アーチャーは呆然とつぶやいた。
「なんでさ」
素に戻ってしまっていた。まあそれも仕方ないとは思う。だって彼の頭には猫の耳。臀部には、猫しっぽ。あまりにもテンプレ的なネコミミモードだ。白い毛に内側はピンク。ときどき感情が揺れるのか、細かく動く。効果音をつけるなら“ぴるる”辺りだろうか。結構、よく動くのでかなり動揺しているのだろうと見て取れた。
「まあ、落ち着けよアーチャー」
「どうして君はそんなに落ち着いているのだね」
「……なっちまったもんは仕方ねえっていうか……仕方ねえだろ。それなりに困っちゃいるし頭にも来てるが、まあ次の満月までの辛抱なんだろ?」
それに、とランサーは笑った。
「感染源はおまえだしな」
え?
それってどういうことですか、と難を逃れた衛宮邸の面々が口に出せずに思う中、アーチャーは真っ赤になってランサーの口を塞いだ。
両手で力いっぱい押さえて言葉も呼吸も生命活動も止めんばかりの勢い。ふー、と毛を逆立てている。もともと逆立っている髪になぜか細かい雷のようなものが見えた。
静電気だ。猫の毛はやわらかく、ちょっとした摩擦で静電気が起こりやすい。豆知識である。
…………さて。事の発端はなにかというとお約束の通り英雄王(小)の仕業である。あんなこといいな、できたらいいな。のネコ型ロボットのごとく様々な不思議道具を持った彼は、ある日紅茶を持って衛宮邸に遊びにやってきた。新月の日に。
思えばあれが企みだったのだ、とアーチャーは苦々しげに語る。
『ギルガメッシュ』
『こんにちは! 今日はお土産を持ってきました。珍しいお茶なんですよ? 皆さんで、ぜひ』
『ふむ。では三時を待って淹れることにしよう。ちょうどマフィンを焼いた…………』
『あ、残念ながらボク用事があるんです。なのでこれだけ置いて失礼します』
『そうなのか』
そうなのか、じゃない。
疑え。疑ってかかれ。相手は縮んだとはいえあの曲者の英雄王だぞ。と、数時間前の自分を叱咤してみてもまさに後の祭りだった。そう。これはまさに祭りのような光景だった。
ぴんと立った立派な耳と、ふさふさした尻尾を器用に別々に動かしながらランサーはしみじみと言う。
「いやあ。おまえ、相変わらず子供には弱いんだよな」
「言うな!」
「だってよ。オレがギルガメの薬でうっかり子供になったときも―――――」
「言うな!」
「いたたたたたた」
涙目になって痛い痛いと訴えるランサーに、あーあ、と回想する衛宮邸の面々たち。確かにアレは。士郎は生暖かい笑みを浮かべ、凛はニヤニヤと笑う。桜は回想に浸り、セイバーはマフィンを頬張りながらうなずき、ライダーは本を読んでいる。
“正しい猫との暮らし方”。
痛い痛いと繰り返すランサーを台所へ引っ張っていって、アーチャーは小声でまくし立てるように言い放った。うっすら羞恥に赤らんだ褐色の肌と白い猫耳しっぽのコントラストが素晴らしい。白い髪から実に自然に生えている耳は、始終ぱたぱたと動いていた。
「いいか、余計なことは言うな。特に小僧と凛とセイバーにはだ」
「了解ー。……おまえも余計なことすんなよ」
「君が仕掛けてきたんだろう!?」
粘膜感染。
どうやら今回の薬はあっけなく他人に感染するものらしく、ランサーはその被害をこうむった唯一の人物だった。まあその……被害、といってもランサー自身はあまり気にしていないし、むしろ楽しそうなものなのだが。
一時間ほど前のことだ。ちょうど全員が居間にそろい、アーチャーはギルガメッシュが持ってきた紅茶を淹れに席を立った。すでに大判焼きをぱくついているセイバーのために日本茶を用意しておいて、速やかに台所へ向かう。茶葉はいかにも珍しい色をしていた。そこで気づくべきではあったろうが、アーチャーは真面目に茶坊主としての任務に燃えていたので気づかなかった。
初めての茶葉をいかに美味に淹れるか。これはある意味戦いである。
湯を沸かす。ポットと人数分のティーカップを温める。湯を注いで茶葉が踊るのを確認して、まずは味見にと自らのカップに薄く注いだ。 口にしようとしたとき、ちょうどやってきたのがランサーだ。
「嬢ちゃんに言われた。なんか手伝うことあるか?」
「ああ。もう大体終わった。……そうだな、幾分人数が多いせいでカップの数も多い。ウェイターの才能を生かして君が居間まで運んでいってくれるとありがたい」
「よし」
まかせとけ、と胸を叩いたランサーはふとアーチャーの手にしたカップに気づく。くん、と鼻を鳴らして聞いた。
「なんだ? ずいぶんと変わった匂いがするな」
「新しい茶葉だ。名前は……聞かなかったな、そういえば」
「誰かの土産か?」
「そんなところだ」
アーチャーは軽く答えてカップをあおる。どれ、とランサーは一滴しずくがついたその唇にくちづける。アーチャーは案外冷静にそれを受け入れた。舌を絡めて、離れる。
「また味もずいぶん変わって…………」
ランサーは目をむいた。アーチャー、とつぶやく。アーチャーは不思議そうに首をかしげて、耳としっぽを動かした。
……耳?しっぽ?
そしてぴょこんと勢いよく飛びだしたランサーの青い犬耳としっぽに掠れた声を上げて絶叫した。
「ああああああああ!」


