遅れてタダシも駆けつけてくる。
「お前も大丈夫か?」
「はいっ! 先輩の恋人さんのお陰で全然平気ッス!!」
「そうか。それは……」
俺はそこでハッとした。
俺の、恋人……?
その言葉で思いつくのは、アイツだけだ。だが――
「――アレと、会ったのか!!?」
「えっ? ええっ。ついさっきまで……ってアレ?」
タダシが振り返って見るが、遠目で見えるのは自動販売機だけで、後は影も形もない。だが間違いないだろう。一度見たショーコが、俺の恋人と間違えるようなものはアレしかいない。
「何かされなかったか!!?」
「えっ、ああ。助けてもらいましたッス」
「助けて……もらった?」
「そーっス。先輩と別れた後、またあのマネキンみたいな化け物に襲われた時に……」
「……」
なぜだ。
なぜ、アレがタダシ達を助けた……?
「……あの」
ショーコが声を掛けてくる。
「あの人が何かしたんですか?」
「……いや。何でもない。ただ、またアイツに会っても、決して気を許すな」
「な、何でですのん……?」
「何でもだ」
俺はそれだけを言って、ホッとため息を吐いた。D-フォンに反応はないし、ショーコがすでにスプレッターに成り代わられるとは考えにくい。
だが本当にどうして……
「……先輩? どうしたんスか?」
「ん。ああ……何でもない。何でもないんだ」
考えても仕方がない。二人も消耗している。今は早く帰ることが先決だろう……
「じゃあ、帰るぞ。駅まで送る」
俺はそう言って、タダシ達と共に歩き出した。
ないと・めあ計画とは何か、バニッシャー・バニーが最期に残した言葉の真意……そして、ボクっ娘の行動の意味を考えながら……
§
そこは日本のどこかにある場所、どこに存在する施設――闇に包まれた部屋の中に数人の人らしきものが円卓に座って会議をしていた。だが部屋の大きさがどれくらいのなのか、一体そこに何人いるのかも分からない。
「――バニッシャー・バニーの反応が途絶えました」
凛とした別の女性の声が聞こえる。最初の声が母性を感じさせるものだとするなら、こちらは父性のような――軍人のような口調のハスキーボイスだ。 彼女の言葉に周囲から多少のざわめきが漏れる。
「おそらく今回もまた――」
「――B−プロジェクトの方はどうなっているの?」
どこか柔らかみのある大人の女性の声が響いた。
「――昨夜は特異点と接触しました。今回はまだ様子見のようです。……引き続きデータを取っていますが、やはり、接触させた方が反応は良いようで……」
「――まどろっこしいねぇ」
また別の女の声だ。ふてくされた感じの――イメージとしては不良学生のような口調だ。
「とっとと進めちまったらどうだい? 他の方法はいくらでもあるだろ? 特異点にこだわる理由だって――」
「――だが今までのサンプルにはない特殊な波形が出ているそうだ」
ハスキーボイスの女性が、ふてくされた声に反論する。
「アレの意向もある。無理に急がせてアレにもしものことがあったら――」
「はっ、まどろっこしい。そんなとろくさいマネしてねえで、とっとと進めりゃいい。何かあったら何かあったときだ。ぶっちゃけアレの中を弄くったていい。だからお前は甘えんだよ」
「……普段のお前に言われたくはないな」
「んだと、てめえッ」
「――もう良いわ」
最初の女性の声が二人の議論を遮ると、他の全ての声も止んだ。やはり、この女性がここにいる者を統治しているらしい。
「B−プロジェクトについては、次の段階に入らせなさい。特異点も今の状態を続けること」
「……特異点が消失した場合には?」
「特異点のデータがあるでしょう。所詮は駒――代用なんていくらでも出来るわ」
ハスキーボイスの女性に対し、統治者はそう答えた。
§
……俺の夢はゲームデザイナーだった。
昔から脚本家や小説家に憧れていて、たくさんの人に面白いと呼ばれるようなゲームを作るのが夢だった。
上京しようと思ったのも、それが切掛けだ。
面白いゲームを作るにはプログラミングの知識も必要だと思って独学で勉強もしたし、たくさんの本も読んだ。
