屋根の上を男二人が疾走している。最速のはずの青い男は慌てているせいか何度も躓いて、思うように距離を稼げない。一方それを追う弓兵は足取りも軽やかだ。
「何故逃げるのだね、ランサー!」
「って、ばっか、やろ、逃げるに決まってんだ、ろがっ! だから追っかけてくんな! 正直怖いんだよおまえ!」
「ああ、私も君に対する溢れんばかりの自分の愛が怖い。私はだなランサー、君のためなら死ねるのだよ。愛している、ランサー」
「おまえがいうなああああああ!」
がらん、と瓦が落ちた。


「イリヤ」
「あら、なあに? おにいちゃん」
「アーチャーになに食べさせた」
「ただのお菓子よ? ……ちょっと甘い毒が入ってたけど」
「それだ」


追いかけっこは続いている。愛してる、言うな、愛している、言うな、君を愛しているんだ、アーアーアーキーコーエーナーイー。
ランサーは屋根の上を爆走する。疾走する。そのまま転がり落ちんばかりに。背後からスキップする程度の軽さで、しかしすごい速度で追ってくるアーチャーが怖かった。そりゃあランサーだってアーチャーのことは嫌いじゃないけれど、ここまで追ってこられるとなんだ。
その、正直おそろしい。泣きそうだ。
もはや半泣きになっているランサーは欠けた瓦に躓いた。あっ、と思うと体が宙に浮いてごろごろごろとボールのように転がる。
落ちそうになったがなんとか体勢を整えて起き上がると、立ってまた走り出そうとして、
「―――――つかまえた」
捕まった。


「なあイリヤ」
「どうしたの? おにいちゃん」
「アーチャーはいつ戻るんだ」
「さあ。……ふふふ」
「笑ってないで答えてくれよ……」


槍兵は青ざめていた。もともと青かったけれど、これ以上ないというくらい青ざめていた。はっきり言ってかわいそうだった。
いや、今でもかわいそうだ。赤い目が涙目になっている。どれだけ怖いのか。
「ランサー」
「あっ、ちょっ、いやっ、」
「君を愛している」
概念武装姿で。
赤い聖骸布をたくしあげ、アーチャーはランサーの引き締まった腹の上に座る。男にしては丸い臀部を擦りつけるように、何度か位置を直す。さらに青ざめるランサー。腰を節くれだった指の腹で擦られると、ひえ、なんて情けない声を出した。
「待て。待て、な? 落ちつけアーチャー。オレはおまえのこと嫌いじゃねえ。だけどな、これはないだろ」
「どうしてだ。…………こうでもしないと君は私を抱いてくれない」
「抱く! 抱くから今は勘弁してくれ! マジで! な!?」
「いやだ。今がいい」
「いやだとか今がいいとかどんだけワガママ坊やなんだてめえええええ!!」
「……嫌いか?」
見ると、いつのまにか指先がランサーの体から離れていくところだった。かすかにその指先が震えている。見上げた顔は陰になってよく見えない。アーチャーはいまだ震える指先で己の体を抱いた。
「君は、私のことが、嫌い……なのだな」
「……は? え?」
「ああ、当然だろう……君はまったく悪くない。君が悪いなんてことはありえないのだ、私が悪いに決まっている。ああ、そうだとも、世の中の悪はすべて私が原因なのだ。だから私に触れてはいけない、美しい君が穢れてしまう。済まない、済まないランサー……」
「……ばっ、おま……っ!」
ランサーは目をむいた。アーチャーがぼろぼろと泣き出したのだ。身も世もなく泣きじゃくるその姿にランサーはただ慌てふためくしかない。手を伸ばそうとして、触れれば穢れるという言葉を思い出して固まり、いやそういうわけで触れないわけではないのだけど、いやではどういうわけかと聞かれると困る、だけどこのまま泣かせておくわけにもいかないし、第一他人の家の屋根の上だ。
「泣くな! おい泣くなってアーチャー! 悪かった! オレが悪かったから泣くな!」
「君は悪くない……! 私が、全部、すべて、なにもかも、悪いんだ、だ、だけど、」
「だけど?」
「だけど、君を好きでいることだけは許してほしい…………っ」
白くなった。
青いのの、頭の中が、真っ白に。
え?
なんだこれ?
なんだこれ?
なんだこれ?
なんだこいつ。
なんだこれ?
なんだこれ?
なんだこれ?
なんだ、オレ。


「悪い魔法使いの魔法はね」


気づけば、腕を掴んでいた。無理やりに熱い屋根の上に押し倒して、くちづける。アーチャーは驚いたように涙に濡れた目を見開いて、硬直したが抵抗はしなかった。舌を絡めて吸ってやれば、陶然と目を細める。つ、と溜まった涙が目尻から伝った。
歯列をなぞるとくすぐったそうに身じろぐがこれも抵抗しない。それどころか、懸命に舌を絡めてこようと口内で舌を蠢かせている。
柔らかい急所。性器のようにランサーを取りこもうとしているから、ランサーは願い通りに与えてやった。
アーチャーは投げ出された腕をそろそろとランサーの方へと伸ばしていく。


「王子様の、キスで解けるのよ」


ぎゅう。
「……アーチャー?」
ぷは、とくちづけを中断してランサーはたずねる。そしてどきりとした。
真剣すぎるほどのアーチャーの瞳。いつもの、アーチャーの瞳だ。元に戻ったのか、とランサーがほっとしたとき、
「愛している」
「は?」
「ますます君が愛しくなった。抱いてくれ。今すぐに! ここで私をめちゃくちゃにしてくれ、お願いだランサー!」
「うおおおおおおおおおおい!?」
「はしたないことだが……君を見ているだけで体が疼くんだ。君を私の中に入れて、奥まで入れて死ぬほどに突き上げ」
「まてこらこの暴走機関車○ーマス……!!」
「言いづらいようだがあれのあの青さは、君に通じるものがあると思う」
「こういうときだけ素に戻るなああああああ!!」


「……イリヤ?」
「……なあに?」
「戻ってないと思う」
「そうね」
「最後まで責任取れよ!」



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