武装したセイバーがエクスカリバーをかまえ、凛がガンド発射の用意をし、桜が黒くなり、ライダーはセイバーと同じく武装していたがうっかり眼鏡のままだった。士郎はというと風のように去っていった女性陣と未来の自分の絶叫に呆然とするばかりだった。
「ランサーがまた不埒なことでも!?」
「わたしのアーチャーになにするの!」
「ふふふ……楽しそうですね!」
「邪悪な気配がします…………」
それぞれ勝手なことを言いつつ台所に飛びこんできた四人が見たのは、床に座りこんでうなだれる猫耳しっぽ付きのアーチャーとあらら、という顔をした犬耳しっぽ付きのランサーの姿だった。
え?
これってどんなマニアック向け?


「駄目ね。携帯は電源を切ってあるみたいだし、カレンも行方は知らないそうよ」
あ、携帯持ってたんだ。使えたんだ。
そんな発言はお口にチャックで封印である。自室から戻ってきた凛に、みなそれぞれそうですか、そうか、という答えを返す。
答えられないのはアーチャーひとりだ。
「ただね? ひとつわかったことがあるの」
茶葉の残りを検視官がよく使うようなビニールパックに入れて、目の前にかざしてみせた凛が言う。もちろん淹れたものは全部捨てた。排水溝は海につながるものであるが、なに。大海原に獣耳がぴょこんと生えることもあるまい。
もしかして……魚介類が危ないかもしれないが。
「わかったことってなんだ、遠坂」
「これには月の呪いがかかってるわね。満ち欠けの周期で動いてる。ちょうど飲んだ日から見て、月が完全に満ちるか欠けるかするまで呪いは解けないの。つまり」
「つまり」
「つまり」
「つまり」
「つまり……」
ライダーがつぶやいた。
「今日は新月です。とすると、満月になるまで呪いは解けないと」
「なに!?」
「残念ながらそういうこと」
アーチャーはがくりと膝をついた。猫耳がうなだれていて、あ……とその場のみながきゅんとした。黒い服、赤い顔に白い猫耳しっぽがよく映える。
「金ぴか…………」
グッジョブ!と親指を立てる凛に、桜もグッジョブ!と輪唱する。いまここに姉妹の心がひとつになった。
「リン、サクラ……その、あまり誤解を受けるような言動は避けたほうが」
「なに言ってるの、ライダー。変なこと勘ぐっちゃいけないわ。ただわたしたちはかわいいものを純粋に愛でてるだけよ。ねえ桜?」
「そうです。ライダー、変なこと言っちゃだめ。め、よ?」
「あ、はあ。はい」
額を指でつんとされてライダーは軽く赤面した。ちなみに武装は解いていた。
「しかし、犬も猫も大変愛らしいがわたしとしては獅子がよかった。ランサー? アーチャー? 今からでも英雄王のところへ行って違う薬をいただけるよう交渉してみては?」
「セ、セイバー!」
「冗談です、冗談」
冗談ですよ、と首をかしげて愛らしく微笑むセイバーは未だ武装姿だった。よっぽど気合が入っているのか。笑顔の背後に、炎と獅子が見える。がるるる。
ランサーは初めて動揺したような様子を見せ、アーチャーはしっぽをぴんと立てた。それにランサーがなにか気づいたように声を上げる。
「あ?」
「!?」
遠慮なくしっぽを掴まれ、アーチャーが驚愕のあまり声にならない声を上げる。残りの面子もつられて目を丸くした。
当のランサーはといえばそんな空気の中、アーチャーのしっぽをくにくにと指先で押しつぶすように確かめている。
「おまえ、なんだこれ。かぎしっぽじゃねえか」
そう。アーチャーのしっぽは実はかぎしっぽだった。別にランサーが指先でいじり倒しているからというわけではない。筋力Bだから、というのはなにに対しても言いがかりだ。
自然なかぎしっぽ。
天然なかぎしっぽ。
素敵なかぎしっぽ。
「おお。ちゃんと硬くなってるな」
「へ、変なこと言うな! ランサー!」
「あ、そんな気にしても坊主にゃ触らせねえぞ。これはオレんだ」
「そ、そういうことじゃなくて!」
