黒い泥濘の中は様々な負の要素で満ちている。
「――――は、あ」
白く冷たい指先が緩く、愛撫とでも勘違いするかのように淡く首を絞める感覚はそれを上回る暴力よりも不愉快だ。苦しまぎれに吐いた生ぬるい息が目の前の頬を湿らせ少しだけ人のようにするが、次の瞬間すぐに我に返ってぎりぎりと奥歯が軋んで割れそうになる。
まだか。
まだか、と、語りかけてくる金色の瞳。まだおまえは達しないのかと、まだおまえは死に達しないのかとただただ純粋な問いかけを視線の上に乗せて語りかけてくる。かつては赤々と生命が彩っていた瞳から覇気などといったものはもはやあっさりと消え失せ、その事実がたまらなく悔しい。
切り裂かれた概念武装、素肌の上で泥が遊ぶ。ある意味規則正しいその動きに眩暈がした。ぞくぞくと震えて感じ入ってしまう。
ぎりぎり残った布の下、欲望が緩く勃ち上がっているのがわかる。それが、ひどく、恥ずかしい。
「まだ、生きているのか」
これではマスターに不評を買うな、とつぶやく平坦な声は静かで、優しいなどと勘違いしてしまうくらいだ。
そんなことはあってはならないのに。
「まだ……」
言いかけた口が止まる。「だ」と軽く開いた口が前触れもなく迫ってくる。反射的に見開いた目もそのままに、唇を奪われた。
表面を軽く合わせてから、口端を舐めて喉を鳴らす。何度も赤い舌が口端を行き来して、それから。
目元に落ちてきた唇に半ば呆然として、「……何故」と問うと、


「こうしないといけないような、気が、した」


平坦な声も口調も変わらない。姿も何ひとつ変わらない。髪や概念武装の色は暗く沈み、赤だった瞳は金色に。死蝋のように白くなった肌には赤い紋様が這い回る。
もう、後戻りなど出来はしないと見せつける姿。
それなのに、どうしてそんなことを。まさかと思ってしまうようなことを。
「……君は、二度と私の元へは戻ってなど来ないくせに……!」
滲んできた涙を舐め取りながら、その口で告げられた言葉は。


「オレの主はマスターだけだ。おまえではない」
的外れな、感情を一切失った者の返答だった。




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