春はうららか。
こねこさんはこねこなので、一日の大半は寝ています。起きているときはエミヤさんやセタンタくんに遊んでもらったりご飯を食べたり。
ぽかぽか陽気の今日は絶好の寝て曜日。ぐーんと伸びをして、くああと大きなあくびをします。
寝床は用意されているけれど、どうせならお日さまがさんさんに当たるひなたがいいな。
というわけでこねこさんは歩きだしました。ピンク色でふにふにの肉球で廊下を歩いて目的地へ。
人間さんたちが歩くにはそう大変な距離でもないですが、こねこさんにとっては結構な旅路。それでも頑張るこねこさん。だって、それだけの価値があるからです。
鼻をぴすぴすすんすん、ひげをさわさわいわせてこねこさんは歩く、歩く。庭で護衛の人が見張りをしています。正直、こねこさんには“黒い人”としてしか認識できないのですが、みんな顔に似合わずやさしいのでこねこさんは護衛の人たちが好きです。
ときどき、こっそりとポケットからおやつをくれたりしますし。
ただ残念なことにみんながみんな“黒い人”なので、こねこさんは誰が前にやさしくしてくれた人なのかわからないのです。
なので、こねこさんは黒い人を見つけたらとりあえず足にすりすりしておくことにしました。黒いスーツに毛がついてしまいますけれど、みんな喜んでくれるので、こねこさんはうれしいのです。
さて、そろそろ到着。
いつもは閉まっている襖ですが今日は半分ほど開いています。そうですよね。だって、こんなにいい天気なんですから、とこねこさんは思いました。しっぽをぴんと元気よく立てて、こねこさんは声高く鳴きました。
エミヤさーん。
「…………ん?」
いつもの格好に眼鏡をかけたエミヤさんが、仕事をしていた手を止めて顔を上げました。そうしてこねこさんを見て、微笑みます。ふんわりと。
「ああ、こねこさん。どうしたのかな?」
今日はいい天気ですね。
「今日は暖かいな」
そうです、そうなんです。
こねこさんはこくこくうなずきます。エミヤさんは人間なのに、動物の言葉がわかるみたいですごいなあとこねこさんはいつも感心してしまいます。撫でてほしいなと思えばやさしくこちょこちょしてくれるし、お腹が空いたと思えば美味しいご飯を出してくれるし。
“おかあさん”みたいだ、とこねこさんは思います。こねこさんはおかあさん、というのが何かは知らないのですけど、そう思うのです。
たぶんこれが“ほんのう”というやつなのでしょう。こねこさんは単なるちっちゃなねこではありません。ちゃんと、“けもの”の血が流れているのです!
それはさておき。
「ん?」
ぽてぽてぽて、と部屋に入っていったこねこさんは、エミヤさんの腕にすりすり頭をこすりつけます。そして喉を、ごろごろごろごろ。
「どうしたこねこさん。今日はずいぶんと甘えん坊ではないか」
エミヤさん、仕事はいったんお休みにして、お昼寝をしましょう。
こねこさんは一生懸命に訴えます。この思いよ、エミヤさんに届け!すりすりごろごろ、すりごろろ。
喉の下を掻いてくれるエミヤさんの指先は爪が丸く切られていて安全です。こねこさんは目を細めました。なん、と鳴きます。
お昼寝しましょうよう。
みゃあみゃあなんなん訴えながら、こねこさんはエミヤさん登りを開始。これを始めると大抵エミヤさんはしていることをやめて、笑いながらこねこさんが落ちないようにそっとやさしく支えてくれるのです。すかさずそこにこねこさんはアタック。
エミヤさんがいつもブラッシングしてくれるのでこねこさんの毛皮はふんわりです。お日さまに当たっていたので、さぞかしいい匂いがすることでしょう。
「―――――そうだな。一段落したところだし、少し休むとしようか」
やったあ!
「わ、こら、こねこさん、やめないか」
やめませんよう。
だってエミヤさん、笑っているじゃないですか。
こねこさんはぺろぺろとエミヤさんのほっぺたを舐めます。エミヤさんは笑いながらこねこさんを抱えて畳にごろんと寝転がりました。
もちろんちゃんと眼鏡は外してあります。
「少しだけだぞ? 夕飯の支度が、あるからな―――――」
こねこさんはうなずいて、エミヤさんの腕の中で丸まりました。エミヤさんが目を閉じるのを確認してから目を閉じます。
すぐに眠気はやってきました。こねこさんは、眠ることが仕事です。


空をタイヤキが泳いでいます。裸足で追いかけていくのはセイバーさん。エミヤさんは洗濯物を干しながらセイバーさんに転ばないようにと声をかけていました。洗濯物の山、山、山。それをどんどんどんどん干すエミヤさん。それにしても、空の青いことといったら。
真っ青な空、どこまでもどこまでも真っ青な空に泳ぐタイヤキ。そして真っ赤な太陽。


