夜空は星が綺麗だ。
衛宮邸の屋根の上に登り、ランサーはひとり膝を抱えていた。概念武装の青は闇にそのまま溶けてしまいそう。……ランサーもなんとなくそのまま溶けてしまいたかった。
らしくねえ、と自らを叱咤する。
「ったく、オレとしたことが……」
「ランサー」
「うお!?」
尻尾がびょいんと妙な音を立てて逆立つ。最速で振り向くとそこにはアーチャーの姿があった。
「いい夜だな。星が美しい」
「お、おう」
「……いいだろうか」
「あ?」
「隣に行っても。かまわないだろうか」
ランサーは言葉を失った。アーチャーはたわわな胸を支えるように腕を組んで心配そうに長い睫毛に縁取られた鋼色の瞳を曇らせている。一体それを見て、どこの男が断れるというのだろう?
「お、おう。来い。ここ、座れよ」
「うむ」
とたとたとたとた。
すとん。
効果音までかわいらしくなってしまったアーチャーが隣に座ったのを受けて、ランサーは胸の鼓動が高鳴るのをはっきりと感じた。何故だ。気の強い女は好きだし、プロポーションのいい女も大好きだ。隣にいる女はまさに理想のタイプ。だが、何故だ。
何故こんなに鼓動が激しくなりつづける?
ランサーは手を震わせた。
そっと、無骨なその上に乗せられた華奢な褐色の手。冷たく熱い体温。なんてか弱い手だ。これが、あの剣を握って戦っていたアーチャーの手か?などと考えだすと止まらない。きっと見えているだろう、いくら夜だといってもこれだけの至近距離だしアーチャーの目は鷹の目だ。
この―――――赤くなった顔は、きっとアーチャーにはっきりと見えてしまっている。


“どうして抱いてくれないんだ”


かつての声が脳裏に蘇る。あのときは抱きしめてしまったが、今ならその意味がわかった。……いや、あのときだって、わかってはいたのだ。だが、あまりにもその虐められっぷりと小さな体が愛おしくてたまらなく、つい期待を逸らしてしまった。
アーチャーはランサー、と不満げに、しかし満足したようにつぶやいて背中に腕を回してきた。胸が押しつけられてきて正直気持ちよかった。自分とアーチャーのあいだで潰れていた乳房はさぞかし苦しかっただろうと思う。乳の気持ちなんてわからないが。
「ランサー」
途中から思考が脱線してきたランサーの耳に、ぽつりと小さなつぶやきが漏れる。おう、と三度目の返答を繰りだそうとしたランサーは、腕に柔らかな感触を感じてぎくりとした。挟まれるように胸が押しつけられている。
わ、わざとか。わざとなのか。アーチャーよ、わざとなのか。
だが夜目に見てもアーチャーの顔は真剣で、それが無自覚なのはわかっていた。冗談でも言わなければやっていられない。正直、心臓は破裂寸前だった。
「……どうして、抱いてくれない?」
「ど、うしてって、アーチャーおまえ」
「前は私が嫌がっても抱いただろう。あの強引さはどこへ行った? ……ああ、勘違いしないでほしい。私はその……あのときのように獣のように君に求められたいわけではない。ただ…………」
そこで言葉を切ると、アーチャーはひたとランサーを見つめてきた。鋼色の瞳は潤んでいた。
「君が、ほしいんだ」
ランサーの理性は音を立てて消し飛んだ。


