「オレもかっこいいあだ名がほしい」
突然そうのたまわれて、アーチャーことエミヤは首をかしげた。三時。日課である予習復習を中断して、次期当主様であるセタンタの大好きなホットケーキを作っている最中だったので、眼鏡は外してエプロン装備だ。
そのエプロンの紐を引っ張って、セタンタはさらに言いつのる。
「なあエミヤ、オレもかっこいいあだ名がほしい!」
「……どうした? 突然」
「突然じゃない! ずっと思ってた! さっきから!」
「矛盾しているぞ、セタンタ?」
そう言うとぐ、と言葉を飲んだ。顔が赤い。怒らせただろうかと思ったが、ぐいぐいと紐を黙って引いているところを見るとただ照れているだけのようだ。
セタンタは国語は好きではないようだが、エミヤの影響で変に難しい言葉を覚えているときがある。たとえば、矛盾とかたわけとか。
普通の年頃の子供ながら「なにそれわかんない」という言葉でも、セタンタはつるりと理解してしまう。だからついエミヤも難しい言葉づかいをしてしまって、結果セタンタはおおよそアンバランスな語彙を持つ子供に育ってしまった。
まあ、それはいい。
「セタンタ、どうした。学校でなにかあったか?」
「ないよ。ミミやカンタとも仲いいよ。他のみんなとも。ただ、オレはあだ名がほしいんだってば」
―――――兄貴みたいな。
そうぽつりと言われて、ああ、とエミヤは納得した。ランサー。クー・フーリン。“冬木の猛犬”“青い疾風”などの異名を持つ、あの当主が原因か。そっと嘆息すると、困ったように微笑む。
まったくこの兄弟にも困ったものだ。
「ランサーとなにかあったか?」
直球でたずねてみると、セタンタは幼い眉を逆立てた。リボンで結ばれた短いしっぽもぴん、と逆立つ。
「聞いてくれよエミヤ! あのエロ兄貴さ、オレのこと子犬子犬ってバカにするんだ!」
「子犬……」
きゃんきゃんと吠えるセタンタは確かに子犬のようでかわいらしい。まるで柴犬のようだ。けれどそんなことを言ったら余計に怒らせてしまうので、エミヤはその思いごと言葉を飲みこむ。こくん。
「だからオレ言ってやったんだ! 兄貴なんか駄犬のくせに! って!」
「ああ……」
やはり変な言葉を覚えてしまっていたか。
エミヤは額に手を当てる。そのあいだもフライパンに乗ったホットケーキをひっくり返すことは忘れない。甘い匂いが漂って多少はセタンタも機嫌を直すかと思っていたが、そうでもないようだ。
「そうしたら兄貴のやつ、なんて言ったと思う?」
「自慢したのだろう? 自分の異名を」
「そうなんだよ!」
エミヤすっげえ、とセタンタが拍手をする。それでさあ、それがまたさあ、かっこいくてさあ、オレさ、くやしくてさ。
「こら、セタンタ。紐がほどける」
君は縦結びしかできないだろう。そう言えばセタンタは、はっと手を止めた。見るとすでに結び目は縦になっていた。
エミヤは苦笑する。今度、ちゃんとしたやり方を教えてやろう。
「“他にも狂犬、とかな。まあそいつはオレにとっちゃ不名誉だが子犬よりはいい呼び名がたくさんあるぜ? おまえはどうだ?”とか、かっこつけちゃってよ、あのバカ兄貴!」
しっぽがぱたぱたと振られていて、思わずエミヤはそこに釘付けになった。動いた。ものすごく動いた。そういえば、幼いときもそして今も、ランサーのしっぽも動いていたのではないか。エミヤはつい記憶を辿りだしてしまう。
そのあいだもフライパンから白い皿にホットケーキを移すことは忘れない。冷蔵庫からバターとはちみつを出した。器用に丸くバターをすくって、ホットケーキの上に乗せるととろりととろける。そういえばランサーもホットケーキが好きだった。
今も好きだったろうか。顔に似合わず甘いもの好きだからな。
その兄よりも甘党な弟は、エミヤ?と相変わらずしっぽをぱたぱた動かしながらエミヤを見上げてくる。赤い瞳がきらきらと輝いていて、まぶしくなって目を細めた。
「なあ、エミヤ、オレもかっこいいあだ名がほしい!」
はちみつはセタンタの好みで。
右手にはちみつの容器、左手にホットケーキの乗った皿を持つと、エミヤは見上げてくる赤い瞳を見つめた。
「どうしてもか?」
「どうしても!」
「私の大事なセタンタ」
びよん、としっぽが逆立った。赤いリボンと青い髪のコントラスト。エミヤがじっと見つめていると、セタンタもじっと見つめてくる。時計の針がかちこちと鳴った。
とろけるバター。
「……これでは、いけないか?」
そう静かにエミヤが問えば、セタンタははくはくと口を動かした。しっぽがぶんぶん振られている。
「―――――っと」
足に抱きつかれて姿勢を崩しそうになり、エミヤは軽くバランスを取る。セタンタ?そう聞けば、押しつけた頭が縦に何度も振られた。
「それでいい」
「そうか」
「それでいい!」
「わかった」
微笑むと、エミヤはぐりぐりと押しつけられる頭を優しく撫でる。
「さあ、冷めないうちに早く食べてくれ。終わったら勉強の続きだぞ、セタンタ?」



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