「新年、あけましておめでとう」
アーチャー、と笑うその手には深い色味の液体を湛えたグラス。だが安心していい。ただのぶどうジュースだ。
この私の目が黒いうちは、未成年者に飲酒をさせたりはしない。
たとえそれがマスターでもだ。
美味しそうにそのジュースを一気に飲み干すと、マスターは私にも新年の挨拶を強要してくる。そうだな、挨拶というものは大事だ。
私は手にしたグラスを差しだし、マスターのグラスに合わせると音を立てて鳴らした。
澄んだ音が響き渡る。
「ふたりの前途を祝して……なんちゃってね……」
なんだかマスターがおかしなことを言っていたような気がするが、無視だ。いちいち彼の戯言に付き合っていたら日が暮れてしまう。
正月とてやることは大量にあるのだ。炊事、洗濯、掃除。
おせち料理も作らされたし。サーヴァントの身である私が……おせち料理だぞ……。
マスターが用意したいつものエプロンをつけて厨房に立って、黒豆を煮たり、栗きんとんを作ったり……。マスターは毎度のごとくエプロンの紐を引っ張り邪魔をしてくるし……。
ああ、いけない。
忘れたのだ、私は。忘れたのだすべてを。
新年になると同時に、だ。
そう、女性への大量の年賀状を書かされたことも……忘れて……。
…………。
覚えているべきだろうか?
「アーチャー? どうしたんだよ、新年早々景気の悪い顔してさ」
「君のせいなのだがね……マスター?」
やや機嫌悪く私が言うと、マスターはソファから身を乗りだした。鼻息が荒い。
「なんだよ、初仕置きでもするつもりなのか? まあ僕としては……」
「しない。しないから安心してくれたまえ、マスターよ」
私は素早く否定した。NO、仕置き。
マスターは残念そうにソファに戻った。ぶどうジュースを喉を鳴らし、ぐびりと飲む。
「ちえっ」
ちえっと言ったかこのマスター。
ちえっとはなんだ、ちえっとは。
まあ、かまわないことにした。マスターの言ではないが、新年早々騒ぎを起こすのもなんだ。
「ところでアーチャー、頼みがあるんだが」
「なんだろうか? おせちも作ったし年賀状も書いた。他に何かすることがあるとも思えんが」
マスターは。
どこから出したのか、私に向かって意気揚々と振袖を出してきた。
一式全てを、一体どこから……!?
「マ、マスター」
「アーチャー……わかってるんだろう?」
マスターのこの表情!
この表情に稀有な才能を感じ取った時期もあったな。そういえば。
今では前振りなのだとわかる。わかるのに、体が強張るのは何故なのだろう?緊迫感を感じてしまうのは、一体。
何故、なのだろうか。
「これを着て僕と初詣に行くんだ!」
「マスター……忘れているかもしれんが、私はサーヴァントだぞ?」
「? わかってるさ。僕の使い魔だろう? なんでも言うことを聞く」
「ちょっと待て! まずそこに認識の間違いがあるようだな。改めようかマスター」
「違うの……?」
「脂汗を垂らしながら真顔で言うな!」
サーヴァントにも自由を。
マスターはくっと唇を噛むと。
テーブルを蹴倒して、床にひっくり返ってじたばたと駄々っ子のように暴れだした。
なんてひどい―――――なんて、なんて……!
「なんだよケチ言うなよ! いいじゃんかよ着ろよ! せっかく僕が通販で用意したんだぞ!」
「また通販かね君は! まともに買い物が出来ないのか!」
「いいじゃんか通販。カードでさくっと買えて便利なんだぜ!」
「だから君は後々小遣いが足りなくなって泣きを見るのだよ! ご利用は計画的にとテレビでも言っているではないか!」
「そんなの聞いたことありませーん!」
「君は子供かね!」
「年齢的には子供ですうー!」
「くっ……!」
こういうときだけ子供を主張!憎たらしい!
「……言わせてもらおう、マスター。着物はだな。……その。私のような胸だとな。みっともないのだよ」
「甘いなアーチャー。そんなこと僕が知らないとでも?」
またも真剣な表情で言うマスター。ちなみに床にひっくり返ったままだ。相当、格好悪い。
私は黙って手を貸し、起こしてやる。特に逆らわないマスター。彼のプライドはどこへ行ったのだろう。
「だからいいんじゃないか!」
「何ッ―――――!?」
「だからいいんだよアーチャー! おまえのその砲弾みたいな胸がさらしかなんかでぎゅうぎゅうに押さえつけられてるっていう、その倒錯感がいいんじゃないか! あーあやっぱりおまえはなにもわかってないなあ! 仕方ない奴!」
「その最後の言葉そっくりそのまま返そう、マスター」
仕方ない奴。
本当に。
「いいじゃんかよおまえサーヴァントだろ!? 僕のサーヴァントだろ!? 着ろよ! この僕の前でその変な服脱いで全裸になってから恥ずかしそうに着てみせろよ! 着物は下着つけないんだぜ!」
「そんなことは関係ない! サーヴァントに過剰な要求をしないでくれたまえマスター! それにだな、私にそんなことをさせて一体どうするつもりなんだ君は!」
「ふん……聞きたいのか?」
前振りが来た……!
マスターのこの表情!以下略!
「いいよ物知らずなおまえにも教えてやろうじゃないか! 日本には“あ〜れ〜お代官様お許しを〜”っていうプレイがあって」
「理想を抱いて溺死しろ!」
初溺死。
めでたい(頭の中味のマスター)という意味もこめて、いつもより長めに、力強く胸の谷間に押しつけてやった。
ちなみに私だってそれくらい、聖杯から授与された知識によって知っている。
「……ん?」
とぷん、と奇妙な感触。
マスターの毛髪を掴んで顔を上げさせてみれば、鼻血を垂らしていた。
そして私の胸の谷間に、血の池。
私はため息をつき、ひとりつぶやく。


「私の肌が白ければ紅白だったのだがな……」


「余裕だなおまえ」
マスターが小さくつぶやいたが、私は聞こえないふりをした。



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