「ちくしょう!」
蹴った小石は電信柱にぶつかると、跳ね返ってどこかへ飛んでいった。その行方も確かめないでセタンタはちえっと舌打ちをする。その背後から、静かな声が聞こえてきた。
「どうしたのですか?」
「あ、」
振り返るとそこには金髪の少女。年は離れているがセタンタの友人で、名をアルトリア、通称セイバーという。
剣士の名の通り、彼女は強かった。見かけは可憐で小柄な少女であるのに、彼女が属する道場でセタンタが知る限り彼女に勝てるものはいなかった。ちなみにその強さの代償かセイバーはとてもよく食事を摂る。セタンタの愛する教育係、エミヤの作る料理は彼女の大好物で、よくやってきては炊飯器を空にしていくことで有名だったりする。
さて、そんなセイバーは今日も真面目な顔をしながら手に大判焼きを山ほど抱え、セタンタに問うてくる。
「ずいぶんと荒れているようです。あなたらしくもない。気性は激しいですが、罪もないものに当り散らすほどにあなたは狭量ではないはずでしょう?」
「……う、」
「兄君となにかあったのですか」
ぐ、とセタンタは言葉を呑む。セイバーは鋭い。
もぐもぐと大判焼きを頬張りながらだけれど、凛とした視線でセタンタをその場に縫い止めてしまった。
こういうところが―――――エミヤに似ているな、とセタンタは思う。
笑わば笑え。セタンタの小さな世界は、エミヤを中心に回っているのだ。
最後の逃げでうーん、と両手の指と指を絡め合わせると、セタンタは話しだした。
「実は…………」


「バカバカバカバカバカバカバカバカバカ兄貴! 軽薄! 女ったらし! 極楽トンボ! 糸の切れた風船ー!」
「……おまえな。いくら弟でも言っていい冗談と悪い冗談があんぞ。首くるくる左側に回して電球みたいにもいでやろうか、ああ?」
「うるさい! オレだって悪口の意味くらい知ってら! フウライボーが気安くエミヤに近寄るなよ! エミヤは、オレのだ!」
腕を振り回してセタンタが叫ぶとランサーはすうと目を細めた。あくまでも余裕の表情であって、それがまたセタンタには腹立たしい。この自分によく似た(それがまた嫌なのだ!)兄は宗家の当主だというのにまったく責任感がない。そのくせ、セタンタの、「セタンタの!」エミヤを、自分のものだと主張するのだ。
当主の仕事をきちんとやればエミヤを渡すわけではないけれど、なにもしない兄にエミヤをとられたくはない。だん、とセタンタは板張りの床に右足を一歩踏み出した。
「オレと勝負しろ!」
「あん?」
「槍術でオレと勝負して、負けたらエミヤから手を引くって約束しろ! いいな!」
「じゃあ勝ったらエミヤはオレのだな。よし、受けて立つ」
「ちーがーう! 兄貴が勝ってもエミヤはオレのだ! オレのなんだってば!」
「…………なんだそれ。そんなん、オレがおまえとやりあう意味なんかねえじゃねえか」
「いいんだ、どうせオレが勝つんだ! 行くぞ!」
だだん。
踏みだした足を軸にして、かまえていた槍をぶんと振り回すとセタンタは裂帛の叫びを上げる。小さな体には似合わない長物の槍、だがセタンタには幼いころから慣れ親しんだ相棒である。まさに一心同体だ。負けるはずがない。
叫びを上げたまま走りだしていくと、ランサーは目を細めたままでひょいと肩をすくめてみせた。
「……やれやれ」
そう言うと近場にあった槍を手に取る。誰か―――――練習生のものだろう。
「そんな適当なもんでオレに勝てると思うな!」
セタンタは吠えた。と、ランサーは嫌な感じに笑う。
それはセタンタがもっとも忌み嫌う笑みだった。
「吠えるなよ、ガキが」
すぱん、と音がして世界が逆転した。


