とある教会。
しんと静まり返ったその場所の、奥まった部分にあるその部屋にふたつの人影があった。
神父服に身を包んだ男。彼の名は、言峰綺礼。
傍らに控えるのは薄闇の中でも目に鮮やかな赤い概念武装を纏った矮躯の少女。彼らはそれぞれに無言であり、言葉を交わそうとしない。
言峰は深く沈んだ目をし、矮躯の少女もまた鋼色の瞳で言峰を見るのみだ。
耳が痛いほどの沈黙。教会、聖なる場所―――――そんな概念を嘲笑うような空間に、不意にカチリカチリという音が響いた。
先程より不動であった言峰が単調に手を動かす。そのたびに響く音。カチリ、カチリ。
矮躯の少女はなおも沈黙したままその光景を見守っている。
しばしして―――――言峰の動きが止まった。同時に音も止む。手にしていたものを置き、言峰は机の上にあったもので口元を拭った。
そうして傍らの矮躯の少女を見やり、つぶやく。


「おかわり」


矮躯の少女は、その地の底から這い登るような渋い声を聞くとはあとため息をついてうなだれた。少し緩みかけていた純白のエプロンの肩紐を引き上げ、じいと己を見つめる言峰に向かいつぶやく。
「……またかね。一体何杯目だと思っている。いいか、いくら好きだと言っても限度がある。食事を摂る際には、きちんと栄養を考えて摂らねば。肉肉野菜、肉野菜、という言葉もあるだろう。大体だな―――――」
とうとうと述べられる説教。だがしかし言峰はそれを遮り
「おかわり」
と、真っ赤になった空の皿を差しだした。
「……………………」
矮躯の少女は沈黙する。
言峰の胸元にはところどころに赤い染みのついた布ナフキン。そしてロザリオ。声と同じく渋い顔は、あくまで無表情を保って、矮躯の少女を見つめている。
沈黙が室内に落ちる。
「……了解した、マスター」
矮躯の少女は再度ため息をつくと、言峰から空の皿を受け取った。ついでにナフキンで口元を軽く拭いてやる。
それについては無反応だった言峰だったが、矮躯の少女が台所へと踵を返した瞬間、至福といった微笑みをその顔に浮かべたのであった。


「オレもあの神父にはほとほと苦労させられてるけどよ……おまえはそれ以上だよな」
礼拝堂。
人気の少ない、というかまるっきりないその場所で、整然と並んだ長椅子の背に体をもたれかけさせ前の椅子に長い足を投げだした男は同情するようにそうつぶやいた。
青く長い髪を金色の髪留めでひとつにくくり、細身ではあるが筋肉のついた均整の取れた体をぴったりとした全身タイツに包んでいる。
男の名は、ランサーといった。ランサーは人の身ではない。サーヴァントといった使い魔、英霊といった未知の力を秘めた存在である。
「だっていうのによ、やることといや敵の身辺調査と弱味探しだ。なんだ? オレはあれか? 私立探偵かそれとも何でも屋か? つか、戦うために呼びだされたんじゃねえのかよオレは。戦力として奴に徴兵されたんじゃねえのか。だってのになんでセイバーのマスターが日々増えていく食費に困ってるだとか、アーチャーのマスターが金に溺れて目の色変えてうはうはだとか、キャスターとそのマスターが新婚生活ラブラブ満喫中だとか、バーサーカーのマスターがいかにてめえのごっついサーヴァントをかわいく彩ってみせるか悩んでるだとか、んなくだらねえことばっかり探って報告しねえとなんねえんだよ」
ついでに言やライダーのマスターはワカメだ。
頬杖をついていらいらとそうつぶやいたランサーに、隣に腰かけた矮躯の少女は眉を寄せてなんともいえない表情を作る。
「それはその―――――大変だな。君も」
「おうよ。その心遣いが心底沁みらあ」
心からといった様子で答えたランサーにますます眉間の皺を深める矮躯の少女。その幼い顔に目をやり、しかしおまえよ、とランサーは問いかける。
「おまえ、十年前の戦争に参加したサーヴァントなんだろ。それがなんで今もまだ、この世界に現界してやがる」
それは当然の問いだった。聖杯戦争に参加できるのは、七組のマスターとサーヴァント。セイバー、アーチャー、ランサー、ライダー、キャスター、アサシン、バーサーカーはすでに揃っている。矮躯の少女の存在は枠の外のものだ。
事実、彼女はこの世にいていいものではない。
「…………」
矮躯の少女はうつむく。その顔を見て、ランサーはにわかに慌てた。なだらかな肩を叩き、早口で言い聞かせるように彼女へと言い募る。
「いや、その、なんだ。言いたくなかったら言わなくてもいい。つか、言うな。悪かった。女にゃ言えねえこた山ほどあるよな。オレが無神経だった」
ランサーは元々、女性についてやさしい……といえば語弊があるが、気を配れる……これも違うか?
まあともかく、女好き。
そんな感じのサーヴァントなのである。“女”である矮躯の少女、それも苦労する身、しかも幼い風貌とくればまるで虐めているような気分になってしまうのも当然のことだろう。だから慌てて自分の発言を撤回したのだ。
しかし、
「いや……君が不思議に思うのも当然のことだ。理由はどうあれど、同じ主に仕える身。隠してはおけぬこともある。話せることならば、話しておこう。ランサー」
矮躯の少女はうつむいた姿勢から顔を上げ、ランサーの赤い瞳を見つめると(ちなみに、ここでランサーはその胸を柄にもなくどきりと高鳴らせた)話し始めた。自らがこの世に未だ現界する、その理由を―――――。


