衛宮家、居間。
目の前にことんと音を立てて置かれた湯呑みに向かい、来訪者であるバゼットは一礼する。
「ありがとうございます」
「いや。冷めないうちに飲むといい」
「それでは、お言葉に甘えて」
がっと持って。ぐっと飲んで。だんっと置いて。
見事なスリー・カウントでバゼットは玉露をすべて胃の中におさめた。ほうとほのかに抹茶の香りのするため息をつき、胸に手を当てて微笑む。実に幸せそうな表情だ。
「―――――ああ、とても美味しい。こんな美味しいお茶をいただいたのは本当に久しぶりです。ありがとう、アーチャー」
「喜んでいただけて何よりだ。甘味もある、食べていくといい」
「よろしいのですか?」
「他の連中の分はすべて確保済みだ。……なに、今さらお嬢さんがひとり増えたからと言ってどうということもない。安心したまえ」
「いやだ、お、お嬢さんだなんて……!」
ぱっと赤くなって。かっと耳まで赤くなって。ぼっと全体的に赤面。
マッチで着火したようだ。なんて、素直。


一方バゼットの正面から右にひとつずれた定位置に座ってその光景を見守るランサーはといえば、複雑だった。その場の空気は穏やかでしかない。だが、彼の心の中は暗雲に満ちていた。
いっそ怒鳴りあったり殴りあったりしてくれた方が対処法もあるというもの。しかし二人の間には暗雲どころか雲ひとつない。
あーあ。
なんだこれ。
両手に花ってこんなじりじりするもんだったか。
もっとも、今のランサーが愛でる花は白くて赤い褐色の花、ただ一輪だった。ぐんぐん伸びて澄ました顔で勝手に立っているようなくせして、毎日様子を見てやらないとすぐ枯れてしまう。面倒な花だったが、ランサーはそれを承知で選んだのだ。
もう一輪の花も大切ではあるが、大切のニュアンスがちょっと違う。
バゼットという花を、ランサーは見守ることにしたのだった。あれこれ世話を焼いてやるのではなく、あくまでもその成長を眺めるだけだと。
元気に育てよバゼット。オレが応援してやっからよ、と。
そういうニュアンスだ。
だから、芋羊羹を食べながらバゼットがつぶやいた言葉には予想半々ながらも驚いた。
……来た、と、思った。
「ところでアーチャー」
玉露のお代わりを注ぎながらなにかね、と問いかえすアーチャー。羊羹の一切れを口に入れて、咀嚼してからバゼットはつぶやく。
「うかがいたいのですが。……あなたは、ランサーと一体どういう関係なのです?」
来た。
「どういう関係……?」
アーチャーは不思議そうに首をかしげる。
そして急須をちゃぶ台に置いたあと、隣のランサーに向かってたずねた。
「言ってしまってもいいのだろうか、ランサー」
「おいちょっと待て! こんな時間からどこまで言う気だおまえは!?」
「そこまで到達してるんですか!?」
顔を真っ赤にしたランサーとバゼットが同時に立ち上がる。
そして頭をごつんとぶつけた。
「…………!」
「…………ッ」
「なにをやっているのかね、君らは」
「なんでもありません! なんでも! ああ、血が出ました! 私の勝ちですね、ランサー!」
「英霊を頭突きで流血させんなよ! 相変わらずめちゃくちゃだなおまえ!」
「褒めていただいてありがとうございます!」
「褒めてねえ! めっちゃいい顔して笑うな!」
……ふ、と何故か勝ち誇った顔をしてバゼットがアーチャーを見やる。アーチャーは要領を得ないように、また、首をかしげてみせた。
「褒められました」
「そのようだ」
「うらやましいですか?」
「いや、別に?」
「臆せずとも良いんですよ、アーチャー!」
ウフフフ、と非常に盛大に嬉しそうなバゼットさん。額にはちょっと返り血である。
「いや……別に臆しているということはまったくないんだが……」
勝っているし。
ぽつりとつぶやいた言葉に、バゼットは笑顔を凍りつかせて、ランサーは青い尻尾をびよんと逆立てた。
ばっか!
ばかかおまえ!
なんでわざわざ相手を逆撫でるようなことを言う!
案の定バゼットは血が飛んだ綺麗な額に青筋を逆立てて、アーチャーに尋ねてくる。
「ほ、ほう。あなたの方が私より勝っていると。……何処がでしょう。聞いてみてもいいですか、アーチャー」
アーチャーは少し考えて。
「……済まない。言えないな」
「何故?」
「お嬢さんには刺激が強い」
「だからアーチャーさんよ! こいつを! 刺激! するなと!」
「だが本当のことだろう?」
「そりゃそうですけれども」
あ。
バゼットがものすごい形相で二人を見ている。
「ま、待てバゼット。落ち着け。深呼吸しろよ? いいか?」
「私は充分落ち着いています。落ち着くのはあなたでは? ランサー」
「じゃあなんで目が血走ってるんだ!」
「仕様です!」
「そんな仕様あるか!」
「ここにあるでしょう! 目をかっぽじってよく見なさい!」
「いてえよ!」
「バゼット嬢」
テンションも高く怒鳴りあいを繰り広げていた二人は、クールに響いたアーチャーの声に二人そろって振り返る。バゼット「嬢」はやや頬を赤く染めて、はいなんでしょうかと答えた。
女性はいつでも現金なものである。
「君の怒りの矛先はランサーではなく、私だろう? そいつは明日もバイトがある身だ。あまり傷つけてもらっては困る」
「なんと! ……職があるのですか、ランサー!?」
「なあアーチャーよ、オレの心配してるのか、金の心配してるのか、どっちだ」
「両方だとも。ランサー」
「そう……か……」
割合までは確かめないことにした。
愛されるということは、時に怖い。
「だからもし勝負するというのなら私と勝負すればいい。負ける気はないし、夕食の下ごしらえも当に終えた。……ああ、食べていくかね?」
「魅力的なお誘いですね、ええ、ぜひ! ……勝負ですか……ふふ、あなたも見た目以上に情熱的な方だ」
無職の身としては一食浮くことでさえ天の恵み。
ではなく。
戦士であるところのバゼットは、アーチャーの挑戦に笑って両手を組み合わせた。広げた右手に左手で作った拳で軽くパンチ!
「よし、腹ごしらえの前に腹ごなしとして私と勝負しましょう。どうです? アーチャー」
「結構だとも。……種目はなにで?」
バゼットは拳を自らの目の前に掲げる。死にそうに真剣な目つきが怖い。
「―――――じゃんけんで」
「おいこら待てダメット」
「乗った」
「乗んなよ!」
「なにを言うのですかランサー! じゃんけんは神聖かつ公平な種目です!」
「種目ってなんだ! おまえな、坊主に聞いたぞ。たかがじゃんけんにフラガラック使うんじゃねえよ! なにが“死ねぇ!”だ!」
「私はいつでも全力投球です!」
「そんな全力川に捨ててこい」
待っててやるから。
「なんてことを言うんですかあなた!」
「……ふむ。バゼット嬢」
喧々囂々と怒鳴りあうかつての主従は、むやみやたらに冷静な弓兵の声にぴたりと動きを止める。
なんですかアーチャーっ?と笑顔で答えてみせるバゼットを見て、ランサーは「エミヤシロウ」の無意識の女扱いの上手さを知った。
「おまえアーチャーを敵と認識するか味方と認識するかどっちかにしろよ」
「そうですね……強いて言うのなら、好敵手。よきライバルですね」
「認めてくれてありがとうバゼット嬢。だがしかし、やはり君では私に勝てない」
「なっ!? なぜですか、アーチャー!」
アーチャーはこほん、と咳払いをすると静かに告げた。


