ある日、小さな魔法使いが現れて言いました。
「Auf dem Rasen rasen Hasen, atmen rasselnd durch die Nasen. ごきげんよう! わたしのかわいいシロウ!」
もう赤い弓兵は条件反射で涙目です。姉さん、と魔法使いを呼びますが彼女はまったく聞く耳持たず。それどころかかわいらしく笑って、物騒なストラップのついた魔法の斧剣を振りかざします。ちかよるなきけん。
「Gewahren Sie meine Wunschsterne! 星たちよ、わたしの願いを叶えて! ささやかな願いを聞いてちょうだい!」
人というものは身の丈に合わない願いを持つもの。だが魔法使いにそれを言えばだってわたしホムンクルスだもの、と答えられてそこで終了だろう。命があれば僥倖。一瞬でプチッと潰されてしまってもまだ幸運な方だ。
だって苦しまないで済む。
永遠の苦しみ、無限地獄。メビウスの輪のように終わりがないそれはどこまでも続く夏のあぜ道のよう。どうにも悲しくなって泣きたくなってしまう。そんな感じだ。
「覚悟しなさいシロウ!」
「やめるんだ姉さん!」
「答えは聞いてないわ! ―――――Werden Sie das Kaninchen!」


で。
「やられちまったのか」
「……………………」
こくん、とうなずく弓兵に、ちゃぶ台に頬杖をついていた槍兵はあーあ、という顔をしてみせた。その顔にまた、弓兵が涙を溢れさせる様子を見て慌てる。なんでこんなに情緒不安定なんだ?
「調べてきました、ランサー」
「おう、ご苦労ライダー。で?」
「どうやらネザー系という種のようです。正式名称はネザーランドドワーフ。機敏な動きと臆病な性格が特徴で、非常に敏感で飼い主の行動や態度に反応する、と」
「なるほど」
そのつぶやきに短い耳が反応した。うさぎの耳、にしてはずいぶん短い耳である。槍兵の知っているうさぎというものは、もっとこう、耳が長い。いたずら心を出して縛ってしまいたくなるような、いや、しないけれど。
「それはミニレッキスでしょうか? 確かに耳が長く、体が小さい一般的なうさぎ、というイメージにぴったりの種類でしょうね。……ちなみに」
騎兵はいずこからか本を取りだして槍兵の前に置いた。とあるページを開いて。彼女もまるで、魔法使いのようだ。
―――――物怖じしない性格の為、飼いやすい種類である
「……なるほど」
赤い瞳と眼鏡ごしの瞳がそろって弓兵を見る。ほたほたと鋼色の瞳が涙をこぼれさせていた。
「間違えたな」
「間違いですね」
「手違いだな」
「手違いですね」
とりあえず、と槍兵は立ち上がった。びくりと震える弓兵にてのひらを差しだしてよーしよしよし、と牽制し、笑顔ではなく真顔になる。心を伝えるには真面目な態度がいいと思ったからだ。甘やかすのもいいがそれは慣れてもらってからだろう。指圧の心は母ごころ、とはちょっとちがうか。ちがうだろうな。
むしろこれは父性愛。
「ランサー」
「なんだ?」
「言っておきたいことがあります」
「なんだ?」
「ええ……」
言いかけたとたん、槍兵は畳に押し倒された。ぐるん。天井が見えて目を白黒させる。そして頬に柔らかい感触がひとつ、ふたつ、あれ? 今のは柔らかいとかそういうのか?
ひとつはくちづけ、ふたつもくちづけ。もうひとつは舌の感触だった。
「ネザーランドドワーフは人によく馴れます。そして抱かれるのを好まない個体が多いですがその反面、非常に馴れて、手や顔を舐めてくる個体も多い、と」
「馴れてるのか」
「あなたに一番懐いているのでしょう」
「自惚れるぞ」
「ご自由に」
のしかかる体の背から腰に手を滑らせ、しっぽを触る槍兵を静かに見ながら騎兵は本を手に取った。


「うさぎに惚れこんで馬に蹴られて死ぬことのないよう。あと、うさぎは性欲が強いと聞きました。ささやかながら忠告しておきます、ランサー」


その後、平和な恋人たちの元に降り立った魔法使いは、笑顔で斧剣を振りかざすと言いました。
「Guten Tag! お二人さん、元気してた? よきかなよきかな。―――――殺すわ。ああ、安心して。シロウは殺さないわ。殺すのは、そこの青い狗だけよ。……星たちよ! わたしの願いを叶えて! ていうかベストサイズの隕石よおいでなさい。あの駄犬をやっつけて! Stromen Sie mit Regen und einem Sturm!」
馬に蹴られるなんてものじゃなかった。死んだ方がまだましだ。
魔法使いに猛犬が勝てたかどうかは、お姫さま……否、弓兵だけが知ることです。



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