ごん、といい音がした。
「……エミヤ?」
なにやってんだおまえ、とつぶやくランサーの前で、エミヤは柱にぶつけた額を押さえてうずくまった。声にならない声を上げる。
「眼鏡。割れなかったか」
「……あ、ああ、大丈夫だ」
「かけてねえだろうが」
「―――――」
重症だな。
慌てて自分の顔をまさぐっているエミヤを見て、ランサーはこっそりため息をつく。重症も重症。危篤状態だ。
日頃なにがあっても顔に出さないというか、鈍感というか。そんなエミヤがもろに“なにかあった”と態度に出している。
「よかったなあ。かけてなくてよ」
「あ、ああ、うん」
「眼鏡だもんなあ。割れたら危ねえよなあ」
「そうだな」
「なにがあった」
エミヤは押し黙った。
なにがあった、とランサーは重ねて聞く。エミヤは少し逡巡する様子を見せてから、苦く笑った。
「好きだと言われたよ」
ランサーはライターと煙草を取りだす。
まず煙草を口に咥えてから、火を点ける。大きく吸いこんで、紫煙を吐きだした。
「そんなの、いつものことじゃねえか」
「いや、それが違ってな。まるで……」
「まるで?」
エミヤは。
困ったように下を向いて、首を捻った。
「……なんと言ったらいいのだろう」
「おいおい」
「ただ、ひどく驚いた。前にもあんな風に迫られたことはあったが、そのときは違和感が先に立った。だが、今回は違う」
すんなりと受け入れられた、と言うエミヤに、がじりとフィルタを噛むランサー。
「で、どうなんだ」
「え?」
「え? じゃねえだろ。ガキも本気で言ったんだろうが。それで、おまえはどうするんだ」
エミヤはきょとん、と目を丸くして。
静かに、首を振った。
「変わらんよ。何も」
「変わらねえって、おまえ―――――」
「私たちの関係は、ずっと変わらん」
そう言って、エミヤは胸元に手を当てると微笑んでみせた。
ランサーは毒気を抜かれたようにそんな幼なじみの顔を見る。そうして眉間に皺を寄せ、がりがりと後頭部を掻いた。
「おまえ、昔からそういうところあったよな」
「そうかな?」
「そうだ」
言いながら、うりゃ、とランサーは人差し指でエミヤの額を突く。とっさのことにうあ、と声を上げて仰け反ったのを見て、口元を吊り上げいやらしく笑った。
「本当に……」
笑う。
「本当に、おまえは変わらねえよ」
そう言って、ランサーはエミヤの顎をとらえる。そうして、唇を―――――


「バカ兄貴の匂いがする!」


どこかで聞いたようなセリフと共に、襖が開け放たれセタンタが飛びこんできた。
まさに疾風。冬木の子犬。
「エミヤ! だめだろ、変質者を簡単に部屋の中に入れちゃっ」
「……セタンタ、仮にも兄に対してその言い方はだな、」
「……こりねえな、ガキ。その首電球みてえに左回りに回してもぎ取ってやろうか」
「させるか!」
それよりエミヤから手を離せ!とセタンタは叫び、ランサーの向こう脛に向かって蹴りを繰りだした。が、それはあっけなく避けられてしまう。
すてんと転んだセタンタを見て、噴きだすランサー。かああ、と畳に大の字になったセタンタは真っ赤になって、
「ひきょうだぞこのバカ兄貴っ」
「おまえが未熟なんだよ」
にやにやと笑いながら、ランサーは先程のエミヤの言葉を理解していた。
ああ、そうか。
変わらない。
ずっとこのまま、騒がしく楽しくやっていくのだ。
「やめないか、ランサー、セタンタ」
「おまえからキスしてくれたらやめてもいいぜ、エミヤ」
「……なっ」
絶句したエミヤを見て、玩具のように飛び起きたセタンタが叫ぶ。
「エミヤは、オレのだ!」
ランサーはそんな弟を見て、ことさら意地悪く、にんまりと笑ってつぶやいたのだった。
「残念だったな。こいつは、十年近く前からオレのものなんだよ」



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