―――――衛宮邸。
セイバーと衛宮士郎、ゆみことせんぱい。彼らは一時的に共闘関係を結んでいた。
「まあ、そういうわけだ。短いあいだかもしれんが、よろしく頼むぞ若造」
「わかぞ……って、遠坂、おまえだってオレと同い年だろ!?」
せんぱいは。
競馬雑誌を読みながら、すぱーと煙草を吸った。ニヒルに微笑むことすらせずに、一刀両断。
「経験値が違うわ。もっと修行を積んでから出直してこい、若造」
「だから若造って言うなうわああああん!」
「シロウ! どこへ行くのですシロウ! もうすぐ夕飯の時間ではありませんか!」
ばっさり斬られた衛宮士郎は、泣きながら廊下を駆けていった。セイバーも慌ててそれを追いかける。だが、マスターが大事なのか夕飯が大事なのか。それは知れない。
「……マスター」
すう、と姿を現したゆみこは、眉間の皺を揉みながら苦言を呈するようだが、と己のマスターに向かってぼそぼそとつぶやく。
「確かに衛宮士郎は未熟で未完成極まりない存在だ。だがしかし、それを指摘するにしてももっと言い方が……」
「ゆみこ」
「!」
びくん、とゆみこは背筋を正す。無意識に刷りこまれたそれはパブロフの犬現象。
「おまえのマスターは誰だ?」
「せ……せんぱい、だ」
「そうだな。わかっているのなら余計なことは言わず自分の役目に励め」
たとえばお色気作戦とかお色気作戦とかお色気作戦とか。
雑誌のページをぺらりとめくり、また紫煙を吐きだしながらせんぱいが言う。それ全部お色気作戦じゃないっすか、とはさすがのゆみこもつっこめなかった。
というか、誰がつっこめるというのだろう。
「……善処する。それでは、私は失礼して……」
「待て」
「? なにか用事でも?」
「どこへ行くつもりだ?」
「屋根の上だが。私は弓兵のサーヴァント。偵察や見張りには向いている」
せんぱいも知っているだろう?とこくびをかしげて言うゆみこ。
せんぱいはそんなゆみこをしばらく見ていたが。
「駄目だ」
「ええ!」
ゆみこは愕然とする。思わずマスターの肩を掴んで問いかけていた。
「何故なのだ、せんぱい!」
「今の季節どれだけ冷えると思ってる。女が腰や腹を冷やすな、良い子が産めなくなるぞ」
「いや、私はサーヴァントであって……だ、第一私が見張りをしなければ一体誰がするというのだね、せんぱい!?」
せんぱいはまた雑誌の一ページをぺらりとめくった。
こともなげに言い放つ。
「そんなもんは男衆に任せておけばいい」
男衆って。
衛宮士郎しかいないじゃないですか。
「だ、駄目だせんぱい! あんな未熟者に重要な見張りを任せることなんて出来ない! そうだ、どうしてもやらせるというのなら私も加わりふたり体制で……」
「甘いな」
ゆみこは瞠目する。いつのまにかせんぱいに顎を捕らえられていた。
「あんな性欲にみなぎった年頃の若造と夜ずっと一緒にいてなにもないと思うか?」
「せ、せんぱい」
「うぶなネンネのおまえなど、ぱくりとひとくちでいただかれちまうだろうよ」
「そ、そんな―――――ッ」
「おまえはこのわたしのサーヴァントだ。みすみす美味そうな餌を狼の前に放ってやる気などせん」
そう言って、せんぱいはゆみこの瞳を見つめる。その不思議なまなざしに、ゆみこはぐ、と言葉を呑んで動けなくなる。
ぞくぞく、と背筋を何かが駆け登っていく。ゆみこは目を逸らそうと思ったが逸らせずに、せんぱいに見つめられるままでいた。
「もう一度言うぞ。ゆみこ。おまえはわたしのサーヴァントだ。すなわちその髪一本までわたしのものだと覚えておけ」
「せんぱ、い……」
ふっと手が離される。ゆみこは力が抜けたようにくたくたとその場にしゃがみこんだ。
目の縁がうっすらと赤い。
「ゆみこ、おまえに最初の命令を与える」
「……なんだろうか、せんぱい」
「逃げていった若造の代わりに夕飯を作れ。わたしの好みは熟知しているだろう」
「あ、ああ、それはばっちりと―――――て、このエプロンは!?」
「おまえに似合いのものを取り寄せておいた。やはりおまえには赤が似合うからな」
赤いエプロン。
胸元には、ヒヨコ。
それを投げ渡されて、ゆみこは呆然とした。
「これからしばらくここに住まうことになる。食事くらいは美味いものを食いたいからな、頼んだぞゆみこ」
「りょ……了解した、せんぱい……」
あれ?これって作る食事が美味しいって言われてることですか?
ちょっとときめいたゆみこは、せんぱいの針のような視線にしゃきん!と背筋を正す。
「満足できなかったときはおまえの体を使った女体盛りが食卓に並ぶことになるから覚えておけ」
「腕をふるわせてもらおうせんぱい……!」
エプロンを装備するとゆみこは慌てて台所へ向かった。その後ろ姿を見て、やれやれとつぶやくせんぱい。
「聖杯戦争……まあうちの勝ちでガチだが、楽しまなくては損だしな」
ばさりと雑誌を閉じると、ふわあとせんぱいはあくびした。昼寝でもするかと思う。もう、とっくに昼はすぎたけれど。
台所からは包丁の音と何かを炒める音が聞こえてくる。それすら心地よい子守唄だ。
「しまった」
あまりしまったという顔ではない顔で、せんぱいはひとりつぶやく。
「昼寝をするなら膝枕が必要になる」
しかし理想の膝枕は台所で調理中だ。仕方ない、とせんぱいはごろり畳に転がった。
「わたしをがっかりさせるなよ、ゆみこ―――――」


つぶやいて瞳を閉じたせんぱいの耳には、どうせ俺なんて!どうせ!と叫ぶ衛宮士郎の声とそれを必死になだめつつ台所からの匂いに惹かれるセイバーの声はもちろん、届かなかったという。



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