こねこさんはぼんやりと目を開けました。
なんだか、視界が薄暗いです。なんだろうとまばたきをして、こねこさんはぶわっと全身の毛を逆立てました。小さな心臓がトキーン!と大きく跳ねます。
そこにいたのは、この家の“当主”のランサーさんでした。バイトの帰りに寄ったのでしょうか。肩にジャケットをかけてこねこさんをのぞきこんでいます。真っ青な髪と真っ赤な目。弟で“次期当主”のセタンタくんとまったく同じカラーリングをしているランサーさんなのでした。
まだトキトキいっている心臓を押さえて、こねこさんはランサーさんを見上げます。ランサーさんはランサーさんで、こねこさんにかまってくれるのですがどうもそれがあれなんですね、大ざっぱというか。
一度天井すれすれまで高い高いと放り投げられたときはさすがにびっくりしました。そのあと、ランサーさんはエミヤさんにしかられていました。ランサーさんは煙草を吸ってあんまり話を聞いていないようでした。
そんなランサーさんがじっとこねこさんを見つめています。こねこさんもじっとランサーさんを見つめました。
と。
ランサーさんが、ふと、にやり、と笑ったのです。
「まったく……猫と一緒に無防備にこんなところで寝こけやがって」
しかたねえなあ、と言うとランサーさんはぐいっと身を乗りだしました。そこでようやくこねこさんは気づきます。
ランサーさんが見ていたのは、こねこさんではなくてエミヤさんだったのです。
「おいエミヤ。おいって。エミヤ。おい」
ランサーさんが声をかけますが、エミヤさんは起きません。すうすうと寝息を立てて寝ています。
そのときです。ランサーさんが、とんでもないことを言いだしたのは。
「んな無防備な様してっと、食っちまうぞ?」
食っちまう!?
こねこさんはぶわわわっと全身の毛を逆立てました。エミヤさんは食べものではありません!人間です!
ランサーさんはよくご飯を食べますが(といってもセイバーさんほどではないですが)まさかエミヤさんまで食べようとするなんて!
だめです!だめです、それはだめです!
すうすうと寝息を立てるエミヤさんに、ランサーさんが顔を近づけていきます。
口が薄く開いています。きっと、がぶりと噛みつくつもりなのです!大変!エミヤさん起きて!エミヤさん起きて起きて起きて!
こねこさんは必死にピンク色の肉球でエミヤさんの顔を叩きます。だけどエミヤさんはよっぽど疲れていたのか、目を覚ます様子を見せません。ランサーさんの口はずんずんどんどんエミヤさんの口へと近づいていきます。こねこさんはさらに必死にエミヤさんを叩きます。
ぽにぽにぽにぽにぽにぽにぽにぽに。
怒涛の肉球パンチが炸裂しましたが、エミヤさんは気持ちよさそうに声を上げただけでした。
「エミヤ…………」
ああもうだめです!
こねこさんは前足で目を覆いました。


「なぁ―――――にしてんだ、このっ、変態エロ夜這い兄貴―――――ッ!」
真っ暗な中、聞こえたのはセタンタくんの声。続けてずだんどんずどん、と音がして、しん、と静かになりました。
い、一体どうなったのでしょうか。
こねこさんはおそるおそる目を開けます。
そこには。
「大人の時間にガキが乱入してくんじゃねえよ。おら、お帰りはあちらだ、とっとと出てけ」
「ガキじゃねえ! はなせ、はーなーせーっ!」
セタンタくんの足首を掴んでさかさまにぶら下げたランサーさんと、じたばた暴れるセタンタくんの姿がありました。
「それには、今は夜じゃねえ。人を罵るならちゃんと言葉の意味を理解してから使いな」
「うるせえ、そんなことどうでもいいんだっ! エミヤに手を出すふとどきものの兄貴なんか腐ったえーと……青いみかんだっ!」
「そりゃ単にまだ熟れてねえって話だろ」
空いた方の手で耳をほじりながらランサーさんはセタンタくんを軽々と放り投げます。ぎゃっ、と声を上げてセタンタくんはごろごろんときれいに畳の上を一回転。おみごと、十点満点です。
その騒動にさすがにエミヤさんも目を覚まして、何が起きたのかわからないといった顔でとりあえず眼鏡を取ってかけました。
「ランサー……それにセタンタ。君たち、一体何をしているのかね?」
「あん? ああ問題ねえ。ただのスキンシップってやつさ」
「嘘だッ!! 兄貴の言うことなんか信じちゃ駄目だからなエミヤ、兄貴はエミヤの寝こみを襲おうと」
「ん? ネコミミ? そうかそうか、おまえはネコミミがほしいのか、じゃあお兄ちゃんが直々に」
「いててててててっ! それちがう! 絶対ちがうだろ! 頭にたんこぶふたつつけてネコミミなんてそんなの絶対ちがう、」
「ランサー! やめないか!」
エミヤさんが声を張り上げます。こねこさんは目をぱちくりさせて、エミヤさんを見上げました。
その周りをぐるぐるぐるぐる歩いて、確かめます。
「ん?」
「ん?」
「ん?」
三人が声をそろえてこねこさんに注目しましたが、こねこさんはそれどころではありませんでした。
何周も回ってじっくり確認して。
みゃあん!
「わ、」
エミヤさんに向かってぴょんと飛びかかります。慌てて受け止めようと手を伸ばしてくれたエミヤさんの胸の中に飛びこんで、そのほっぺたを舐めました。
「なんだこいつ?」
「こねこさん、どーした?」
兄弟喧嘩を中断してランサーさんとセタンタくんが不思議そうな顔をします。エミヤさんも不思議そうな顔です。


「こねこさん?」


エミヤさんが食べられなくてよかった!
喜びの声を上げてエミヤさんの顔を舐めまわしたこねこさんは、額を撫でてもらって上機嫌にぐるぐると喉を鳴らしたのです。



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