「トリック オア トリート!」
シーツをかぶって大声で叫んだセタンタを、エミヤはじっと見つめる。ポケットをごそごそと探るとキャンディをひとつ取りだすとセロファンを剥いて、大きく開いた口にきゅっと押しこんだ。エミヤ特製甘さ芳醇カボチャ味のキャンディである。
セタンタはもごもご口を動かすとにんまり笑う。
「明日も来る!」
「わかった」
「わーい!」
約束を取りつけるとばたばたと真っ白いシーツをなびかせて廊下を駆けていくセタンタ。その足音が遠ざかっていく。―――――そして聞こえなくなったころ、すらりと押入れの戸が開いて青い頭が出てきた。
「毎日か?」
「毎日だ」
「そりゃ……ご苦労さん?」
「いや、楽しいからな」
笑うエミヤは本当に楽しそうで、ランサーは苦笑する。本当、おまえは子供には甘いよな、と言って。
「自分が子供のころを知っているからだよ。大人に優しくしてもらえると、それだけで素晴らしく嬉しかった。世界は、悪くないものだと思えたよ」
「ああ……昔、おまえは憎んでたからな。“どうしてこんなに私にとって世界は優しくないのか”オレが泣きそうになったのはあの日が初めてだ」
「そういえば、殴られたな」
「一度きりだろ」
「……痛かった」
笑う。あのときは、またか、と思った。また嫌われたのだと。この少年もエミヤと名を呼んで森へと連れだしてくれたのに。申し訳なくなって下を向くと、ぎゅうと抱きしめられた。ばかなことをいうなよ、とだけ言われた。
うなずいて、抱き合って、しばらく泣いたことを思いだす。
「エミヤ?」
「あ? ……ああ、済まない。少し昔のことを、な」
「なんだ? もう時効だろ……勘弁してくれよ」
「いや、そうではなく」
エミヤは、今度はランサーの顔を見ながら笑った。あの時の、少年のような笑みで。
ランサーも微笑む。時間が少し戻ったようだった。
「……エミヤ……」
そ、と頬に手を滑らせ、不思議そうな顔のエミヤに微笑みかけるとランサーは顔をかたむける。すると。
「バカ兄貴の匂いがする!」
どことなく昼メロのようなセリフを発しながら、セタンタが勢いよく部屋に飛びこんできた。頭からかぶったシーツはそのままだ。ちなみに入ってこようとするとき踏んづけて、ちょっと転びそうになっていたのはご愛嬌である。
「うっかり転びそうになってんなよ。どこかの金ぴか社長かおまえは。だっせえ」
「! うっせえな、なってねえ! ねえよ!」
ご愛嬌……だというのに容赦なく上からつついてつついてつつき倒す兄。弟はがばっとシーツを脱いで、丸めて兄に投げつけた。
「トリック オア トリート! 兄貴には問答無用でイタズラ、ていうか勝負を申しこむからな!」
「はぁ? TRICK OR TREAT、こうだろ。こんな簡単なもん、英語ですらすらっと言えねえのか」
「い、言ってるだろ!? トリック オア」
「ランサー、ランサー。セタンタはな、こう見えて初期よりとても上達している。最初はろくに言えなくてな、それからひらがな発音に進化した。そして今のカタカナへと到達している。……どうだ? 目覚しい進化だろう」
「エーミーヤー!」
顔を真っ赤にしたセタンタが、背後からエミヤに抱きつく。顔を近くに寄せてこしょこしょと内緒だって言っただろ、ああそうだったな、済まない、もー!だけどそんなエミヤが大好きだぜ!
なんて。
言っているのを見て、ランサーは眉間に皺を刻む。
後ろはセタンタが独占しているのをいいことに、正面に陣取って口を開く。
「エミヤ。TRICK OR TREAT?」
「あ……ああ。そうか」
てっきりランサーもこの騒ぎに参加したくなったのだろうなと、昔の思い出に浸り柔らかくほぐれたエミヤの心はやすやすとそれを受け入れてしまう。ポケットからセロファンに包まれたキャンディを出すと、さすがに剥いてやるまでの優しさは見せずにてのひらへと転がしてやる。それもずいぶんと甘やかしていると言えるのだけど。
ランサーはサンキュ、とそれを受け取り、素早くセロファンを剥いて口の中へ放りこんだ。
そして、
「―――――!」
「―――――!」
エミヤとセタンタの声なき二重奏。
んー、(はあと)。なんて乙女チックな表現をつけたくなるほど甘い声を出して甘いキスを仕掛けたランサーは、目を丸くしたエミヤの肩をぐいと抱き寄せる。それに気づいて、セタンタはエミヤの両肩を掴んで縫い止めた。んんっ、とエミヤは目を閉じて声を上げた。
大岡裁き、まさに、そんな―――――
「わけがあるか!」
がつ、ごちん。
いつもより重い鉄拳制裁が炸裂する。がつ、とは大変鈍い音だ。ごちん、は軽く痛そう。どちらも平手の比ではない。
「いたずらにもほどがあるぞ! ランサー! セタンタもこういうときは反応せず、流すものだと教えただろう!」
「いってえ……本気かよ!? エミヤぁ」
「馬鹿言ってんじゃねえよ。エミヤの本気は……すごいぜ」
「すごいのか」
「すげえぞ」
「すごいのか……」
格好いい!と叫ぶセタンタと口端の血を拭うランサー。どうも会話が噛みあっていないが、まあお互いなんとなく意味は通じているのでいいとしよう。
セタンタの頭をくりくりと撫でながら、エミヤは「めっ」のポーズで軽く説教を始めた。
「いいか、セタンタ。君はいい子だから充分にわかっているだろうが、人に無理強いしてこういうことをするような大人になってはいけないぞ」
「う、うん! オレエロ兄貴みたいには絶対にならない!」
「おいこらそこ待て。人を例に上げて失礼なこと言うな」
「わかったな、セタンタ……ああ、もうそろそろ夕飯の準備をしないとならない。手伝ってくれるな?」
「うん!」
「ランサー、君も食べていくのだろう? ……夕飯を」
「なんでそこ強調するんだ。食ってくさ、食わせてくれるんだろ?」
「もちろんだとも。ただし、手伝いはしてもらうが、な」
ようやく笑ってエミヤは席を立った。セタンタは素早く先に立ち上がると、開きっぱなしだった襖の方まで駆けていく。
「オレ、先に行ってるな!」
「ああ」
「でもって、また明日もな!」
「?」
怪訝そうな顔をするランサーを無視して、セタンタはがお、とポーズを取る。
「トリック オア トリート!」
言うが早いかぱたぱたぱた……と最速で駆けていく足音。部屋からひょこり、と首だけ出してその後ろ姿を見送った兄は、部屋の中へと視線を戻すと静かにたずねた。
「……当日までか?」
「……おそらくは」
「……だな」
足も速ければ気も早い。まだ当日までは一ヶ月以上ある。
エミヤの友人、遠坂凛が集めている宝石のストックのように、キャンディのストックも充分にせねばと思うエミヤであった。



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