「……桜の季節だな」
ぽつり、とつぶやかれた言葉に台所でぬかどこをかきまぜていたゆみこが反応した。
少しだけ思い悩む顔をして―――――眉間に皺を寄せて、小首をかしげる。
「せんぱい。言いにくいが、この戦争が行われているのは」
「言いにくいことなら言うな。若造のようになりたいか」
「いいえッ!」
背筋をぴんと伸ばすゆみこ。躾がとてもよく行き届いている。飴と鞭を上手く使い分けているのだろう。さすがせんぱいだ。
ちなみに若造、衛宮士郎は最近部屋から出てこない。彼のサーヴァントであるセイバーが言うには、襖を少しだけ開けて見てみたところ、壁に向かってぶつぶつと何か話しかけていたそうだ。一体彼がどんな目に遭ったか。
想像もつきません、とセイバーは言う。
“新手の精神攻撃か何かを受けたのでしょうか”
何となく思い当たる節のあるゆみこは、知らぬ存ぜぬを貫き通したが。
すまないセイバー。
私も、我が身がかわいいのだよ。
よく漬かったきゅうりと茄子を切り、小鉢に入れて居間で寝転がって新聞を読んでいるせんぱいのところまで持っていくゆみこ。
「口に合えば良いのだが」
「おまえの手製のものが口に合わんはずはない」
「せ、せんぱい」
「そうです! あなたの作るものはとても美味しい!」
赤主従は同じ動きで声の発せられた方を見る。
「? 何か」
「あ、その、何でも」
「何でもない。黙って食え」
「はい!」
金髪の美少女。衛宮士郎のサーヴァント、セイバーは笑顔で答えてぬか漬けを口に運ぶ。ぽりぽりといい音。んーと頬に手を当て心から幸せそうな彼女からは、マスターを心配する様子はかけらも見えなかった。
いやその。
先日までは、心配していたの、だけど。
ゆみこが声をかけて夕飯を口にしてからは、すっかり居間に入り浸るようになった。平たく言えば餌付けに成功したのだ。
ちょろいな、とはせんぱいの言。
「ところでせんぱい」
ぽりぽり、とぬか漬けを口にしながらセイバーがたずねる。
「サクラとは春の花のことでしたね? それは……美味しいのですか?」
「おまえは食い物のことばかりか」
「正直、聖杯よりも興味があるかもしれません。我ながら難儀なことです」
ぽりぽりぽり、とぬか漬け食べ食べセイバー。赤主従は複雑な視線を彼女に向けた。
ゆみこは仕方ないとため息をついて、緑茶を注いだ湯呑みをセイバーの前に置いてやる。
「桜、とは食用にもなるが観賞用の目的の方が多い。花見という行事があってな。満開の桜の木の下で弁当や酒を広げ大勢で騒ぐというなんとも朗らかな行事だ」
「な……なんと! そのような行事がこの世には存在するのですか!」
セイバーが瞳を輝かせて身を乗りだす。がたんと湯呑みが揺れたが大事には至らなかった。
「わたしはとても興味があります! ゆみこ、せんぱい、ぜひともわたしを……ハナミに連れていってはいただけないでしょうか!」
「だが断る」
「何故ッ!?」
「おまえが来ると明らかにわたしたちの取り分が減るだろう」
「つ、慎みます! ですから、……ですからッ!」
「慎んでようやく三人前のおまえが何を言う。身をわきまえろ」
「くっ! 〜ッくうううう……!」
半泣きである。
セイバー、涙目。
気の毒になったゆみこはせんぱいを膝枕しつつ、再度ため息をついた。
「せんぱい」
ささやきに、せんぱいが顔を上げる。
「なんだ? ゆみこ」
「私が腕を奮って十人前の弁当を作ろう。……だから、彼女も……」
「わたしに逆らうというのか」
「いや! いや、決してそういうわけではなくてだな!」
「なら誓うがいい。おまえのすべてがわたしのものだと。異論はあるまい?」
「わ……私は……せんぱいの、ものだ。すべて余さずせんぱいの所有するものに違いはない……」
「ゆみこ……」
セイバーがさらに目を潤ませる。だが、次のせんぱいの言葉に、その顔が喜色満面となった。
「やれやれ。そう躾けたのはわたしだが、簡単に口にされると案外つまらんものだな。……仕方ない。言ったとおり、腕を奮えよゆみこ。もし手抜きでもすれば……わかっているな?」
「せんぱい!」
「…………!」
セイバーとゆみこ、ふたりの少女の顔がぱっと輝く。
「あ、ああ、もちろんだともせんぱい!」
「わたしも約束します! 慎みます!」
「出来んことを口にするな」
「な! で……出来ます! わたしは剣士として、約束は必ず……!」
「そう熱くなるな。冗談だ」
「ふふ、これは一本取られたな? セイバー」
「そ……そうですね、ゆみこ」
つられてセイバーも笑みをこぼす。うふふふふ、あはははは。
あはははははは……。
朗らかな笑い声が響き渡る。
それが聞こえないかのように自室で独り暗くうつむいた衛宮士郎少年は、絶賛どん底中だったという。



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