夢を、見た。


「私は干将」
男が言った。
「私は莫耶」
女が言った。
それは、自分が使う武器の名前だった。だから咄嗟に夢だと思ったのだ。
騙るにしてもまさか武器の名などを、騙る物好きはいないだろうと。
「君たちは何を言っている……?」
「私たちは貴方に仕える武具」
「私たちは対であって初めて意味を持つ物」
「私たちに貴方が意味を与えてくれた」
「私たちに存在する意味を与えてくれたのは貴方」
男と女が交互に喋る。その声はひどくぼんやりと耳に届いて、さながら薄い膜を一枚隔てたかのようだった。
「だから私たちは貴方を愛する」
「だから私たちは貴方を憎む」
「憎悪し」
「愛する」
「それ、すなわち同義」
最後だけは男と女が声をそろえて言って、それだけはやたらと他の言葉よりうわんうわんと耳に響いて頭をも揺らすのだった。
干将、莫耶。
それは自分が使う夫婦剣の名前。刀鍛冶と、その妻の名を付けた物。
それはやけにしっくりと自分の手に馴染んで、時折自分の一部なのではないかと戦いの最中であるというのに錯覚するほどだった。
――――そのとき、背筋を走ったのは怖気に似たもので。
「私たちは対なる物」
「私たちは離れてはいけない」
「貴方が私たちを引き合わせてくれた」
「貴方が私たちを引き合わせてしまった」
「これ、すなわち名誉であり咎なり」
また男と女が声をそろえる。またうわんうわんと頭が揺れた。
「私たちは互いを愛する」
「私たちは互いを憎む」
「私たちは主である貴方を愛し、そして憎む」
うわんうわん、と子供が泣くように頭が揺れる。まるで火がついたように泣く子供。
ああ、そういえば。
干将と莫耶の伝説では、妻が剣を完成させるために燃え盛る炉に身を投げたのだっけ。
「貴方に快楽を」
「貴方に苦痛を」
「これ、すなわち同義なり」
「それ、すなわち意義なり」
そこだけは後半の台詞を奇妙に被らせて、男女が喋る。奇妙にずれて、重なって、しかし決定的にずれて。
「貴方は何を求めるなりや?」
「貴方に与える物は私たちが決める」
「貴方だけに私たちの全てを」
「貴方の生殺与奪の権利は私たちが握る」
「貴方の」
「貴方の」
「貴方の全てを私たちに、私たちの全てを貴方に」
うわんうわん、頭が揺れる揺れる揺れる。不快であるような、そうでないようなおかしい夢だ。さっさと終わってくれないものか。
そう思ってみても、夢はなかなか終わりはしない。
男と女たちは手を取り合い自分を見つめてくる。美しく整ったその表情。そこに神がかったものを感じて、背筋にあの怖気が走るのを、自分自身はどこか遠くで感じていた。
「与える」
「奪う」
「どちらでも選んで構わない」
「どちらを選ぶ権利さえない」
「貴方が決める」
「私たちが決める」
「いいえ」
「はい」
「全ては、貴方の思うが侭」
うわんうわんうわん。頭の中で子供が泣く。いや、これは女の声か。それとも妻を失った男の声か。うわんうわんうわん。とにかく頭の中で誰かが泣いている。誰だ。これは誰だ。そして自分の身に触れようとしている手は誰の手だ。
「貴方に」
「快楽を」
礼装が、ゆっくりと剥がされていく。
「貴方に」
「苦痛を」
まずは胸元の紐をほどかれた。
「貴方に貴方に貴方に貴方に」
「貴方に貴方に貴方に貴方に」
声が重なってずれる度に、体から礼装が一枚、また一枚と剥がされていく。それを止めようとする意思はない、何故なら自分の意思は、ここではなくどこか遠いところからこの光景を見ているのだから。
「快楽を」
「苦痛を」
「どちらが欲しい?」
「どちらもあげない」
「望めば与えよう、必ず」
「望んでも与えられない、決して」
はさり、と最後の赤い礼装が剥がされて、体を覆うのは黒い鎧だけになる。露出した肩が寒々しいと――――そこだけはやけにはっきりした意識でそう、思った。
「全ては貴方次第」
「全ては私たちが握る」
「さて、どちらがいい?」
「さて、どうしよう?」
蛇が這うようにてのひらが触れてくる。鎧の上からだったがそれはひどく生々しく肌をいたぶり、背筋に再びあの怖気を呼び覚ました。てのひらはよっつ。男と、女のものだ。
「貴方の肌は熱い」
「貴方の心臓は冷たい」
「貴方は生者」
「貴方は死者」
「私たちは?」
男と女が声をそろえる。
「私は干将」
「私は莫耶」
男の指先が危うく首筋を撫で、女の指先は鎧の上から胸元をまさぐる。
「私たちは、どちらでもありどちらでもない」
男と女が声をそろえる。
「私たちは有であり、また無である」
男と女が声をそろえる。
まるでその度に鎧までもが剥がされていくような気がして体を捩ろうとするが上手く行かない。意思はどこかで寝ぼけている。
どこかで寝ぼけて、こんな珍妙な夢を見ている。
やがて体から全てが取り去られた――――気がした。
全裸にされてとっくりと体全体を舐め回すように見られている錯覚を感じるが、それさえも怖気に繋がるだけで羞恥には繋がらなかった。
「与えよう」
「奪おう」
「どちらにしよう?」
「貴方が決めて」
「私が決める?」
「私が決めよう?」
「それでは共に」
「夫婦なる者、常に共に」
「――――ッ!!」