沈黙が落ちた。
ランサーは目を丸くして、ぽかんと矮躯の少女を見つめている。その表情は言い表すのならば“呆然”その言葉がぴったりだった。
「……あのよ。念のため、今一度確認するが……」
表情と同じく呆然とした声音で、ランサーが矮躯の少女に問いかける。
「あの神父は、本当にそんな理由でおまえをこの世に受肉させたのか?」
「…………」
矮躯の少女はしばし躊躇うようにその問いに沈黙を返していたが、やがて意を決したようにうなずいた。それを見てランサーはさらに、その目を丸く見開く。もうほとんどその妙なる輝きの赤い瞳は眼窩からこぼれ落ちそうだった。
「……まじで?」
神秘の存在、サーヴァントらしくない言葉遣いで、ランサーはつぶやいた。矮躯の少女は居心地が悪そうに下を向いている。
そこに靴音を立て―――――第三者が、やってきた。
「アーチャー」
むやみやたらに渋い声、癖のある外跳ねした肩までの髪。話題の中心人物のひとり。それは言峰神父だった。
「用がある。すぐに来い」
「……なんだろうか、マスター」
矮躯の少女は答える。それに言峰は相変わらずの無表情で、
「腹が減った。追加を頼む。大急ぎでな」
沈黙が落ちた。今度は三人分。
なんともいえないそれは人の身を遥かに越えた規格外のサーヴァントであるランサーと矮躯の少女の身をも苛んだ。
矮躯の少女は言峰を見……ため息をつき、平坦な声でつぶやく。
「苦言を呈するようだが、マスター。私の記憶では、先程食べたばかりだと思うが」
「何を言う。記憶にない。そんなことを言い、おまえは私を飢え死にさせる気か」
……まるきり嫁とボケ舅の会話である。呆然とその様子を見守るランサーの目の前で矮躯の少女は静かにため息をつき、長椅子から立ち上がると、
「……了解した、マスター。すぐに用意をするからしばらく待っていてくれたまえ」
言峰の顔が満足げに歪む。
踵を返し、奥へと引っこんだ言峰の背を見送りまたため息をひとつつくと、矮躯の少女は
「ではな、そういうことなので。失礼するよ、ランサー」
「……………………」
ランサーが答えられぬまま矮躯の少女は言峰の後を追い奥へと姿を消していく。
その光景を見守るランサーの頭の中で、先程の会話が何度も何度も反芻されていた。


“言峰……マスターは、私の作る麻婆豆腐の味に惚れこんだと言った。そして十年前、聖杯の中味を私に飲み下せ―――――受肉させ、麻婆豆腐を延々と、それこそ永遠に作り続けさせ、味わい続けるためこうして今まで現界させ続けたというわけだ。どうだね?理解してもらえただろうか?”
いや全然。
麻婆豆腐のためにサーヴァントを受肉させただとか。そもそもあの真っ赤で辛くて痛くて地獄のような食べものを好んで食べたがるとか。あんな細っこい年端も行かないような外見の少女サーヴァントに自分の欲望のため無理矢理に聖杯の×××を飲み下させたとか。
はあまあなんというか最後のは言い回しに語弊があるが。
「……心底ろくでもねえ……」
魂を抜かれたようにつぶやいたランサーの声を聞く者は誰もいなかった。そして彼は、矮躯の少女―――――弓兵のサーヴァント・アーチャーに心から同情したのだった。


無限に連なる並行世界。四次聖杯戦争に参加した弓兵ギルガメッシュと五次聖杯戦争のため召喚された弓兵エミヤ―――――その存在が入れ替わることだって、ついでにエミヤの性別が変わってしまうことだって充分にありえることなのだ。
相当、無茶ではあるけれど。



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