「……よお」
「ずいぶん早いな。この分では待たせてしまったかな?」
童顔でそんな言葉遣いをするのは似合わないとランサーは思う。あと、その胸も。
いや別にそれはいいんだけれども。だけれども!
“午前二時に、三丁目の田中さんの家の屋根の上で待ち合わせ”
……そんな酔狂な呼びだしをかけたのはランサーだ。昼間、衛宮邸の屋根の上でこっそりとアーチャーに告げた。
アーチャーはさほど気にもしない様子でふむ、と軽くうなずいた。
“わかった”
わかったっておまえ、いいのか。
夜中にオレとふたりきりなんだぞ。場所は坊主んちから離れてて、マスターの嬢ちゃんも大声上げたってすぐには助けに来ちゃくれねえんだからな。
よっぽどその細い肩をつかんでそう言ってやろうかと思ったけど、それで至近距離で揺れる胸なんて目撃してしまった日には自分がどうなるのかわからない。それに近くであの花のような甘い香りを嗅いだら自分が以下略。
自分で自分がわかりません。
恋に溺れて揉まれて沈んで。
恋だなんて笑っちまうと思ってたが、とランサーはひとり内心でつぶやく。青い青いとからかっていた青少年士郎を今は笑えない。
「ランサー」
「!」
しっぽがびょいんと逆立つ。
「―――――」
息を吸って、吐いて。
振り向いた。
ちょこんと。
小さな女が、下手をすれば少女が、ランサーの腕に褐色の手を添えて上目遣いに彼を見上げていた。
「―――――ッ」
こ、の。
「……なんだよ」
「いや、様子がおかしかったものだから。調子でも悪いのかと」
「悪くねえよ」
「そうか?」
「ああ」
胸を張ると、ランサーは力こぶを作るように腕を曲げてみせた。おまえにゃできねえだろ、といっぱいいっぱいで笑ってみせて。
「なんなら触ってみるか」
「……いや、それはいい」
ですよねー。
よかったー。
アイルランドの光の御子がなんたる様だろうか。だが仕方ない。見逃してほしい。“それでは言葉に甘えようか”だなんて言われてぺたぺたと体をアーチャーに触られた日には以下略。
今のランサーは本当にいっぱいいっぱいだ。自分でアーチャーを呼びだしておきながら、なんでオレこんなことしちまったかなー、早まったかなー、とか思ったりしてしまったりしている。
胸の前で腕を組んでいつものポーズ、不思議そうに首をかしげるアーチャーから不自然に視線を逸らしてランサーはあのよ、と無意味に組んだ指を遊ばせた。
「坊主にゃ見つからなかっただろうな?」
あいつ、オレたちの付き合いにいろいろうるせえからな。
まるで親父気取りだ。
はは。
無意味にさわやかに笑う。
アーチャーは案の定むっとした顔をすると、
「私がそんなへまをすると思うか」
「ああ、しねえよな、しねえしねえ」
ははは。
「ただ……その」
「…………」
「凛、には、その、出くわしてしまって、その」
「…………」
「こんな夜更けにどこへ行くのかと」
「……言ったのか」
ぎぎぎ。
壊れかけたブリキの玩具だってこんな音出したりしない。
そんな音を立ててランサーは首を動かし、アーチャーを見た。
するとアーチャーは焦ったように手を振りながらいやその、と口ごもる。
「おまえ言ったのか。嬢ちゃんに言ったのか!?」
「あの……その」
「頼むはっきり言え、言ってくれアーチャー! オレの一生の頼みだ!」
あの少女に知られたら、サーヴァント生命もそこでおしまいだ、な気がする。とにかくあのあかいあくま(士郎・談)に知られてはいけない。
「い、言ってない」
「本当か」
「ほ、本当だ」
「その誓い、確かかアーチャー」
「た、確かだ」
「よし」
なんだかいちいち口ごもるのが気に食わないが、言わなかったのならそれでいい。うん、それでいい。
「ランサー……痛い」
「あ?」
痛いってなにが。
そう言いかけて、ランサーは腕の中のやわらかな感触に気がついた。白い髪。赤い聖骸布。かっしょくのはだ、
「―――――うおい!」
鋼色の瞳が丸く見開かれている。
抱きしめられていたのを突然引きはがされればそうなるだろう。ぱちくりとまばたきをする顔を視界におさめながら、ランサーは必死に深呼吸をして鼓動を整えていた。
だらしねえ。
だらしねえぞ、オレ。
「……君になら、いいのに」
必死に深呼吸しているというのに、ぽつりと聞こえた声にさらに胸が暴れる。
おまっ、この、こっちがせっかく、ていうか抱くぞ!本気で!
なんて言ってもやはり“君になら”なんて言葉が返ってくるだろうから、ランサーは自重した。本当に自分が以下略です、どうもありがとうございました。
暴走する最速のサーヴァント。
ある意味バーサーカー。
もう狂化したらすべてが楽になれるのではないかとランサーは最近、常に思う。
「それで?」
「……は?」
「は? ではなくて。このような時間にわざわざ呼びだしたということは、なにかあってのことだろう? 用件はなんだね」
「―――――あ、え?」
やべえ。
なんにも考えてませんでした。
用件とかなくて、ただ、だらだら喋ってこの八方ふさがりな状況を少しでもなんとかできればなー、と、思ってたんですけ、ど。
あー、墓穴?
ですねー。


ランサーは冷や汗を流しながら無理に笑うと、眉間に皺を寄せたアーチャーに向かって親指を立てた。
「とりあえず……映画でも見に行くか?」


冷たい風が吹く。
そっと目を逸らし、告げるアーチャー。
「レイトショーも……終わっていると思うが」
うるせえよおまえのためなら止まったフィルムだって回してやるよ、と。
ランサーが言ったかどうかは、定かではない。



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