最後に漏れたのは、自分の放った嬌声だった。


男と女の合わさった声を聞いた瞬間、つむじから爪先をぞくぞくぞく、と言いようもない快感が駆け抜けて行き、堪えようもなく声にもならない声を発していた。吐精に至るほどの強い快楽が体を叩く。全身をまるで雪崩れのように叩いて駆け抜けていき、めちゃくちゃにしていった。


「私たちは貴方の剣」
「私たちは常に貴方と共に」
男と女の声が聞こえる。
それを絶頂直後のぼんやりとした意識で聞きながら、ふわりと意思を覆っていた膜が剥がれていくのを感じ取っていた。悟っていた。
ああ、この夢はもうここでおわりだ。おしまいだ。
「それでは、またいつか」


「我らは常に、主と共に!!」


しゃりん、と鈴の鳴る音がして。
そして――――目が覚めた。


ばっ、とまずは体を起こす。そうして次は自分の置かれた状況を素早く確認した。場所は衛宮邸の屋根。今は見張りの最中。時間は夜。数日前に敵サーヴァント・ランサーと戦闘。また、同様に敵サーヴァントであるセイバーと遭遇・戦闘になるがこれを中断。
そこまで状況を理解して――――。
はて、自分は何故そのようなことをしたのだろうと思い当たる。考えてはみるが、これといった理由が思い浮かばない。
見張りの最中にうたた寝まがいのことをしたのはマスターに知れればとんでもない叱りを受ける失態であるが、わざわざそれを自分から彼女に言うほど愚かではないと自覚しているし。
それでは、自分は何故。
「…………」
考えて、どうでもいいことだとその考えを自分は打ち消した。今は置かれた状況を把握し、最優先である任務に殉じるべきだ。
すなわち闇に乗じて敵サーヴァントが襲ってこないかの見張りである。これをこなしていれば自分に災難はふりかからない。幸い、今は敵の気配もないことだ。
しっかりと腰を据えて、任務に勤しもう。
そう自分の中に一本の芯のようなものを通して、どっかりと屋根の上にあらためて腰を下ろす。庭に意識を飛ばしつつも、ふと空を見上げてみた。
ふと。
何か、夢を見たような気がしたが――――。


サーヴァントである自分が夢など見ることはない、と次の瞬間そんな考えは虚しく意識の外に放り出されていった。




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