私の名はアーチャー。弓兵のサーヴァントだ。性別は女。ここまで言えば戦いには向かぬと思われがちだが、なに。女戦士という存在も、伝承の中には多々存在する。私とて戦うために召喚された者。自分が劣っているという認識は持っていない。まったくもって問題はない。 ない、はずなのだ、が。
「なんだよ、サーヴァントって言ってもずいぶん小柄なんだな。こんなので聖杯戦争を戦い抜けるのか?」
このマスターは少々癖のあるマスターだった。年若き少年、顔立ちは甘め。きっと見た目で判断してぼうっとなる少女たちも多いことだろう。どこかの学園の制服らしきものを着用し、髪にはゆるくウェーブがかかっていた。
なにを触媒に私を召喚したのか。わからない。謎多き少年である。その辺りはあなどれないと思ってよかったが―――――まだまだ未熟だ。
サーヴァントを体格でランク付けするなどと。
「……心配はいらん。それになマスターよ。サーヴァントに関しては体格で力を判断すると痛い目に合うぞ。覚えておけ」
確かに私は背が低い。女……戦士というとこう、もっと長身ですらりとしたイメージがあるのだが、このようになってしまったからには仕方がない。
腕を組んで冷静に言い返した私にマスターはムッとした顔をすると、人差し指をつきつけて、
「ふん、なんだチビのくせに態度のでかい奴だな! ……胸もでかいけど」
「!」
ぽよん、と。
おかしな効果音が部屋に響いた。発生源は私の胸からだ。
私の顔につきつけた人差し指で、ついでというかのように胸をつついていったマスターはあからさまにニヤニヤしている。
こ。
この、たわけが……!
「へっ?」
間の抜けた声を上げるマスターの顔を抱えて、私は自らの胸の谷間に押しつけた。じたばたと暴れる様を忌々しく眺めながら、低い声でじっくりと、ひとことひとこと、区切るように言ってやる。
「地獄に落ちろマスター……!!」
こうして、私とマスターの聖杯戦争が始まったのである。
マスターの名前?それはまた、追々話していくとしよう。


マスターはことあるごとに私に命令をする。だが、令呪は使わない。もったいないと思っているのか、なにか策があるのか。―――――どちらにしろ私の能力を一時強化する効果もある令呪だ。温存しておいてもらえることに異存はない。
「おい、アーチャー! まだなのか?」
「もうすぐだ。……男子厨房に入らず。君のお爺様はそういう考えの方だと聞いたが」
「そうだけど? 料理なんて女がやるものだよ。いままでは桜が全部やってたんだけど、あいつ最近さぼりやがってとんずらさ。まあ、おまえがいるから別にいいけどね」
「だからもうすぐだというに。……エプロンの紐をほどくのはよしてくれないか」
「ん? ああ、つい。その変な格好でもエプロンつけてキッチンに立つっていうのはそそるものがある……」
「変な格好で悪かったな」
剣の代わりに包丁を鼻先につきつける。マスターは慌てて後ずさると、厨房から出ていった。よし。
包丁は聖なる料理器具だ。マスター殺しなどという物騒なことに使いたくはないからな。
トントンと機嫌よく材料を刻む。ふむ、鍋もちょうどいい加減だ。料理というのは実に楽しい。乱暴な召喚のせいか私にはところどころの記憶がないが、生前もこのように料理が好きだったのだろうか。ありえないことではない。
くるくるすとん。
「そのご自慢の指を落とされたいか、マスター」
「まままままさか! 僕のこのゴールデン・フィンガーがなくなったら全世界の女性たちが悲しむじゃないか!」
「ならばリビングに戻って本でも読んでいるといい。もうしばらくで出来る」
背後から忍び寄って、そっとエプロンの紐をほどこうとしていたマスターの手をつかまえて、まな板の上に乗せそう脅すと、彼は蒼白になりすたこらさっさと厨房から出ていった。
……頭が痛い。
「マスター。出来上がったぞ。マスター」
しばらくして、夕飯の準備が出来た。ご老体は用事があるとかで外出中、マスターの妹も外出中なので今夜は私とマスターふたりきりだ。いろいろな意味でアレなマスターだが、身の危険を感じたことはない。なにしろ私はサーヴァントだし、戦力に多大な差がある。