契約社員という不安定な地位だったが、大手のゲーム企業に入れたのは奇跡だったと思う。結局は契約社員止まりで、フリーター街道に出てしまったが。
一応の進路が決まった頃、アイツが同じく上京するというのを本人から聞いた。しかも職場の住所を聞くと、そんなに離れていない。アイツはいつものあっけらかんとした笑顔で言った。
「一緒に住もっか?」
俺は、何も言えなかった。
俺の住むアパートは秋葉原駅から離れたところにある。築40年近くのボロアパートだが、それでも家賃は高い。一人で暮らしていくには結構な負担だ。でも二人ならと何とかやっていける。だから俺とアイツはこのアパートの同質で暮らすことにした。
同じアパートの同じ部屋に二人暮し――色々と問題があると俺も思うが、言い出しっぺはアイツだ。
しかも彼女の両親にも「もし間違いを起こしたら、娘のことはヨロシクッ! ただし泣かしたら地の果てまで追いかけて殺すよ?」と笑顔で祝福(?)された。そんな適当で良いのか、日本の風紀……
……まあ、昔から近所だったし、親の立場からしてみたら全くの他人よりは娘を託しやすかったんだろう。
俺だって、アイツのことは嫌いじゃなかった。
嫌いなんかじゃ……………
…………………
……けど、アイツは、もういない。
俺と一緒に住んでいたアイツは、いない。あの部屋にはもう、俺しか帰ってこない……
疲れて帰ってきても、誰もいない。
何か話そうとしても、誰もいない。
……いつのまにか、当たり前になっていた小うるさい幼馴染は、俺の心にぽっかりと穴が残して消えていった。
だが、これが現実だ。
受け入れるしかない。
帰っても誰もいない。
布団に包まって眠れば、また一人の朝が来る……それを早く受け入れなきゃいけないんだ。
それが今の俺の日常なのだから。
………
……………
明かりが差してくるのが分かった。
もう、朝なのだろうか。昨日は帰ってすぐ布団に倒れ込んだから、結構早くに寝たはずなのだが……まだ寝足りないのはどうしてだろうか。
やっぱり昨日もバイト帰りにスプレッターと戦ったのがいけなかったか。
確かに体は重いのだが……
だが疲労での重さというよりは、まるで何かに圧し掛かられているような……
もしかして、金縛り?
その割には、不快度が低いな。普通金縛りだと、体が強く締め付けられて冷や汗が出るほど辛いらしいのに、俺が今体験してるのは、誰かが布団越しに抱き付いてきているくらいで……しかも、ほのかな人肌が感じられて気持ち良い……
そうか。気持ち良いから出たくないんだ。しかも干し立ての布団のような匂いがしてすっごい気持ち良い……
ああっ……いいな……
「――ふっふ〜♪ グッスリだね〜」
……ん?
今、誰かの声が聞こえたような……
でも今、この部屋には俺しかいないはずだ。ボロアパートとは言え、鍵はしっかりしている。
まさか……霊か?
俺はふと近所の主婦から言われたことを思い出した。何でもこの築40年近くにもなるこのアパートでは、19年前に就職難を苦にして自殺した女の霊が出るとか出ないとか、越してきた女性が次々と死んでしまうとか、あ。あと男が住むと夜な夜な霊がやってきて、精を吸い取っていくとか、そういう噂があった気がする。
前いた大学生も卒業してから消息がつかめないとか何とか言っていたような……
でもそれ、別の建物とか言ってなかったっけ……?
何かのサイトで紹介された建物と、今俺のいるアパートがあまりにも似ていた為に誤解されたって話だぞ?
空耳……か?
俺がおそるおそる目を開こうとした時だった。
ぱふっ♪
ぱふっ♪
「…………っ!?」
俺の顔に何やら柔らかい物体が押し付けられる。ふわふわした甘い香りを漂わせる二つの物体……それは巨大なましゅまろに似ていた!!
ふわふわとしたそれらに触っているだけで、俺の体から力が抜け、足腰が萎えていく一方で……甘い香りと感触に男根だけが熱くそびえたっていく!!
「あーっ、もう硬くなってる♪ 寝ててもおっぱい好きなのは相変わらずだね〜♪ えへへっ、すりすり……」
聞き覚えのある声と共に、俺の男根を撫でてくる柔らかい掌の感触――
間違いない!!
