深夜。虫が鳴いている。
セタンタの安らかな寝息を聞きながら、エミヤはふ、と笑った。布団を肩までかけてやりぽんぽんと軽く叩く。セタンタは本当に気持ち良さそうに眠るので、微笑ましい。傍の温かい体温につい眠気を誘われてうとうととしていたその時、事件は起こった。
「―――――んッ」
びく。
軽く、エミヤは体を震わせた。背後から乾いた熱い手が肩の丸みを滑って鎖骨に触れたのだ。浮きでたそこを執拗に指先でなぞるのは誰かと言えば、
「こら……!」
ランサーだ。
小さな声で叱咤して首だけ後ろを振り返れば、薄闇の中でにやにやと笑んでいるのが見える。性質が悪い。こんな時にと体を捩ってその指から逃れようとするが、しつこくそれはついてくる。くぼんだところをなぞったり、突きでたところをなぞったり。
「悪ふざけがすぎるぞ、ランサー……!」
「っと。大きな声出すなよ、エミヤ。ガキが起きるぜ」
小声の指摘にエミヤは唇を噛む。セタンタは確かに寝起きがよかった。ただ、寝つきもとてもよかったけれど。枕を抱えてやってきた、今回は本当にまれなケースだったのだ。昼間に一口だけとねだられて飲ませたコーヒーが悪かったのかもしれない。
などと考えていたエミヤはまた、びく、と体を震わせる。後ろから抱きすくめられて身動きが取れない。不届き者の名前を呼んで、再度叱咤しようとしたが、耳朶に熱い息を吹きかけられてその声は掠れて消えた。鼓膜を震わせるほど近くで低く笑い声が響く。
エミヤ。
名を呼んで、ランサーは薄いエミヤの衣服を掻き乱す。
「やめないか……!」
「ただのスキンシップだろ。変な風に取るおまえが悪い」
「人のせいにするな……っ」
「おまえのせいだ」
くつくつと笑ってまたぐしゃぐしゃと布地を掻き乱す。大きな両手でまさぐるように。
その隙にもエミヤ、エミヤ、と名を呼ばれ、エミヤは意識がぼうっと霞むのを感じる。まるでその声は弟のように無邪気で甘い。勘違いしそうになって、そういえば彼も同じだったかと思いだした。
―――――エミヤ!
子供のころの無邪気な呼び声。
青い空、白い雲、輝く太陽、差しだされた手と笑顔。目が眩む。強く握られた手、疾走感、二人で転がったときの膝の痛みと笑いあったときのぬくもり。森の中で、抱きしめられた。抱きあって泣いた。そのときのことを、思いだす。
「クー・フーリン……!」
つい口から迸った名に、ランサーは驚いたように手の動きを止めた。ワン、ツー、スリーカウントのあいだ時が止まって、次の瞬間にはのしりと背後から熱い体温が覆いかぶさってきた。
「エミヤ……おまえ、それ反則」
「なにがだね……!」
「反則だろ」
真面目な声でささやかれ、戸惑う。何もせず、ただ抱きしめられる。体温が熱い。反則だろ、エミヤ。耳元で声がする。
「そんな風に呼ばれて、ふざけられるかよ……」
きつく抱きしめられて思わず声が漏れた。あ、と小さく。慌てて口を覆うが、セタンタはまだ深く眠っている。
「心配すんな。変なことは、もうしねえよ」
「……するつもりだったのかね」
「だからもうしねえって」
今夜は。と言うのに呆れて君は、とまた首だけで振り返ろうとする。するとそこには真摯な赤い瞳があって、ぞくりとした。熱さの中の、ちょっとした寒気。
「ただ今夜は、こうやって抱かせてくれよ」
「ランサー……」
「少し、寒くなってきたしな」
笑う。エミヤは仕方ないなという風に微笑んだ。
「まったく……君は昔から……」


“エミヤ、一緒に寝ようぜ”


背後から伸ばされた手に指を絡める。不快からではないため息をついて、エミヤは瞳を閉じた。ただし不平等にはならないよう弟の手も反対の手で握って。



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