「マスター」
声をかけると律儀に読んでいたらしい本を閉じて、マスターは顔を輝かせた。
「なんだよ、やっと出来たのかよ? 待ちくたびれちゃったじゃないか」
「それはすまなかった。さ、早く食べるといい」
今日の夕飯はシチューとパンとサラダだ。マスターはいただきますとスプーンを手に取った。私はうむ、とうなずく。
このマスター、意外に礼儀正しい。見たところこの屋敷も立派であるし、おそらく良家の生まれであるのだろう。ひとり納得して私は、マスターが料理を食べ進めるのを眺めていた。
ちく、たく、ちく、たく、ちく。
洗い物を終え、残ったシチューをタッパーに詰めて冷蔵庫にしまうと私はリビングまで戻ってきた。いまどきテレビというものさえないリビングはしんと静かで、時計の針の進む音だけが部屋の中に響いていた。
マスターは先程のつづきか、本を読んでいる。私はその邪魔にならぬように隅へ行き、腕を組んで壁に寄りかかった。
瞳を閉じる。
ちく、たく、ちく、たく、ちく。
集中して、自分の内へ潜っていく。時計の針の規則正しい音と呼吸を合わせて―――――と。
「アーチャー」
瞑想を邪魔されたが仕方ない。私はまぶたを開くと、たったいま私を自らの内から引き戻したマスターに向かって問いかけた。
「なんだろうか」
「さっきは変な格好だなんて言ったけどさ。僕、おまえのその服装、結構好きだぜ」
「…………」
「どうしたんだよ、そんなに目を丸くしちゃって。まさか僕の魅力に」
「それはない。……ただ、素直に君に誉められたのは初めてだったから、少々驚いて」
マスターは悪い人間ではなかったが、なんというかその、素直ではなかった。私を誉めるときも遠回しに誉めることがほとんどだ。
だから、驚いた。
女であるから、服を誉められてうれしいとか。
そういったことではないけれど、この少年が素直にそう口にしてくれたのがなんとなくうれしくなって、私は口端に笑みを浮かべようとした。
「その聖骸布? っていうの? ロングスカートみたいでいいよな! きわどくスリットが入ってると超僕好みなんだけど、まあ、それは令呪で……いや、ゲフンゲフン。戦いでひらひらめくれるのもさぁ、チラリズムっていうの? これがまた……」
「―――――」
「アーチャー、僕は本当に最高のサーヴァントを手に入れたよ」
マスターは少年らしい笑顔でにっこりと笑う。
「マスター……」
私も、それにならってにっこりと笑う。
さて、仕置きの時間だ。
「理想を抱いて溺死しろ!」
また胸の谷間に顔を押しつけられたマスターはしばらくもがいていたが、やがて静かになった。ふうと私はため息をつく。
やっていけるだろうか、このマスターの元で。


「おい、アーチャー」
それから数日後。
懲りずに私を呼ぶマスターに、私はシーツを持ったまま振り向いた。太陽はさんさんと照り、まさに洗濯日和。出来れば邪魔してほしくないものだが。
「……なんだろうかマスター」
「よくも日頃、僕を馬鹿にしてくれたな。だけどそんな日々もこれで終わりさ!」
私はシーツをパン、と張る。
「なんだ? 嫌だったのか? それにしては悦んでいたではないか、マスター……」
「気持ちよかったのは嘘じゃない」
「…………そんな告白はいらなかったな…………」
知っている。
こういうのを、変態というのだ。
変態がマスターか……と少し遠い目になった私に、マスターは勝ち誇ったように叫ぶ。
「おまえの真名を突き止めたんだよ」
「!!」
―――――衝撃が走る。思わずシーツを取り落としそうになったが、慌てて物干し竿にかけて事なきを得た。
私の真名?私でさえ思いだせない、私の真名を知っているというのか、この少年が?
まさか。一笑にふしたくなる。けれど日々家事をこなしていて知ったことがある。この屋敷には、魔術書が大量に眠っているということを。もしやこのマスター、その中のなにかに記述を見つけて……?