「たわけが!」
額がひんやりとして気持ちいい。ぼうっとしていたところを怒鳴りつけられて目が醒めて、セタンタは思わず飛び起きた。と、後頭部の痛みに唸り声を上げる。
「いたたたた」
「セタンタ」
大丈夫か?と言って手をかざしてきたのは、エミヤだった。
セタンタは驚きに目を丸くすると、辺りをきょろきょろと見回す。道場の隅には腕を組んでにやにやと立っているランサー。あれ?
いつのまに。
いつのまにランサーは槍を手から離した?いつのまにエミヤはここへ?そして、いつのまに自分はエミヤの膝枕で寝ていたのだ?
「セタンタ、大丈夫か。まだ痛むか?」
「あ……うん。ちっと痛いけど、だいじょぶ。オレ強いもん」
「……くっ」
とたんにランサーが噴きだし、セタンタはきっとそちらを睨む。
「なんだよ!」
「セタンタ!」
抱きすくめられて鼓動が高鳴る。と、後頭部がまたも痛んで、セタンタは盛大に涙目になった。
「いたたたたたたたた」
「―――――っは、そのザマでオレに勝負を挑んだのかよ? だらしねえな。やっぱりまだまだガキだよなあ、エミヤ?」
「子供相手に大人気ないぞ! 見てみろ、怪我までさせて、それが兄のすることか!?」
「おーおー怖ええ怖ええ。そんなに怒るなよ、おっかねえ」
ランサーはひょいひょい、と飛ぶように歩を進めるとエミヤとセタンタの傍までやってきた。そして。
「オレ好みのキレイな顔が台無しだ」
「!」
「!」
セタンタは目と口をぽかんと開いて頭上を見た。信じられないものを、見てしまった。
「―――――ん……んっ! ……馬鹿者!」
「おっと」
さすがと言っていいのか……ランサーは風のような動きでエミヤの怒声と鉄拳を交わすと、その頬をさわりと撫でた。
体を引きつらせるその耳元でささやく。
「かわいいな、エミヤよ」
相変わらず、と付け足してランサーは身を引いた。舌なめずりをしながら。
「…………っ、子供の前でなにをするか…………!」
その言葉に、セタンタの中でなにかがぱきんと音を立てて壊れた。


「―――――それで? 飛び出してきてしまったと」
セイバーから与えられた大判焼きを齧りながらセタンタはうなずく。公園では人々が心から楽しそうな顔をしている。こんな沈んだ気分でいるのは自分だけだと思って、余計に気分が沈んでしまう。
餡子は喉が渇くよな、と思い、こんなときならエミヤは……と思ってしまって首を思いきり振った。
笑顔でセタンタの湯呑みにセタンタ好みの温度で絶妙な味わいの玉露を煎れてくれるはずだ。
ああもうだから思いだすなってば。
またぶんぶんと首を振るセタンタを見て、セイバーは首をかしげた。
「どうしたのですか?」
「……なんでもない」
そうは見えませんが。彼女は率直だ。セタンタはそれでも強情になんでもない!と首を振った。振り通した。
「それで?」
セイバーはもう一度繰り返す。
「アーチャーと兄君のところへ戻る気はないのですか?」
「ない!」
「そうですか」
セイバーは大判焼きを齧る。
容姿に似合わない大口でもぐもぐと咀嚼して、ごくりと飲みこむ。
「ですが、それでは自宅にも帰れないでしょう。どうするのです」
「どっか泊まる」
「と言いましても」
「そうだ、セイバーのところに泊めてくれよ。部屋いっぱいあるし、一日くらいならいいだろ」
「わたしはかまいませんが。……理由をきちんと自分で話せるのなら」
ぐ。
口ごもるセタンタに、セイバーはさらに言い募る。
「シロウはともかく、タイガを説得するのは大変でしょうね。あなたの性格上、あなたは嘘をつけない。もしもつけたとしてもタイガは嘘をつく人間を許しません。たとえそれが子供であろうとも」
「オレは子供じゃない!」
鳩が一斉に飛び立った。
セイバーは目を丸くして、周囲で歓声を上げていた人々も何人か驚いたようにふたりの座った椅子の方を見た。
「……今のは失言でした。申し訳ない」
しばらくしてから、セイバーが深々と頭を下げる。さらりと豪奢な金髪が流れて青いリボンが揺れる。
セタンタはその青さに様々なものを見て切なくなり、腹が立ち、悲しくなった。
「セイバー」
「はい」
「どうしてエミヤはオレのこと子供だなんて言ったんだと思う?」
「……言いにくいことですが……セタンタ。あなたは子供だ。どうしようもなく、子供です。ああ、勘違いはしないでください。なにもあなたを馬鹿にしているわけではありません。けれどアーチャーやランサーから見ればあなたはまだまだ子供なのです。……獅子の仔が、どれだけ立派な意志を持っていても親から見れば仔でしかないように」
涙が出そうになった。
そうだ。
ランサーはともかく、エミヤから見ればセタンタはまだまだ子供でしかないだろう。それは知っている。
だけど、どうしてセタンタがひとりの人間としてエミヤを好きだということまで否定するように、子供の前でだなんて。
「セタンタ」
セイバーは困ったようにつぶやく。セタンタは服の袖で涙を拭うと叫んだ。
「セイバー」
「はい」
「オレ、大人になる! どうしたってエミヤよりは年上になれないけど、兄貴よりは年下だけど、それでも頑張って大人になる! で、二度とエミヤにオレのこと子供だなんて言わせないんだ! 絶対!」
空は青い。
鼻をすすったセタンタに、セイバーはそっとハンカチを差しだした。セタンタは素直にそれを受け取った。
「洗って返す」
「はい」
涙を拭って鼻を鳴らしたセタンタに、ちょっと手を洗いに。と言ってセイバーは席を立った。どうやら彼女なりに気を使ってくれているらしい。
男の泣いているところは見ないでくれるということだろうか。
ありがたい。
しばらくセタンタは溢れる涙を拭っては鼻をかんだ。おかげで白く薄い花柄のハンカチはぼろぼろになってしまったが、小遣いを溜めて買って返せばいいだろう、そうしよう。
ぐしゅぐしゅ、と鼻をすすったセタンタは、背後に気配を感じた。ずいぶんゆっくりだったな、と思って振り返ろうとして固まる。
「セタンタ」
そこには、心配そうな顔のエミヤがいた。