「私はもうすでに何度もランサーに死なされている」


……………………。


「うおおおおおおおい!」
「どうしたランサー。顔が真っ赤だぞ」
「おっまえ、いくら事実だからってな、ひ、昼間っから、それもこの女の前で、だな!」
「どもっているぞ。君らしくもない。“…………今夜も死ぬって言わせてやるぜ”と言っていた昨晩の余裕はどうした。川に捨ててきたのか」
「おまえ実は怒ってたのか!? そのときに言えよ!」
「いや、別に怒ってなどいないが。“ほら、いいのか?……我慢しないで死んじまえよ、後始末はしてやるから”と言われたときは実際本当に死んでしまうかと思った」
「だからそういうことをこいつの前でだな!」
「…………」
はっとランサーは覚醒する。おそるおそるバゼットのほうを見た。
「お、おい、バゼット?」
「じ、情熱的なのですね……ランサー」
「萌えんな! おいこらダメット! だからおまえはダメット言われるんだぞ! ここは萌えるところじゃねえ! 怒ったりわめいたりするところだ!」
「す……すいません、アーチャーの言葉につい寝所でのあなたを想像してしまい、その、私としたことが」
ハレンチ乙女である。
顔を桜色に染めて、頬に手を当てていやんいやんと体を捻っている。その様子にランサーは、ああオレ好かれてんのか、でも複雑だよなこういう場合、と遠い目をしてみせた。
「わかりました、アーチャー。そんなに殺されているというのなら私がこの手で殺すこともありませんね。……決着はまたの機会に」
「また!?」
「今日はとりあえず夕飯をいただいていきます。献立はなんでしょう?」
「茄子のカレー、それと色とりどりのきのこサラダだな」
「なんて魅力的な! ……よければ、私にも手伝わせていただければ、アーチャー?」
「それでは頼もうか」
「はい!」
いいのか、そいつ壊滅的に不器用だぞ。
などと突っこむこともできぬ間に、二人は台所へと消えていく。まあその……なんだ。アーチャーなら上手いことバゼットを操縦できるだろう。
今だってそうだった。
「……カレー、楽しみだな」
スパイスをたっぷり使って作られた本格的なそれ。
どうせならたっぷり食って精力つけて、またアーチャーを死なせてやる。
そう思いながらランサーはポケットから煙草を取り出し、口にくわえてフィルタをがじりがじりと噛んだのだった。



back.