「これでおまえは僕の言うことを聞かざるをえなくなる! 僕の勝利さ!」
いや。そういった効果があるわけではないのだが。
とりあえず、なにかの参考になるかもしれない。私は、息を大きく吸うとたずねてみた。
「―――――で? 私の真名というのは一体?」
「峰不二子」
「…………」
「…………」
「…………」
「正解☆」
「なわけがあるかたわけがああああ!」
例の仕置きをかましてやった。そのあとで、「気持ちよかったのは嘘じゃない」という告白を思いだして欝になった。
やらなければよかった。


「慎二、まさかおまえがマスターだったなんて……!」
そう、マスターの名は慎二というのだった。だが私にとってマスターの固有名詞は重要ではない。なのでこれからもマスターと呼ばせてもらうことにする。
マスターはニヤニヤとあの笑みを浮かべ、同じ制服を着た少年を高みから眺めていた。
ここはとある学園の屋上。なんとかは高いところが……という説のとおり、マスターも貯水タンクの上に登って少年を見下ろしていた。ちなみにかなりのへっぴり腰で、上にあげるのに苦労したことを記載しておく。
「そうさ衛宮! こんなに長いあいだ気づかないなんて、馬鹿なんじゃないの? それに遠坂まで騙されてくれるなんて……」
その言葉に少年の隣にいた少女がぎりり、と歯噛みする。その音が風に乗ってここまで届いてくるようだった。
なんという形相だろう。あの少女も戦士のたぐいか?そう思って見てみると、かなりの闘気を発している。少女だてらに猛者のようだ。
そのすぐ傍には、甲冑姿の少女がいた。一目でただの人ではないと見て取れる。あれはサーヴァント。
おそらく少年が彼女のマスターなのだろう。
「行け、アーチャー! あいつらを倒すんだ!」
「承知した」
私は剣を投影する。やっと、やっとまともな戦いが出来る。
いままで家事に子守りばかりで……いや、家事は嫌いではない、けれども……いいや、それはいい。いまは戦いに専念するのみだ。
戦闘態勢に入った私を見て、少女のサーヴァントが構えを取る。あの構え―――――剣の使い手、セイバーか!
結構だ、相手に不足はない!
にやりと笑った私を見て、制服姿の少女が己の体を腕で抱く。怯えを感じたのか。焦りを隠せない顔をして、その口を開いて―――――
「ちょっとなんなの、あの胸―――――いえ、宝具! めちゃくちゃだわ!」
は?
「危険です。下がってください、シロウ。ここはわたしたちが」
「あ、ああ」
つづくセイバーの言葉に急いで彼女の後ろに隠れる少年。シロウ、というらしい……マスターは衛宮と呼んでいたな。
と、するとあの少年はエミヤシロウという名なのか。
……なんだろう。
すごく、私の中から黒いものが。
「ガンド―――――」
「エクス―――――」
「ちょっと待った!」
少女は人差し指を構え、セイバーはまばゆく光る剣を大きく振りかぶり。一斉に攻撃しようとした瞬間、エミヤシロウの叫ぶ声がした。
「!?」
少女たちの驚愕が共鳴する。夜空の闇を打ち消さんとせんばかりの光が、それでふっと消えた。
「なんで止めるのよ、士郎!」
「血迷いましたかシロウ! 敵に情けをかけるとでも!?」
「あ……ああ、いや、そうじゃなくて、その、」
「なに。言いなさいよ」
「ああ……その」
何故だか赤くなって、頬をぽりぽりと指先で掻きながら、エミヤシロウは言った。
「攻撃したら破裂したりしないか? アレ…………」
「…………」
間。
「せんわ! たわけ! ってマスターもドキドキしながらつつこうとするものではない! そこの青い駄犬もだ! というか一体いつのまに現れた! さすが最速だな! ……ええい、この世は馬鹿ばかりなのか……!」
いらいらと爪を噛む私。何故か増えていたギャラリーは全員、期待と畏怖に満ちた目で私を、私の胸を見ている。というか、これは宝具ではない。間違えないでほしい。
ええい忌々しい。
いらいらと爪を噛む。
と、肩をぽんと叩く手があった。
振り返ってみれば、口に薔薇をくわえんばかりの勢いで白い歯を輝かせて微笑むマスター。
「ははは大丈夫さアーチャー! もし破裂したら僕がマウス・トゥ・マウスで息を吹きこんで元通りにしてや」
がつん、とその頭を剣の持ち手で打つ。
マスターは斃れた。
「…………」
「…………」
「大変……ですね、あなたも……」
「まあ……いつもどおりなので、気にせんでくれ」
セイバーの言葉に、私は額を押さえてため息をついた。そうなのだ、なにが問題かといえば、これがいつもどおりなことなのだ。
まったく、いろいろと計り知れないマスターを持ってしまったものだ。



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