「なんで!?」
言ってから気づく。セイバーだ!
ずいぶん時間をかけて手を洗いに行ったのだと思っていたが、道場まで出かけてエミヤを呼びに行ったのだ。
「だまされた……」
「セタンタ」
呆然とつぶやくセタンタの前に、エミヤは跪く。そして、とても悲しそうな顔をした。
「え、え」
「……私のせいなのだな」
こんなに泣きはらした顔をして、とそっとセタンタの頬に触れる。その手は冷たいけれど温かくて、セタンタはまた泣きたくなった。
「なんでエミヤのせいになるんだよ」
「セイバーから聞いた。私の不用意な発言が原因なのだろう?」
「! セイバー、どこまで!?」
「道場に帰ると……」
「ちーがーうー!」
……エミヤはときおり鈍感だ。腕を振り回すセタンタを、不思議そうに見つめている。
「じゃなくて! どこまで喋ったんだよ、セイバー!」
そういうことは言わないと思っていたのに!
裏切られたような気持ちになってセタンタが吠えると、エミヤはゆっくりと首を振った。
「私が聞いたことはひとつだけだ。……子供だからと言って侮るな、と」
セタンタは無言になった。エミヤはそれをじっと見つめている。しばし沈黙。
鼻を鳴らすと、セタンタはそうだよ、と小さくつぶやいた。
「オレ、子供だけど子供じゃない。兄貴より、エミヤよりも全然子供だけど、子供じゃないんだ」
「ああ」
「わかってくれよ。オレ、エミヤが好きだ」
「ああ」
「好きな奴に子供だって言われるの、やだよ」
ああ、とエミヤはため息のような、肯定のようなものを返すとセタンタの手を握った。
「わかった」
そう言うと、エミヤはセタンタにくちづけた。
頬ではなく、唇に。そっと一瞬だけの掠めるようなそれだったけれど。
「…………!」
「セタンタ?」
て、訂正。
エミヤが鈍感なのはときおりなんかじゃない。
いつもだ!


「エミヤ!」
椅子に座ったまま、セタンタはハンカチを放りだしてエミヤの首ったまにかじりつく。
空は青くて、雲は白くて、セタンタの頬は赤かった。
いつかきっと立派な大人になってやる。それで変なところで危なっかしいエミヤを守ってやらなきゃ。
そう思いながらセタンタは、今は背中をゆっくりと叩いてくれるエミヤの優しい手の感触に酔った。



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