「アーチャー……」
愛しそうな声がする。呼ばれているのに気づかないふりをして、アーチャーは目を閉じたまま触れる手の温かさに甘んじる。
するとすでにばれていたのか、くつくつと笑う気配がした。
「おい、狸寝入りか? いい加減目を覚ませよ、アーチャー」
ばれているなら仕方ない。シーツを手繰り寄せて相手と同じく笑うと、アーチャーは目を、開けて、
「お、やっと起きたな。……オレの眠り姫?」
目に飛びこんできたものに、硬直した。
流れる青い髪。白い肌。たわわな胸。身長はおそらくライダーとそう変わらない。すらりとした肢体の女性が不適な笑みを浮かべてアーチャーの顎をとらえていた。
「……どちら様だろうか」
「おいおい、つれねえな。昨日も、一昨日も、一昨昨日も、一緒に“寝た”仲だろ?」
わかっている。わかっては、いるのだ。だが理性が、魂が、それを理解するのを拒絶している。
「オレの腕の中であんなにかわいく鳴いたじゃねえか……なあアーチャー?」
駄目だ。
もう駄目だ。
「アーチャー?」
アーチャーはもっとも簡単な方法を取った。現実からの逃避、だ。
「おい、アーチャー!? アーチャー!」
サーヴァント・アーチャーは気絶した。女性にしては低めの声に名を呼ばれながら、懸命にそれを拒絶して。


「あんた、懲りないのね。あの子金ぴかにもらったものは危険だから口に入れるなってアーチャーにもわたしにもさんざん注意されてるのに、どうして?」
「いやー……それはそうなんだけどよ。なんか……その……」
「とても美味しそうだったのですね」
「そう! それだ、セイバー!」
「それだじゃないわよ、馬鹿狗」
きっぱりと言いきる遠坂凛の声。それがきっかけとなって、アーチャーは目を開けた。
すると遠坂凛が顔を覗きこんでくる。額に手を当てられて、熱はないわねと平坦な口調で言われた。
「凛……サーヴァントが熱を出すとでも、まさか本気で?」
「うるさいわね、気絶するだなんて非常識なことしたのはあんたじゃないの。だから万が一と思ったの!」
拾ったも同然のものをひょいひょい口に入れる馬鹿狗はいるし、とそっぽを向く彼女の頬は少し赤い。椅子に横たえられ、いつのまにかかけられていたらしいタオルケットを掴んで唖然とするアーチャーに、ひそひそとささやくセイバー。
「アーチャー。凛はずっとあなたを心配していたのですよ?」
「はいそこ、余計なこと言わない!」
ぶん、と振られた人差し指にすわ、ガンド発射かと首をすくめるサーヴァントふたり。しかしそんな物騒な気は彼女にはなかったらしく、ただふたりを指差しただけだった。
凛、とアーチャーは口を開きかけた。と、その目前にひょいとつきだされた白く、端正な顔。
青い髪に赤い瞳、白い肌と見慣れたカラーリングのその人物は、だが決定的にいつもと違っている点があった。
「起きたか、アーチャー。人の顔見て気絶するたあ、ずいぶんじゃねえか?」
「ちょっとランサー!」
アーチャーが怯えてるじゃないの、と遠坂凛があいだに入ってくる。それで気づいたのだが、どうやらアーチャーは反射的にがたがたと激しく震えていたらしい。
ちょっとランサー。
遠坂凛は確かにそう言った。と、するとだ。いま、彼女に強く押しのけられてちぇーなどと舌打ちをしている女性は、間違いなく。
「ラン、サー……なのか?」
タオルケットをきゅうと握りしめて問えば、その女性はぱっと顔を輝かせて返事をした。
「おうよ!」
「―――――……」
「あっ!」
また、アーチャーは現実逃避した。すなわち、また気絶したのだ。