瓦が音を立てて鳴る。
月明かりの下、押し倒したアーチャーの体は細く、それでいて各部分に肉付きが良い。乳、尻、太腿。実にランサー好みの体だ。
そんなものを目の前にはいどうぞと差しだされて平気でいられる男がいるだろうか……いや、いない。それも空腹のときに差しだされた極上の餌だ。
我慢できない。
「アーチャー……」
「あ……!」
まずは頬に挨拶のようにくちづけると、甘い声が上がる。柔らかな頬はマシュマロのようだ。舌を這わせればこれもまた甘い気がする。女の体とはこんなにどこもかしこも甘かっただろうか?いや、違う。アーチャーだからだ。
花のような芳香を放つ体を舐めて、弄んで……というのは言葉が悪い。愛して、ランサーは太腿に手を乗せる。
吸いつくようだ。拘束具に阻まれない方の膝頭へと包みこむように手を移動させれば、アーチャーは、うん、とかすかな声を上げた。
「……いいのかよ、アーチャー……」
「ああ……君になら……かまわ、ない」
「よし。……よく言った」
いい子だ、と耳元にささやくと、ランサーは―――――


がらん。
「あ」
「あ」
「あ」
「…………」
三者三様のつぶやきが夜空に溶ける。そこにいたのは、鼻を手で押さえる衛宮士郎だった。ぼたぼたと赤い血が服と瓦を汚している。
「おい、坊主?」
「あ……その、夕飯の時間……だし、二人とも長いあいだ戻ってこないし……さ。ごめん」
「ってな、恋人同士だぞオレら! それにいい大人同士なんだからよ、空気読めよ空気!」
「だからごめんって!」
「……I am bone of my sword.」
士郎とランサーがそろって声の発信源を見る。ゆらり、と乱れた服装で立ち上がるアーチャーの艶姿に、士郎がまたも鼻血を噴きだす。ああ、純情少年よ。
「おい、待て! アーチャー待て! 落ちつけ!」
「Steelis my body…………ん、なんだ小僧。遺言なら今の内に言っておけ」
「遺言!? じゃなくてっ、これは事故で、俺は決してわざとじゃな」
「Steelis my body, and fireis my blood.」
「聞けよ人の話!!」
「―――――以下略、unlimited blade works!」
「以下略とかそんな……!」
発動の衝撃で梯子は落ちて、士郎の逃げ場所はなくなった。乱れたアーチャーの服は不完全な詠唱のせいでさらにボロボロだ。
ランサーは唾を呑み、士郎は息を呑む。ついでに鉄の味がする血を飲んで、吐き気を催した。
思わず青ざめた顔が、目の前に立ち塞がったアーチャーの様子に真っ赤になる。
笑顔。まるで少女で処女のように可憐な。それが―――――物騒な剣を持って、先端でぺちぺちとてのひらを叩いている。
「さあ。逝ってくるがいい衛宮士郎。なに、明日からのこの街と台所の平和は私が守る。安心して逝くといい―――――逝ってしまえ」
「ば、アーチャー……! おまえ、今の自分の格好見てその台詞っ、」
「え?」
いってくるがいい。あんしんしていくといい。―――――いってしまえ。
胸元もあらわに鎖骨丸出し。細い腕にごつい凶器は通好み。スカートのように概念武装は細い体を覆うが、むっちりとした太腿は隠せやしない。というかなんで足丸出し?
「どうでもいい! 殺す! 殺してやる! こんな痴態を見られて黙って帰せるものか、ええい小僧、せめて一瞬で殺してやる、その首をおとなしく差しだせ―――――」
「アーチャー。アーチャー」
「なんだ!?」
「死んでる」
「……は?」
「だから、死んでるぜ。坊主。セイバーとつながってる気配がまだかすかに匂うっつーことはかろうじて半死状態なんだろうが、このまま放っておけば確実に死ぬ」
「し…………」
突然、アーチャーは獲物を放りだして士郎の顔を胸に抱いた。
「死ぬな! 衛宮士郎! おまえが死んだら……だ、誰がおまえを殺すんだ!?」
「死ぬ死ぬ死ぬ! いや、マジで死ぬって! あっ魂、魂出てるってほらアーチャー、待て、落ちつけ、オレだけでも落ちつけ……るかあああこのボケ倒しどもが!」
月夜に、猛犬が吠えた。



back.