俺は力強く飛び起きた。
「わわっ!」
すると俺の上に圧し掛かっていた者も、俺の上から飛び退かざるを得ない。
彼女は、俺と向かい合うようにして、布団の上に座り込んだ。……勢い余って、壁に頭をぶつけていたが。
「ううっ……痛たたっ……」
ぶつけた頭を撫でる彼女――いつもは絶対着ないようなぶかぶかの男物のYシャツ姿で、下からはパンツが丸見えになっている。
いや、そんなことより――ッ
「ど、ど、どどどどど」
「ん? ど? ドーナッツか何かあるの? 昨日冷蔵庫見たけどそんなの入って……」
「違うわッ! アホッ!!」
俺がついつい怒鳴り声を上げても、彼女はキョトンとした顔のままだ。まるで「何がそんなにおかしいの?」と言いたげに。
だが――
「ど、どうしてお前がここにいるんだよッ!? ……じゃないッ、ボクっ娘戦闘員!?」
アイツの名前を言いそうになって、俺は口を噤んだ。そうだ、目の前にいるのはアイツではない。俺の宿敵、ボクっ娘戦闘員だ。俺がそう言うと、ボクっ娘は少し驚いた顔をしてから――
「あ。ごめんごめん。言い忘れてたね」
ぺロッと舌を出して、こう言った。
「……へへっ。恥ずかしながら、帰って参りました。これからもよろしくねッ♪」
悪びれた様子もなく、彼女はそう言い放った。
……つまり、こういうことらしい。
スプレッターにもアジトらしきものはある。ただ、そこで四六時中生活している訳ではない。
ほとんどの場合は、擬態した人間の住む場所に戻って、何食わぬ顔で生活しているのだそうだ。
今までは新米スプレッターということで、研修の一環として宿泊施設に泊まっていたそうなのだが、無事に研修を終え、配属先も決まったので自宅に戻ったらしい。
なるほど。するとアイツが住んでいたのは俺と同居していたアパートだから至極当たり前――って違―っう!!
「何で俺がスプレッターに成り代わられてるって知ってて同居しなけりゃならないんだよッ!!」
ただでさえ連日連戦なのに家の中にまでスプレッターにいられたら、心休まるはずがない。だがボクっ娘は可愛らしく頬を膨らませていった。
「仕方ないじゃん。決まりなんだもん」
「決まりも何もあるかッ!! 俺は絶対嫌だからなッ!!」
「何でだよッ!! 前と同じに戻るだけだろッ!!」
「違うだろーがッ!!」
「なら、家賃はどうするのさッ!! 今のキミ一人じゃ、払い切れないだろッ!!」
「引っ越せば良い話だろうがッ!!」
前にいたのは、俺の幼馴染だ。今目の前にいるのは、俺の敵だ。同じ顔、同じ体型、同じ性格でも。今ここにいるのは、俺が――倒すべき敵なんだ。
だから……
「――じゃあ、キミはボクに出て行けって言うの……?」
「うっ……」
ボクっ娘が、涙目になりながら言った。しかも俺の心の中もチクリと痛む。
「ボク、他に行く当てないんだよ……? ただでさえ失敗続きでみんなからもバカにされてるのに……ここからも追い出されて、野宿しなくちゃならないの? スプレッターだから? スプレッターになっちゃっただけなのに、キミまでボクを追い出すの……?」
「ううっ……」
知ってか知らずか、ボクっ娘は俺の心を的確に責めてくる。確実に俺の心の中で良心の呵責が起こっている。
このまま追い出したら、ボクっ娘は路頭に迷うだろう。
スプレッターとは言え、自分が好きだった女の子と同じ姿、性格をした女の子が、寒さに震えながら公園のベンチの上で泣いている姿が見える。
それに、タダシ達を助けてもらった借りもあるし……
たくさんの意見はあると思う。
ただ……俺には、そこまで冷酷にはなりきれなかった。
「……だ〜ッ!! 分かった。好きにしろよ!!」
「やった〜ッ!!」
「!? ば、ばかっ! ひっつくなっ!!」
がばっと、ボクっ娘は俺に抱きついてきた!! 彼女の果物みたいな甘いほのかな芳香が鼻をくすぐり、大きなおっぱいが俺の胸に当たってくる。
「えへへっ〜。やっぱりだ〜っい好きっ♪ 絶〜っ体ボクがげっちゅするんだからっ。えへへっ♪」
甘い声で喜びながら、満面の笑みを浮かべるボクっ娘。だがそこで俺はふと思う。
「……ところで、お前の配属先って、何?」
「ふっふ〜。よくぞ聞いてくれました」
ボクっ娘は大きな胸を張って言った。
「ドーテイダー籠絡特別対策チームッ!! しかも隊長だよッ隊長ッ♪」
「……………」
俺、選択間違えたかもしれん。
「で、お前の他に何人くらいいるんだ? そのチーム」
「えっ……」
ボクっ娘は言葉を詰まらせていた。何かものすごく言い難そうなことがあるような……
ひょっとして……
「……隊長以外誰もいないってオチじゃねえよな?」
「あう……ッ」
ボクっ娘はものすごくガックリと項垂れてしまった。俺は何とも言えなかった。というか、自分で首を絞めている気がする。だがコイツを見捨てるのもあれだし――
「はああ……俺って奴は……」
自分のバカさ加減を呪いながら、俺はため息を吐いた。