悪夢から醒めてもっと酷い悪夢に戻って説明されたことには、またも原因は小さな英雄王らしい。彼の奇妙な薬のせいでひどい目に遭いまくった筆頭のランサーは、遠坂凛とアーチャーからきついお叱りと厳命を受けていた。
あの子金ぴかから物をもらうんじゃありません。
まったく、子供に対する言いつけであるが何度被害に遭っても懲りないので仕方ない。
「あんたを単独行動させるのはとことん危険だって、いま思ったわ」
「悪かったって、嬢ちゃん。だからその人差し指はしまってくれねえか」
「凛、ランサーも充分反省しています」
「セイバー! こいつはね、甘やかしちゃだめなのよ、わかる?」
「それにそれほどまでに美味しそうだったというものの誘惑には、わたしとて勝てなかったでしょう」
「……わかってないわね」
おっと涎が、と口元を拭うセイバー。遠坂凛は呆れて額に手を当てた。天を仰ぐポーズ。
だけれど遠坂は天に祈ったりしない。ただ、己のみを信じる。はっと吐き捨てて、遠坂凛はランサーに告げた。
「今回はすぐ元に戻るってことだからいいけれど。……今度やったら……撃ち抜くわよ」
ばっと下半身を押さえるランサー。初めてその顔が余裕を失った。
「嬢ちゃん……そりゃ淑女の言う冗談じゃねえぜ」
「あら、冗談じゃないもの。わたしは本気よ?」
にっこり。
首をかしげて優雅に笑ってみせる遠坂凛に、ランサーのみならずアーチャーも震えた。おそろしい。この少女、敵に回しても味方に回してもおそろしい……!
「アーチャー、立てるか?」
慌てて駆け寄ってきたランサーに問われて、アーチャーは、あ、ああと返す。この美女をランサーと識別するのはどうにも慣れない。
そう言えば服はどうしたのだろうと見てみれば、ライダーの服を着ていた。髪は下ろしたままだ。
なるほど、身長のみならず体格もライダーとそう差異はないらしい。
「よし、なら行こうぜ。……いつまでもあんな状態の嬢ちゃんと一緒にいるのはぞっとしねえ」
「え?」
「……? ちょっとランサー! どこ行く気!」
「自分の部屋に戻るだけだよ!」
「ならアーチャーは置いていきなさい!」
「悪いな、それは出来ねえ相談だ!」
華麗にウインクを決めると、ランサーはアーチャーを無理矢理立たせてその手を掴むと勢いよく駆けだした。振り払おうとする気も起きずに、アーチャーはされるがままに居間から連れだされていった。


