「マスター」
私はソファに埋もれながら読書をする彼の傍に近寄っていって、後ろ手に隠した箱を差しだした。
彼は「ん?」という顔をしてみせて、受け取ろうともせずに、けれどもどこかそわそわとした顔で私に向かってたずねてくる。
「ア、アーチャー。何だよこれ? 僕に受け取ってもらおうってならはっきりと」
「君のために用意した。是非とも受け取ってほしい」
まったくのまるっきり、棒読みで“台詞”を“読んだ”ような私の言い様にも彼は気にすることもなくがっしりと箱をラッピングの紙に皺が寄るほど受け止めて、テーブルに足を乗せて高らかに吼えた。うおおおおお、と咆哮した。……そんなに雄々しい彼の姿を、ついぞ私は見たことがなかった。
「よっしゃあああああ勝った! 僕は勝った! 勝ったね! イエーイ勝ち組! 人生勝ち組じゃん!? マジイケてんじゃん!? ていうか、バレンタインデー・キッスじゃん!? いいからほらアーチャー、キスミーベイベーキスミーほら早く!!」
「いや、済まないがそれは御免被る」
「ならそのロケットおっぱい揉ませろ!」
「もっとひどくなっている気がするのだが……」
やはり甘やかすべきではなかったか。
二月十四日、聖バレンタインデー。以前彼に対しチョコレートを渡さず大いに拗ねられごねられむくれられた私は、今年こそと一年発起して手ずからチョコレート菓子を作り彼に手渡したのだが、この様である。やはり子供は甘やかすべきではなかったのではないかと今になって思う。名も知らぬそこの君の意見を知りたいが、いかがか。
「いやーどんなチョコかな! アーチャーのロケットおっぱいをかたどったおっぱいチョコかな!? いや、でもだったらこんな小さな箱なんかには入りきらないよな! でもまさかってことも」
「ない。絶対にないから、安心していいぞマスター」
というか、おっぱいチョコとはなんだ。そんな下品なものを私が作ると思っているのか。……おっぱいチョコ……高校生の発想ではないぞマスター……。
「ついでにウイスキーボンボンでもない。君は甘酒でも酔える素質を持った逸材だからな。洋酒は一切入っていないよ」
「なんだあアーチャー、そんなに僕のことを褒めてくれなくてもいいんだぜ!? いやもっと褒めて、むしろ褒めろ! 令呪をもって命じたっていい」
「君は心底馬鹿だな!!」
あ。
言ってしまった。
けれど運良く浮かれたマスターの耳には届いていなかったらしく、彼はまだテーブルの上に足を乗せて吼え狂っている。行儀が悪いので、出来ればでなくてもやめてほしいのだが。食事をする場所だし、そこは。ソファの上でなら思う存分やってくれ。思う存分モフモフしてくれ。
――――というか、彼と契約を交わしてもう一年経ってしまったというのが地味にショックだな。いや、一年……なのか?
そこで私は考えるのをやめた。思考停止は時に必要だ。じぶんにやさしく。
「なあ、開けてもいいかアーチャー!?」
「あ、うん? 君に送ったものだ、好きにするといい」
「よっしゃあああああ!!」
また吼えると彼はビリビリとラッピングを剥がしだす。あ……それは結構丹念に包装したものだったのが……まあいいか。浮かれているのだろうし。
「お? おお? 何だか甘い匂いだぞ? この匂いは……チョコだな!」
「バレンタインなのだから、チョコ以外に何が……」
「うんうん、これは間違いなくチョコだ! チョコだな! 間違ってもカレールーとかじゃない!」
いや、カレールーはないだろう。常識的に考えて。ハイになりすぎだ、マスター。
未だ雄々しく彼は箱を開けると、「おおおお……」と低い声で唸った。そんな声を出せるのか、というほどの低音ボイスだったので少し驚いた。
「トリュフ! しかも普通のと苺のと抹茶のと!!」
「いわゆる三色パン――――ではないがね。目に楽しく、というのもいいかと思って取り入れてみたよ」
箱の中味をためつすがめつしていたマスターは、キリッ、とこちらを向いて。
「食べてもいい!?」
「あ……うん」
どうぞ、となんとなく薦めてしまう。すると彼は目をキラキラと輝かせてどーれーにーしーよーうーかーなー、などと歌いだしたので、私は思わず噴きだしそうになってしまう。なんて――――なんて、らしくなく無垢……!
「よし! 君に決めた!」
やっぱり最初は定番だよね!と言ってマスターは曰く普通の、ミルクトリュフを摘まみあげた。そしてあーんと口を大きく開けて、


ぱくりっ。


「…………!」
「!?」
じたばたじたばた。
突然今までテーブルの上に足を乗せていた彼がソファの上にダイブして悶えだしたので、私はびくりとしてしまう。だが、すぐにそれは杞憂だったと知る。
「美味い……! うーまーいーぞー!!」
「そ……そうかね?」
それはよかった。
そう言うしかない私の前で、彼はにまにまと笑み崩れている。……なんだ。
そんな顔も、出来るんじゃないか……。
「アーチャー!」
「うん?」
「今、僕にときめいただろう!?」
「いやそれはない」
キュンと来ちゃっただろう!?などと言うので思わず真顔で首と手を横に振ってしまった。いわゆる“ないわー”である。
けれど彼はそれを無視して、クッションを抱えてソファの上でゴロゴロしている。その様は実に幸せそうで、その、なんだ。
たまにはこんな遊びも、いいのではないかな、なんて思ってしまった保護者心であった。
「この調子でホワイトデーにはクッキー焼いてくれよ!」
「いや、君が返す立場ではないのかね?」
……うーん。



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