「じゃあどういうことだ?」
「う」
士郎は答えられない。真っ赤になって黙るそのあいだに、ランサーはアーチャーのかぎしっぽを責めていく。ラインを辿って、芯の硬い部分を指先と爪でなぶる。さわさわと撫でながら興味深そうにあらゆるところを確かめた。
「っふあ……ああ、んぅ…………や、ランサー…………!」
「へ、変な声出すなよっ!」
「士郎、猫のしっぽとは特に敏感な器官のようです。この本の108ページに載っています」
「だ、だからって……またたび出された猫じゃないんだぞ! って、なんだそのページ数!? なんで煩悩の数と同じなのさ!」
「さあ」
ライダーが首をかしげるとさらりと長い髪が揺れた。それを見てランサーはなにか思い立ったのか、かぎしっぽを弄んでいた手を止めて、自分の髪をぱっと掴む。
こちょこちょこちょ。
「ちょ……っ! やめ……っ!」
青い髪の先で敏感な猫耳をくすぐられたアーチャーはまたも声を上げて身を捩る。ふざけるなランサー、と涙目で言おうとしたが、彼は生憎と大真面目な顔だった。無駄に精悍な顔つきである。
それに油断したアーチャーは、今度はさらに太いもので弄ばれ、悲鳴を上げる。しっぽだ。
ふさふさの毛並みのいいランサーの犬しっぽが、アーチャーの猫耳をくすぐっている。
「ランサー!」
怒鳴れば、猫耳は嫌がってぱたぱたと動いた。ランサーは少し引いてから、おお、と嘆息する。
「……すげえ」
なにその顔。
感嘆の声と表情に、残りの面々はつっこまざるを得ない。だが口に出すのはぶっちゃけ面倒だった。だがしかし、その面倒っぷりも次のランサーの行動で霧散することになる。
「アーチャー!」
「ああっ!?」
逃げださないようにしっぽを掴んで、首筋に鼻先を埋めて畳の上に押し倒す。匂いを嗅いで真面目な顔でつぶやいた。
「どうやら余計なもんがついたせいで、この体もそれらしくなったみてえだ。なんかよ……悪りぃ、我慢できそうにねえ」
「我慢!」
「しろ!」
ダブルエミヤの絶叫。凛は笑顔でガンド発射五秒前。桜は呪文詠唱をしていいのか戸惑い、セイバーは菓子皿を持って避難していた。
ランサーのしっぽはぱたぱたと振られている。あーちゃー、あーちゃー、あーちゃー、とひらがな発音で名前を繰り返されて思わずぐらりと来てしまうアーチャーはやはりどこか間違っている。
またもかぎしっぽを指でいじくりながら、ランサーは言う。
「……いいだろ?」
「ランサー……っ」
許諾か拒否か。
判別しがたい声を出したアーチャーに、冷静な美女が言葉をかぶせる。


「いけません、ランサー」
「邪魔する気か? ライダー」
「いえ。わたしはただ、」
ぱたん、と本を閉じる。
「部屋を汚すのならご自分たちの部屋にしていただきたいと」
こちらは確かに食卓ですが、食べるものは普通の食事であってアーチャーではありません。
その言葉にランサーはしばらく考えると、うん、とうなずいた。
「よし」
そう言うが早いか、尻を上げてくったりと畳に這いつくばったアーチャーを抱え上げて肩に乗せると、ランサーはきらめく笑顔を面々に向ける。
「んじゃ、ちょっと行ってくるわ」
どこにさ!?
もうそんな基本的なツッコミを入れる力も士郎にはない。あーあー行ってらっしゃい。
足取りも軽くしっぽを振って居間を出ていったランサーの後ろ姿を見て、しばらくしてから全員が様々な意図のため息をつく。
「ライダー……サンキュ……って言っていいのか……どうなのか……俺にはわからない。ごめん」
「謝ることはありません、士郎」
「シロウ?」
「どうした、セイバ……」
士郎は固まった。
セイバーは涎を垂らしている。滝のようにだらだらと。


「アーチャーはどれほどに美味なのでしょうか?」
「知らないよ!」


それは、ランサーのみが知ることだ。



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