ぱたぱた、と子供が駆けていく足音がする。引き戸を閉めながらエミヤはその背に呼びかけた。
「おい、走ると危ないぞセタンタ」
「だいじょうぶ!」
「なにが大丈夫だよ、ガキが」
「なんだとバカあにき」
転んだ。
「セタンタ!」
エミヤも駆けていく。セタンタは涙目になっていたが、どうやら無事だったようで「エミヤ」と言いながら見上げてきた。
「大丈夫か?」
「うん」
「ほら、つかまるといい。どこか打っていないか? 怪我は? 痛いところはないか?」
「腰打った……かもしれないけど、平気だぜ!」
「あーあ」
兄の声に弟はきっと振り向いた。
「なんだよ!」
「男が大事な腰打ってどうすんだ。いま泣かなくても将来泣くぜ」
「え……」
どういうこと?という顔をしているセタンタに慌てるエミヤ。
「ランサー!」
「へいへい」
「返事ははい、だ!」
「はいはい」
「はいは一回だ!」
「はーい」
わざとらしく語調を伸ばすと、ランサーはシャワーの下に行った。カランを捻って湯を出す。エミヤは嘆息してセタンタの手を引いた。
「行くぞ」
「? ……うん」
どうしてエミヤの顔は赤いのだろうと思いながら、セタンタは手を引かれてシャワーの下へと向かった。
しばらく腰のことと自分の将来のことについて考えていたが、エミヤの大きな手に頭を洗われているうちにそのことは忘れてしまった。
「あー」
「兄貴オヤジくさい」
「オヤジでいい。ガキよりはましだ」
「ガキっていうな!」
「こら、風呂の中でまで喧嘩をするな!」
「ほらおまえのせいでエミヤが怒ったじゃねえか」
「なんでオレだよ!?」
「坊やだからさ」
「だからガキっていうな!」
「…………」
エミヤは黙ってふたつの青い頭をべし、ぺし、とそれぞれ違う強さではたく。
褐色の肌をわずかに赤くして、エミヤは頭を押さえた兄弟に言った。
「だまれ」
「……はい」
「はーい」
「ランサー!」
それからなんだかんだとあって、ひと悶着終えてからなんとか落ち着いた。エミヤはセタンタの頭に手を置いていつものように言う。
「よし、百まで数えるんだぞセタンタ」
「うん!」
それを、は、っと鼻で笑うランサー。当然セタンタは反応した。
「……なんだよ」
「百?」
「だからなんだよ」
「甘いなガキが」
「だからガキって」
「男なら死ぬ気で勝負! これだろ!」
「ランサー!」
また馬鹿なことを、とエミヤは叫んだが、セタンタは赤い瞳を丸く見開いていた。
男なら……男なら……男なら……。兄の声が脳裏にこだまする。
「どうだ?」
「その勝負乗った!」
「セタンタ!?」


なにを馬鹿なことを、と叫ぶエミヤの目の前で、兄弟の対決が始まった。


「……っは。やっぱりガキだな、なあエミヤ?」
「……まったく……君というやつは……」
頭に乗せたタオルをぱしゃんと湯船の中につけて、ランサーは豪快に笑う。その顔は真っ赤だが満足そうだ。
結局兄弟の「限界まで湯船に浸かる勝負」は兄が勝利し、のびた弟は慌てたエミヤと護衛たちによって部屋まで運ばれていったのだった。
「君も顔が真っ赤だが、大丈夫なのか。上がったらどうだ?」
「せっかく久しぶりにおまえと二人っきりで風呂に入ってるってのに、そんなもったいねえことできるかよ。いつもガキの邪魔が入って鬱陶しいったらねえ」
「……自分の弟だろう」
「弟だってガキはガキだ。……たとえば、ガキの目の前じゃこんなことできやしねえ」
「あ……!」
ぱしゃん、と湯が跳ねる。手首をつかまれてエミヤは眉を寄せランサーを睨んだ。
「……不潔だぞ。ランサー」
「あ? 隅々まで洗って綺麗だろうが」
「そういうことでは……!」
エミヤは声を詰まらせる。首筋に這わされたランサーの舌。
仰け反った喉仏に噛みついて、柔く甘噛みしながらランサーは言う。
「ほら、どこ舐めても味もしやしねえ」
もったいねえよな、こういうところはな、と残念そうに言うとランサーは下へと唇を這わせる。
くたりと頭を垂れてエミヤは抵抗をやめた。
「……たわけが」
ぽつりとつぶやいたその鎖骨に溜まった湯を舐めて、啜るとランサーはその体を浴壁に押しつけた。


「さて、いい声で鳴けよ。エミヤ」



back.