「―――――日頃見えるもんが見えないってのはどんなもんなんだ?」
オレにはわからねえからな、と問う声が聞こえる。それにはなにも答えられない。男が喜びそうなことしか言えないだろうから。
柔い布の目隠しは、激しく動けばすぐにほどけそうだった。だが、自分はそのままでいる。じっと。
逆らわないでいる子供のように。
確かに視界が闇に閉ざされているということはそうないから、不安ではある。まったく見えないというわけでもないのだけれど、それは言わなかった。それも、言わなかった。
「なあ、」
男が肩に触れてきた。背後からぽん、と軽く叩かれる。それに体が過剰反応した。
「―――――ッ」
悲鳴を上げかけて、慌てて口元をおさえる。
「?」
不思議そうな気配。闇と布の皺が見える中、荒げそうになった息を必死に静める。
「どうした?」
男の声がする、そして気配。とっさに叫んでいた。
「触れるな……!」
男の手が止まるのがわかる。すれすれのところで、止まっている。きっと瞠目しているのだろう、そんな気配がした。
「アーチャー、おまえ」
男は言った。
「そういうことか」
にやり、と笑う気配がした。かと思うと首筋に指先が触れる。今度は堪え切れなかった、口から悲鳴が上がる。
「……あ……!」
ぞくぞくぞく、と体が震える。上から下へ、下から上へ、撫でるように動く指先。弄ばれている、と感じて必死に逃れようとしたが混乱した頭では上手く行かない。
「やっぱり、そうか」
「違う―――――!」
「嘘つかなくてもいいんだぜ」
「違う、違う、違う、違う、っあ……!」
悲鳴は嬌声になってこぼれた。知られてはいけなかったのに。
「なあ、アーチャー」
優れた視力が封じられたせいで、他の感覚が鋭敏になっているなどと。
「……苦しい、だろ?」
いっそやさしい男の声が吐息と共に耳の中に吹きこまれる。
「楽にしてやるよ」
抱きしめられて身悶える。てのひらを様々なところに這わせられるだけなのに、明らかに普通ではない声が出た。男の手の温度、大きさ、指の関節、いろいろを敏感に感じ取ってしまう。
「や、め、ランサー、」
「やめてやらねえ」
ふう、と吹きこまれる吐息。じわりと生理的な涙に目を覆う布が濡れた。男は首を伸ばし、頬にくちづけてきた。そして、そのまま顔を覗きこまれる気配。
「おまえ……今の自分の顔、見たら驚くぜ」
笑う声。
「とろとろに蕩けただらしねえ顔してやがる―――――ああ、そうか、」
そこで意図的に言葉を切って。
「見えねえんだったな?」
意地悪く、告げた。
「……ランサー!」
抱きこまれて、触れられて喘ぐ。大きな手、熱い、熱い、熱くて、もう。
―――――達して、しまいそうだ。
「―――――!」
びくん、びくんと体が震える。最後の悲鳴は懸命に歯を食いしばって堪えた。もっともみっともないことは、堪えられなかったので。
「……お」
くたりともたれかかった男の体は手に比べて少し体温が低いような気がする。それは、自分の体がひどく火照っているからだろうか。
「ラン、サー、外して、くれ」
「なんでだ? せっかく……」
「君、の顔、が。見えな、い」
楽しいことを見つけたのに、という男の声はそこで途切れた。
ああ、下肢が濡れて気持ちが悪い。こんな馬鹿げたことはすぐにでも終えて風呂にでも入りたいものだ。
けれど、男はきっと風呂にも入ってきて邪魔をするのだろう。おそらくふしだらなことも。
いたずらな、男だから。
……今度は、目隠しを外されて詳細にどうこうと言わされるのだろうか、と思いながら、ゆっくりと解かれて行く布の感触を何故か惜しいと思った。
明るい光が隙間から差しこんでくる。目が、いたい。
さらりと頬に絹糸のようなものが触れて、沁みるような青にそれが男の髪なのだと気づいた。久々の外界の光よりもその青さの方が目に痛かった。あまりにも鮮烈で、あまりにも。
うつくしかった、から。
「ん」
覆われるようにくちづけられて小さな声が漏れる。ねっとりと敏感になっている舌に舌を絡められて意識を手放しそうになるが、そんなみっともないことは死んでも―――――死んでいるけど―――――避けたかったのでなんとか堪えた。好き放題にされて少し悔しかったのもあって、されるがままにだけではなく自分からも仕掛けていく。
臆病で醜悪な動物たちがやっと誰にも邪魔されない逢引の場所を見つけたかのように、ふたつの舌は熱心に熱烈に絡みあう。
「う、ん……ん、ふ、」
「…………」
水音。
聴覚。
ぬるり、ざらりと絡む粘膜。
触覚。
それらが敏感になった体全体を怒涛のように刺激して、嘲笑うように責めたてる。
内腿をつう、と自身の残滓が伝ったときには、声にならない喘ぎが男の口の中に吐きだされた。
もはやどちらのものかもわからなくなった唾液が口端を同じように伝うと、男が唇をわずかに離して赤い舌を出し、それを舐め取った。それからゆっくりともう一度下から上へと肌を舐め上げて、近づきすぎていた顔を離すとじっと見つめてくる。
「…………?」
怪訝に荒い息をついてその顔を見ていると、男はふてくされた子供のような口調で、しかし笑って。
「オレの顔が、見たかったんだろ?」
ぽかんと目を丸くしてしまう。そういえば―――――夢うつつに、そんなことを口にしたような。
「ああ、そうだった」
「で、どうだ」
「……どうだ、という……と?」
「これだけ間近で望みどおり、じっくり見た感想だよ」
男はやはり子供のように意地悪く笑っている。だから、せいいっぱい同じように笑ってみせて。
「目の毒だ。害にしかならんよ」
整わない息のまま、ひといきにそう、告げてやった。


男は。
精悍な顔つきが嘘のように間の抜けた顔をすると。
「―――――ひでえなあ」
口にした抗議とはうらはらに、くしゃりと笑み崩れてそんな風に言ってのけた。
そう、でも。
それが本心なのだからしょうがない。
闇しか映さなかった視界に突然飛びこんできたうつくしい男は、自分にとって目を潰しかねない毒でしかなかったのだから。
まぶしい光は目を潰す。それと同じだ。
ひかり、ひかり、まぶしいひかり。
それが素晴らしいものだとは、限らない。
自分はそれを、身をもって知っている。



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