それで。
「どうしてこんな体勢になっているのだね……」
「ああ?」
遠坂邸の一室。自らに与えられた部屋にランサーは言葉どおり戻っていた。アーチャーを連れて。
そのアーチャーは青ざめた顔をして、ランサーに押し倒されていた。無抵抗で。
細い指がアーチャーの節くれ立った指を絡めとって長椅子に押さえつけている。女性になってもステータスは変わらないのか、筋力Bの力強さでランサーはアーチャーを拘束していた。
普段なら暴れるなり投影するなりでどうにか拘束から逃れようと企むアーチャーだったが、いまの奇妙な状態に萎縮してしまって、どうしてもそれが出来ない。まるで禁忌のような気さえする。
「決まってんだろ。……今朝のつづきだ」
「な!?」
「オレはあのまま続行するつもりだった。おまえだってそうだろ?」
「じ、女性がなんてはしたないことを、」
「なに言ってんだ? オレは男だ。……それは」
おまえが、一番よくわかってるはずだけどな?
ぞっとした。
犬歯をむきだしにして笑うランサーからは粗野な印象を受けるのに、それでも彼女は美しくて繊細で、だというのにまるで、けだもののような気配を体中から発していた。
「……ランサー」
「なに、安心しな。肝心なもんはなくなっちまったが、この指と舌で存分に泣かせてやるよ。なあアーチャー?」
「…………ッ」
息を呑む。
「ほしいだろ?」
なにを、と問う暇もなかった。ランサーはアーチャーの外套に手をかけると、あっけなくそれを引き裂いた。
そしてあらわになった首筋に食らいつく。
「……あ―――――……!」
普段と比べれば小さな歯、それが咀嚼するようにアーチャーの肌を噛む。きつく噛んで跡をつけると、べろりと熱い舌がそこをなぞっていく。初めてそこでアーチャーは暴れた。だが、ランサーは手早く片手でアーチャーの両腕を頭の上でまとめて押さえつけ、あっけなく抵抗を封じた。
「かわいい抵抗だ」
舌なめずりをするランサーは、やはり女性だ。けれどその手腕、手管はどこまでも男のもので。
アーチャーはわけがわからなくなった。
「さて、上からかわいがってやろうか? それとも下から行くか? どっちでもいいんだぜ、オレは―――――」
引き締まったアーチャーの腹筋の上に乗り上げて酷薄に言い放ったランサーは、答えないアーチャーを見て怪訝な顔をする。
アーチャー?呼びかけた声が、湿った嗚咽に割りこまれた。
「う、……っ……」
「アーチャー?」
「っく。…………」
「おい、おまえ……泣いて……」
ここでいつもなら、たわけなどの怒声を浴びせているところだ。だが、もうアーチャーにはなにがなんだかわからない。相手はランサー。だが、触れてくる指が違う。舌が違う。声が違う。なのに、愛撫されるたびに触れる髪はやはりランサーのもので、しぐさも彼のもの。
だというのに腹の上の体重は軽い。アーチャーよりさらに低い身長、矮躯というには大げさだが華奢な体。
もう、なにがなんだかわからなかった。
アーチャーは混乱の渦の中にいた。
「おい、アーチャー。アーチャー……」
困ったようにランサーが名を呼びつづける。アーチャーは呻きを上げると、湿った声でそれに答え始めた。
「き、君が」
「オレが?」
「ランサー、だとはわかってい、る。だが、他の相手に、抱かれ、ているような気分になって、私、は、」
おそろしかった。
そう、告げるとランサーは眉根を寄せた。
「アーチャー」
頬に手を這わされて、びくりとアーチャーが体を震わせる。それを見てランサーは苦笑した。
「もう、しねえよ」
悪かった。オレが悪かった。
繰り返し、ランサーはアーチャーの涙の跡を拭ってやる。やさしい指の動きだった。ランサーだ、とアーチャーは思う。と、急に気恥ずかしくなってじたばたと暴れだした。
「お?」
「は、離してくれ」
「どうした」
もうしねえって言ったろ?とささやくランサーに、顔を赤くしながらアーチャーが言うには。
「女性に泣き顔を見られるのは……」
どうにも、と困ったように言うアーチャーに目を丸くすると、ランサーは噴きだした。
「馬鹿野郎」
こつん、と額と額をぶつけられ、アーチャーは面食らう。赤い瞳を間近に見て体がすくんだが、それはすぐに閉じられた。
「ほら、おまえも目、閉じろ」
「何故……」
「ふたりで閉じれば、どっちもなにも見えねえ」
おあいこってことにしとこうぜ。
そう言って笑うランサーの声は快活だった。すこやかなその声に従って、アーチャーも瞳を閉じる。―――――と、体全体を包んだのはまごうことなき普段どおりのランサーの気配で、
「……ん?」
片目を開けたランサーは、小さな声で笑いだしたアーチャーを見てまたも怪訝な顔をする。
いま泣いたカラスがなんとやら、ぶつぶつつぶやいておーい、と乱れた白銀の髪をくしゃくしゃとかき回す。
「なに笑ってやがる」
「あ? ああ、私も、大概愚か者なのだと思ってな―――――」
不思議そうな顔をしたランサーの髪にくちづけて、アーチャーはまだ涙の残る目で笑うと、告げた。


「どんな姿をしていようと、君は君だったのだな」


「…………」
ランサーは目を白黒させると。
アーチャーの腕の拘束を解いて、その体の上にダイブした。
「ランサー?」
「も……おまえ、反則だろ。いろいろと」
オレがいまこんなでよかったな、と心底残念そうにつぶやいたランサーに、アーチャーはわけがわからないといった風に首をかしげたのだった。



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