セタンタは目を開けた。
秋になったばかりの気候は適度に柔らかく涼しく、油断をしているとまた上まぶたと下まぶたがくっつきそうになる。んー、と伸びをして眠気を追い払うと隣の気配を見た。
エミヤはどうやらまだ眠りの中にいるらしい。休息を取る前にかけていた眼鏡は当然外されてちゃぶ台の上に置いてある。ノートも教科書もそのままだ。中途半端に開かれて、消しゴムとシャープペンシルと共に放置されている。
起きたらまた続きかな?と首をかしげてセタンタはアーチャーの寝顔を見やる。ずれ落ちたタオルケットを肩まで引き上げてやり、ぽんぽんと肩を叩いてやるとなんとなく満足そうにうん、と一度うなずいた。安らかな寝顔だ。
エミヤは時折とても難しい顔をしている。眉間に皺を寄せて、顎に手を当てて何事か考えているその顔を見ると、セタンタはやけに気になってその服の裾を引っ張ってしまう。
そうするとエミヤはすぐ気づいて、ああ、どうした、と笑うのだ。
それを見てセタンタはほっとするけれど、無理に笑わなくてもいいのに。とも思う。オレの前では楽にしていていればいいのに、と。
難しい顔をしたければすればいいし、笑いたければ笑ってくれればいい。好きにすればいい。そりゃあ、なるべくなら笑っていてくれた方がいいけれど。
なんでも許すってそれが男のカイショーってもんだろ、とまだよくわからない覚えたての言葉をセタンタは無理に使ってみた。きっと、兄が聞けば腹を抱えて笑うと思う。だから言わない。心の中だけで使う。
セタンタは算数が苦手だ。中学生になったらこれが数学になってさらに複雑になるのかと思うとげんなりする。理科は好きだ。
植物を観察するのは楽しいし、実験も楽しい。社会は普通。国語は…………漢字の書き取りは嫌いだ。肩がこる。それと、作者の気持ちを考えなさいなんて言われてもわかるわけがない。
作者はセタンタとは別の人間だし、もはや死んでいる。会えない。だから、わからない。
一度だけ解答欄にそう書いたことがある。そうしたら、担任に呼びだされて怒られた。セタンタくんあのね、先生こういうのはよくないと思うの。ボブカットの黒髪の担任は、困ったようにそう言った。だからセタンタはとりあえずはいと答えておいて、その後、解答欄は空欄にしている。
担任は何も言わなかった。
エミヤの気持ちならどれだけでも考えてやるのにな、とセタンタは思う。難しい顔をしているときの気持ちとか、兄にからかわれて少し怒ったような顔のときの気持ちとか、セタンタがテストで百点を取ったときのうれしそうな顔のときの気持ちとか、もう、いろいろ。
だってエミヤはいつでもセタンタの傍にいてくれるし、生きている。まあ、その理屈でいくと……護衛たちの気持ちや兄の気持ちも考えなくてはならなくなってしまい、面倒くさいのでそれらは華麗に無視することにした。
セタンタにはエミヤだけいればいい。
エミヤが小さく声を上げる。セタンタはうんうん、とうなずいてまたぽんぽんと肩を叩いてやる。ついでに白銀色の髪を丸い指先で梳いてやった。朝、寝ぐせのついたセタンタの青い髪を梳いてくれるのはエミヤで、それはとても心地良い。
小さなセタンタの(小さな、と言われるのはあまり好きではないけれど、事実だから仕方ない)頭を軽く押さえてブラシで器用にささっと済ませてしまう。けれどその時間がセタンタにはゆったりと長く感じられて、幸せなのだ。
その後のエミヤの作った朝食は格別だ。白米、味付け海苔、漬け物、味噌汁、甘い卵焼き、ああ、よだれが。
口を拭いセタンタはまたエミヤの髪を梳きだした。そういえば今日の卵焼きも絶品だった。兄は甘すぎると文句を言っていたけれど。主にセタンタに。
もちろんだ。エミヤに文句を言うなど許さない。格好つけて一人暮らしのくせして、ときどきどころかほぼ毎日エミヤの作った食事を目当てにやってくるくせにそれに文句を言うなど。セタンタが許しはしない。
兄はだらしねえが口癖のくせに、自分がだらしない。
たまに廊下で寝ているし。
セタンタとエミヤだってこうして昼寝をするが、ちゃんとタオルケットだってかけるし畳の上で寝る。本当は布団を敷いて寝たいのだが、とエミヤは言うが、なにもそこまでとセタンタが苦笑するのでやらないようだ。
さて。
エミヤは寝息を立てて眠っている。まだ起きる気配はない。時計の針を見るとまだ夕食の時間までには遠い。セタンタはうなずいた。


男のカイショーだ。


疲れた恋人は休ませてやるべきである、兄のように振り回すべきではない。そっとまたタオルケットをかけ直し肩を叩いてやると、セタンタは小さな声で歌を歌いだした。
音楽の時間で習った、それは子守唄というものだった。



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