昼食を食べて、簡単な宿題も終えて。
これでエミヤにかまってもらえる、と意気揚々とセタンタは廊下を歩いていた。知っている。今日の午後からはエミヤは暇なのだ。
仕事もないはずだし。
くふふ、と忍び笑いをして足を止める。笑いがあふれてきて止まらない。足は止まっているのに笑いは止まらないとはこれいかに。
「うまいこと言ってる場合じゃねえ……!」
全然上手くないのだけれど。
ちょうど庭で掃き掃除をしていた護衛が怪訝そうにセタンタを見た。セタンタは慌てて足を動かす。さあ、急げ急げ。
今こうしているあいだにも時間は刻一刻とすぎていっているのだ。
エミヤとの蜜月が削られる。
ぱたぱたぱた、と足音も軽くセタンタは駆けだした。
やがてエミヤの部屋の前に辿りついて、笑顔と共に襖に手をかけ、開く。
「エーミー……」
ヤ。
そう〆られるはずだった呼びかけは、セタンタが凍りついたことで立ち消えになった。
部屋の中央。
こねこさんを傍らに置いて、エミヤは礼儀正しく正座していた。その鋼色の目の縁が、赤い。
「ああ、セタンタ」
ぐしゅ、と鼻を鳴らして、エミヤは涙目で笑った。
―――――。
「あのバカエロ兄貴! なにがあったか知らないけどさいていだ!」
「セタンタ!?」
「兄貴だろ、兄貴のせいなんだろエミヤ!? 兄貴に意地悪されて泣かされたんだろ! だいじょぶだ、オレが仇とってやるからな!」
部屋の中に駆けこんで、がくがくとエミヤを揺さぶるセタンタ。よーし、と握りこぶしで力をこめる。熱血。
もうまわりなんか見えていません、それって美味しいですか?状態である。
一方エミヤは目を丸く見開いてされるがままになっていたが、セタンタがなにか暴走状態なのを認識するとその服の裾を指先でつまむ。きゅっと。ちょっと待って、と。
そのしぐさに、セタンタはきゅんとした。きゅっとされてきゅんとした。涙目で見上げられてくらりとなにかが歪む。
とっくに魅惑されているのに、また魅惑されてしまった。
「違うんだ、セタンタ」
「へ?」
すっとんきょうな声を上げるセタンタに、エミヤは無言で手にしたものを示してみせる。
それは一冊の本。
「先日発売の新刊でな。ライダーに勧められて読んでみたのだが、これがまた名作で」
すん、と鼻をすすりあげるエミヤ。
えーと、とセタンタは言う。
「えーと、ということは、兄貴のせいじゃなく、て」
「ああ。この本が原因だ」
ライダーは読書家だ。そしてクールに見えるが本に関しては熱いところがあって、これはいいと思った本は布教して回るくせがある。
今回もそのケースなのだろう。
すとんとエミヤの前に正座すると、セタンタは首をかしげる。
「本なんか読んで泣けるのか? エミヤ」
セタンタにはそういう気持ちはよくわからない。外で遊ぶタイプだから、あまり本は読まないし。
不思議そうに言うセタンタに、エミヤは微苦笑すると目の縁に溜まった涙を指先で拭って、そうだな、とつぶやいた。
「……確かに、そういう本に出会ったことがないとよくわからないかもしれないな。よし」
本に栞を挟むと、エミヤは立ち上がる。そうして小さな机に歩みより、ごそごそとなにかを探しだした。
「エミヤ?」
不思議そうに名を呼ぶセタンタに背を向けて、エミヤはなにかを探し続けている。
なにしてるんだろうエミヤ―――――。
そう思ったとたん、エミヤの背がぴくりと動いた。
そうして振り返る。
「これを読んでみるといい」
その手には、一冊の薄い文庫本があった。
「ええ?」
「難しい漢字にはふりがなが振ってあるし、元々そんなに難しい内容でもない。長さ的にも、小学生でも充分読める内容だ」
まだかすかに涙目で、エミヤは笑っている。
「……読ま、ないと、だめか? エミヤ」
「君はそんなに本が嫌いだったかな?」
だったら仕方ないが……とあからさまにしょんぼりとして本をしまおうとするエミヤに、セタンタは慌ててすがった。
「読む! 読む読む読む読む!」
「そうか?」
「うん!」
読ませてくださいお願いします、とそんな勢いでこくこくうなずくセタンタに、エミヤはうれしそうに微笑んだ。
一方、セタンタは。
せっかくエミヤにかまってもらえると思ったのに。
と。
少し、不機嫌モードだったという。
だが、しかし。
その後、セタンタがその本に惹きつけられ、涙し、続きを続きをと求めるように貪り読むようになると、一体誰が予想したろう?
本と同じで、人生もページをめくってみないと先がわからないものなのである。



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